ピコのテーゼ

ピコ・デラ・ミランドラ
(Giovanni Pico della Mirandola)


1Pico della mirandola


シンクレティズム

Syncretism in the West:
Pico's 900 Theses (1486)
西洋におけるシンクレティズム:
ピコの900のテーゼ(1486年)
THE EVOLUTION OF TRADITIONAL
RELIGIOUS AND PHILOSOPHICAL SYSTEM
伝統的な宗教と哲学システムの進化


PDF:
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A. S. Farmerによる英訳とコメント(1998年)

目次:
前書き

パート1:
紹介的な論文


第一章: ピコのローマにおける討論
i. 大まかな紹介
ii. ピコの相関的なシステム(彼の「新哲学」)
iii. シンクレティズムと相関的な思考:ピコの「Being/(神の/神と言う)存在」と「One/唯一(の神)」の物議に対する解決策
iv. 宇宙学と歴史:ピコのテーゼの構造と彼のヴァチカンの「カウンシル(委員会)」の終末論的な目的
v. テーゼの照合:ピコの討論戦略

第二章:近代以前の思考におけるシンクレティズム
i. シンクレシー的な戦略
ii. 近代以前の宗教的、哲学的、そして宇宙学的でシステムのシンクレシー的な発達
iii. 神学的な結論

第三章:900のテーゼの解読
i. 実体(Substance)/事故・偶然区別・特質(Accident Distinction)のピコのシンクレシー的な解読
ii. プラトンとアリストテレスを和解させる:ピコの知識の論説
iii. 「意志の自由」?ピコの神秘主義と幾つかの太古の宗教的でパラドックス/矛盾のシンクレシー的な起源
iv. ピコとルネッサンス・マジックのシンクレシー的な起源:イェーツテーゼにおける更なる問題

第四章:ピコと反ピコ
i. シンクレシー的な伝統の衰え
ii. 易断的な占星学に対する論争:ピコのシンクレティズムへの「撤回」?
iii. 論争についてのその他の読物
iv. ピコの偉業の中の、ジャンフランチェスコ・ピコ、サヴォナローラ、そして彼等の関係者/仲間による没後の改竄

パート2:
文書、英訳、そしてコメンタリー


エディションへの紹介
i. 文書の歴史
ii. KieszkowskiとBiondiの現代版
iii. 現在のエディション
iv. 英訳とコメンタリーについて

プレート
図表
ピコの敵的で詩的なテーゼ
彼自身の意見によるテーゼ
文書的なシンボル、タイトル、そして句読点へのガイド
選択された参考書目
西洋思考の主要ソース
西洋思考の二次的ソース
非西洋的で主要・二次的なソース
非例的で詩的な研究
インデックス
題材インデックス
名前と研究のインデックス


「どんな分野であれ、最も変わったものを見つけ、そしてそれを探求しなさい。」 - アーチバルド・ウィ―ラー

「鮮明さは息を通して達成されます。」 - ニールス・Bohr


その結論はエピファニー(公現祭/1月6日)の後まで反論されないでしょう。その間それらは全てのイタリアの大学において公表されるでしょう。そしてもし、どんな哲学者や神学者であれ、更にイタリア国外からでさえ、討論するためにローマを訪れる事を望むのなら、彼の主である反論者(ピコ)が、彼自身の予算から旅費を払う事を約束します。

ピコのテーゼの1486年版の末尾のアナウンスメント。

シンクレティズム

特に哲学または宗教における様々な、もしくは対峙する教義/主義の統一または和解への試み - オックスフォード英語辞典

ピコの900のテーゼ:(ローマ)教会によって統一的に禁書にされた最初の印刷本。

前書き


第一章は900のテーゼを見渡し、ピコの討論の計画を分析し、そして彼のヴァチカンにおけるプロジェクトの隠された神秘/謎的、終末論的な目的を調査します。第二章は、ピコのシンクレシー的な手法の歴史的な起源とシステム的な効果を見て、この章は、一般的に(中国学者達の用語を借りると)その「相互関連的なシステム」が - 西洋で最も良く知られたこれらのヒエラルキー的なバリエーションも含めて - ピコの研究において加速された率で機能した、シンクレシー的な行程の種によって形成された方法を論議し、それに沿ってこの章は、紀元前一千年の中間(i.e.紀元前500年頃)の、全ての先進的なユーラシア(旧大陸)のそれぞれの社会で発生し始めたー神教的な神々と、これらのシステムの根底にある、抽象的な宇宙学の派生を元々助けた、シンクレシー的なメカニズムを論議します。

第三章は、ピコの神秘/謎的でマジック的な思考と、彼のキャンセルされたヴァチカンでの討論に、親密に結ばれていた彼の失われたプラトンとアリストテレスの和解に関連したものを含み、彼のシステムの幾つかのユニークな特徴を分析し、この章はシンクレシー的な行程によって伝統的な思考に課せられた構造の特定的な種を更に詳細に見ます。

第四章は、長らく加熱された討論の題材である、ピコの後期の発展を論議します。ピコの後期の働きの研究は、彼のテーゼの光の下で再解釈されると、予期しなかった膨大な文学的な改竄(詐欺)のサインを発見させ、多くの証拠が見せるのは、彼の死後、ピコの後期の文書は、彼の甥であり編集者であったジャンフランチェスコ・ピコと、その他の保守的なサヴォナロラン運動の中心人物達に改竄されたと言う事で、1494年のピコの突然の死の後に - 理由は不透明のままですが - 彼の文書の操作を手に入れたサヴォナロラン自身の此処における主導者的な役割の強い証拠を正に見せます。

ピコの働き(文書)の中の改竄と偽書の話しは、長期に続く近代以前的なテーマの強力な例を供給し、極度な反シンクレシー的な傾向は、極度なシンクレシー的な傾向に負けず劣らず、新たに発見された文書や外国の文書によって、突然殺到された、全ての伝統的な社会において起こった様です。早期の印刷時代におけるこれらの傾向の大げさな成長は、ピコの死の2世紀後に起こった、シンクレシー的な伝統の最終的な崩壊に関連させられる事が出来ます。ピコの話しのこの部分の再構築は、スティ―ヴン・ジェイ・グールドが、「近代西洋思考における最大の知性的な変格」とラベルしたもので、ピコの働きの中でとても素晴らしくまとめられた、相互関連的な思考の究極の種の、最終的な死去の議論のためのフォーラムを供給します。

この研究の第二部は、私の主要な証拠として、私の英訳とコメンタリーに伴われた、900のテーゼのラテン語版を含みます。

文書、英訳、そしてコメンタリー
211ページより:

以下に続くのは、900の弁証法的、道徳的、物理的、数学的、形而上学(哲学)的、神学的、マジック的、そしてカバラ的な意見であり、彼(ピコ)自信のものと、賢明なカルデア人、アラブ人、ヘブライ人、ギリシャ人、エジプト人、そしてラテン人のものを含み、和解/協定の法廷において、ミランドーラ(地名)のジョヴァンニ・ピコによって公に反論(i.e.討論)されます。これらの意見を読み上げる事において、彼はローマの言語の素晴らしさを真似せず、私達の時代の全ての哲学者達の殆どがこれを使用するために、パリの反論/討論者達の最も有名な語りのスタイルを使います。討論される教義は、それぞれの国家と彼等の宗派の指導者達から別々に提案されていますが、哲学の一部に関して一般的である様に、全てはメドレーであるが如く一所にミックスされています。

ラテン哲学者達と神学者達、偉大なアルバート(アルベルト)、トマス・アクイナス、ゲントのヘンリー、ジョン・スコタス、ローマのジャイルス、そしてメイロネスのフランシスの教義による結論。

アルバートによる16の結論。

テーゼ1:
1.1. Species inteUigibiles non sunt necessariae, et eas ponere non est bonis
peripateticis consentaneum.
1.1. Intelligible images are not necessary, and it is not fitting for good Aristotelians to posit them.
明瞭なイメージは必要ではなく、そして善きアリストテレス派にとって、それらを仮定/断定するのは相応しくありません。

テーゼ2:
1.2. Corruptis omnibus indiuiduis specie humanae haec est uera: homo est
animal.
1.2. With all individuals of the human species destroyed, this holds true: Man
is an animal.
人間の種の全ての個人達が破壊されると、以下が真実です:人は動物です。

テーゼ3:
1.3. Haec est in quarto modo dicendi per se: homo est homo.
1.3. This is in the fourth mode of speaking per se: Man is man.
これはそれ自体/本来、語りの第四モードであり:人は人です。

テーゼ4:
1.4. In quolibet puncto materiae sunt per habitum inchoationis potestatiuum
essentiae omnium formarum naturaliuni^ materiae coetemae secundum philosophos,
concreatae secundum fidem.
1.4. In every point in matter the essences of all natural forms exist in a habit
containing the power of generation—co-eternal with matter according to the
philosophers, co-created according to faith.
物質中の/物質の全ての点において、全ての自然な形状の本質(エッセンス)は、繁殖の力を含んでいる習性の中に存在し - 哲学者達によると共同-永遠的で、信仰によると共同-創造です。

テーゼ5:
1.5. Forma in intensione et remissione non uariatur secundum essentiam, sed
secundum esse.
1.5. A form in intension and remission does not vary in essence, but in
existence. (5)
意図(intension)と軽減/免除/短縮(remission)における形状(フォーム)は、本質(エッセンス)においては変わらないが、存在(existence)において変わります。

テーゼ6:
1.6. Anima separata intelligit per species sibi a principio sui esse concreatas, quibus dum est in corpore aut nunquam aut raro utitur.
1.6. A separated soul understands through images that were co-created with it
at its origin, which while it is in the body it either never or rarely uses.
分離された魂(soul)は、その起源においてそれと共同/同時-創造されたイメージを通して理解し、それはそれ(魂)が体の中にある間、それ(魂)は決して、または殆ど使わないかのどちらかです。

テーゼ7:
1.7. Sonus fertur secundum esse reale usque ad principium nerui auditiui.
1.7. Sound is carried with real existence right up to the beginning of the auditory
nerve.
音は、本当の存在(エーテル?)と共に、聴覚神経の始まりまで/寸前まで運ばれます。

テーゼ8:
1.8. Lumen non habet in medio nisi esse intentionale.
1.8. Light in a medium has only intentional existence.
媒体の中の光は、意図的な存在のみを有します。

テーゼ9:
1.9. Organum auditus est neruus expansus ad concauum auris.
1.9. The organ of hearing is the nerve extended to the aural cavity.
聞く事の器官(耳)は耳腔へと延長された神経です。

テーゼ10:
1.10. Obiectum per se et proprie sensus communis est magnitudo, ut bene dixit
Auicerma.
1.10. The object per se and properly speaking of common sense is magnitude,
as Avicenna correctly stated.
アヴィセナが正しく明言した様に、オブジェクト(物体/対象/目的/客観、等々)自体と常識を正しく語る事はマグニチュード(大きさ/重要さ/単位)です。

テーゼ11:
1.11. Stat speciem cuius dicimur reminisci esse totaliter deperditam et abolitam.
1.11. It holds true that the image that we are said to recall is totally lost and
abolished.
私達が呼び戻す(思い出す)と言われるイメージは、完全に失われ(忘れられ)そして消滅させられるのは本当です。

テーゼ12:
1.12. Non introducitur uegetalis anima ante sensualem, nee sensualis ante
rationalem, sed tota simul.
1.12. The vegetative soul is not introduced before the sensual soul, nor the
sensual before the rational soul, but the whole is introduced at once.
自律神経的な魂は、五感的な魂より先に(体に)紹介されず、五感的な魂は、理性的な魂より先に紹介されませんが、その全体は一度/同時/一瞬に紹介されます。

テーゼ13:
1.13. Licet ad receptionem speciei concurrat sensus passiue, ad iudicandum tamen de sensibili actiue concurrit.
1.13. Granted that sense agrees passively in receiving an image, it agrees
actively in judging a sensible object.
イメージを受け取るにおいて、感覚は受け身的に同意するとして、それは感覚できる物体を判断するにおいて、活動的(積極的)に同意します。

テーゼ14:
1.14. Corpus mobile est subiectum scientiae naturalis.
1.14. Moveable body is the subject of natural science.
動かす事の出来る体は自然科学の題材です。

テーゼ15:
1.15. Corporis in eo quod corpus consideratio ad methaphysicum spectat.
1.15. The consideration of body as it is body pertains to the metaphysician.
それが哲学者に属する体としての体の考慮。(?)

テーゼ16:
1.16. Potentia respectiua materiae non addit supra materiam rem, sed rationem.
1.16. A potentiality in respect to matter does not add substance to matter, but
reason.
物質に関する可能性(効能/能力)は、物質に実体を加えませんが、理性を加えます。


トマスによる45の結論

テーゼ17:
2.1. Si spiritus a filio non procederet, a filio non distingueretur.
2.1. If the Spirit did not proceed from the Son, it would not be distinguished
from the Son.
もしスピリット(霊)がその息子(i.e.キリスト)から派性しなかったのなら、それはその息子から分別されなかったでしょう。

テーゼ18:
2.2. Processus spiritus sancti temporalis attenditur secundum dona gratiae gratum
facientia.
2.2. The temporal procession of the Holy Spirit is extended with the gifts of
grace making one gracious [to God].
神聖なスピリットの一時的(現世的)な進行は、気品/美点のギフトと共に延長され、人を[神へ]丁重にします。

テーゼ19:
2.3. Contingens rerum quae sunt^ erunt^ aut fuerunt^ existentia ideo deo ab
aetemo fuit infallibiliter nota, quia fuit aetemitati eius praesentialiter praeposita.
2.3. The contingent existence of things that are, will be, or were, has been
known infallibly to God for all eternity, because it was set out presentially in
his eternity.
存在する、存在するであろう、または存在した物事の偶発的な存在は、永遠に神に必ず知られ、何故ならそれは彼の永遠の中で現在的に開始されるからです。

テーゼ20:
2.4. Contingentia ad utrumlibet futurorum cognitorum a deo simul stat cum
infallibilitate diuinae scientiae.
2.4. Contingency in respect to future events known by God is consistent with
the infallibility of divine knowledge.
神によって知られる未来の出来事に関する偶発は、神聖な知識の間違いの無さと共に一貫的です。

テーゼ21:
2.5. Quodcunque contingens deus sciuit esse futurunij_ necessario sciuit illud
esse fiiturum.
2.5. Everything contingent that God knew would happen, he knew necessarily
that that would happen.
神が起こるだろうと知っていた全ての偶発は、それが起こるであろうと神は必然的に知っていました。

テーゼ22:
2.6. Ex diuina bonitate potest sumi ratio praedestinationis aliquorum et
reprobationis aliorum, et sola diuina uoluntas est ratio quod istos reprobet et
illos eligat in gloriam.
2.6. The reason for the predestination of some and the rejection of others can
be located in God's goodness, and the divine will alone is the reason why he
rejects those and elects the others to glory.
幾らかの者達の運命予定(昇進/アセンション)と、その他の者達の拒否(転生/来世)のための理由は、神の善の中に位置し、そして神聖な意志唯一が、神が何故、ある者を否定し、そしてある者を栄光へと昇進させるのかの理由です。

テーゼ23:
2.7. Licet dei uoluntas consequens semper impleatur, non tamen necessitatem
rebus uolitis generaliter imponit.
2.7. Granted that God's will subsequent to an act is always fulfilled, it does not
impose necessity universally on those things willed.
一つの運動/活動/実行に続く神の意志は常に満たされる/実現されるとしても、それは意志されたこれらの物事に宇宙的/統一的な必要性を強要しません。

テーゼ24:
2.8. Nee habens gratiam potest^ etiam de potentia dei absoluta_^ deo non esse
acceptus ad uitam aetemam, nee non habens esse acceptus.
2.8. Neither can one who has grace, even through the absolute power of God,
not be accepted by God to eternal life, nor can one who does not have it be
accepted.
気品を持つ者、持たない者のどちらも、神の絶対的な力を通してでさえ、神によって永遠の生命へと受け入れられる事は出来ません。

テーゼ25:
2.9. Opus ab anima charitate formata elicitum meretur aetemam gloriam
deeondigno.
2.9. A work elicited from the soul shaped by charity merits eternal glory
through its worth.
慈善/慈愛によって形作られた魂から引き出された働きは、その価値を通して永遠の栄光に値します。

テーゼ26:
2.10. Potuerunt tres personae diuinae simul suppositare unam naturam.
2.10. The three divine Persons were capable of simultaneously assuming one
nature.
3人の神聖な人達は、同時に一つの本質に成る能力がありました。

テーゼ27:
2.11. Virtutes morales et cardinales remanebunt in patria post resurrectionem.
2.11. The moral and cardinal virtues will remain in heaven after the Resurrection.
モラル(道徳)とカーディナル・ヴァ―チュー(7つの卓越した徳のうちの1つ)は転生/復活の後、天界に残ります。

2.12. Beatitudo est essentialiter in actu intellectus.
Correlarium: Nee fruitio, nee aliquis aetus uoluntatis, est essentialiter beatitudo.
2.12. Beatitude exists essentially in an act of intellect.
Corollary: Neither enjoyment, nor any act of will, is essentially beatitude.
至福は本質的に知性の運動の中に存在します。
結論:喜びも、どんな意志の運動/行動も、本質的に至福ではありません。

テーゼ29:
2.13. Sacramenta noue legis sunt eausa gratiae, non solum sine qua non, sed
per quam.
2.13. The sacraments of the New Law are the cause of grace, not only as its
necessary condition, but as its means.
新法の秘跡(サクラメント)は、その必然的な状態としてのみでなく、その方法として、気品の原因です。

テーゼ30:
2.14. Verum eorpus Christi est in eoelo loeaUter, in altari sacramentaliter.
2.14. The true body of Christ exists in heaven locally, on the altar sacramentally.
キリストの真の体は位置的に天界に、祭壇上では秘跡(聖体/サクラメント)的に存在します。

テーゼ31:
2.15. Impassibilitas corporum post resurrectionem erit ex pleno dominio animae
super eorpus.
2.15. 1486 domino | 1487 dominio
2.15. The inability of bodies to suffer after the Resurrection will follow from
the soul's full domination over the body.
復活/転生の後の体の苦しむ能力の無さは、体の上の魂の完全な支配から続きます。

テーゼ32:
2.16. Christus in ultimo iudicio iudicabit non solum in natura humana, sed
etiam secundum naturam humanam.
2.16. Christ in the Last Judgment will judge not only in human nature, but
also according to human nature.
最後の審判におけるキリストは、人間の本質のみにおいて審判するだけでなく、また人間の本質に沿って審判します。

テーゼ33:
2.17. Licet defendi possit quoquomodo creaturam posse creare, rationabilius
tamen est credere potentiam creandi creaturae communicari non posse.
2.17. Granted the proposition that a creature can create can be defended in
some way, it is more rational to believe that the power of creation cannot be
communicated to a creature.
生き物は創造出来ると言う提案が何らかの方法で防衛出来るなら、創造の力は生き物に伝達出来ないと信じる方がより理論的です。

テーゼ:34
2.18. Aeuum est subiectiue in angelo beatiori.
2.18. Aevitumity exists subjectively in more beatified angels.
より天福/美化させられた天使達の中に、時間と永遠の中間の状態は、主観的に存在します。

テーゼ35:
2.19. Non potest esse peccatum in uoluntate, nisi sit defectus in ratione.
2.19. There can be no sin in the will, unless there is a defect in reason.
もし理由/理性において欠陥が無いのなら、意志の中に罪がある事は出来ません。

テーゼ35:
2.20. Non potest per dei potentiam idem corpus esse simul in diuersis locis.
2.20. Not even through God's power can the same body exist simultaneously
in different places.
神の力を通してでも、同じ体が異なった場所に存在する事は出来ません。

テーゼ36:
2.21. Non est sub eadem specie angelorum plurificatio.
2.21. No multiplicity of angels exists in the same species.
同種の中に天使達(アングル/角度)の複数/多様性は存在しません。

テーゼ37:
2.22. Deus per speciem non uidetur, sed ipse per suam essentiam intellectui
applicatur ut species intelligibilis.
2.22. God is not seen through an image, but through his essence he is accommodated
to the intellect as an intelligible image.
神はイメージを通して見られるのでは無く、彼の本質/エッセンスを通して彼は、理解出来るイメージとして、知性に理解されます。

テーゼ38:
2.23. Vnum supra ens non addit nisi priuationem diuisionis.
2.23. The one adds nothing to being except privation of division.
人は分離の没収以外に存在/あり方に何も加えません。

テーゼ39:
2.24. Subiectum et propria passio realiter distinguuntur.
2.24. A subject and an accident proper to it are really distinguished.
主格/主題とそれに相応しい偶然は、本当は分別されます。

テーゼ40:
2.25. Forma generatur per accidens.
2.25. Form is generated accidentally.
形状は偶発的に派生させられます。

テーゼ41:
2.26. Materia signata_est principium indiuiduarionis.
2.26. Specified matter is the principle of individuation.
特定化された物質が固体化の原則です。

テーゼ42:
2.27. Eadem est numero qualitas a principio alterationis usque ad finem.
2.27. A quality remains the same in number from the beginning to the end of
an alteration.
一つの改変の始めから終りまで、数において質は同じままです。

テーゼ43:
2.28. Tota libertas est in ratione essentialiter.
2.28. All freedom exists essentially in reason.
全ての自由は、本質的に、理性の中に存在します。

テーゼ44:
2.29. In generatione substantial fit resolutio usque ad materiam primam.
2.29. In the generation of substances decomposition occurs all the way to
prime matter.
物質の発生において、腐敗は主要な物質/創始の物質(元素)まで起こります。

テーゼ45:
2.30. Ens dicit immediate decem conceptus ita inter se unitos ut non unius
sint, sed ad unum.
2.30. Being immediately signifies ten concepts so interunited that they are not
of one thing, but refer to one thing.
存在はとても相互的に統一された10の概念を一瞬に象徴するので、それらは一つのもの/事ではなく、一つのもの/事に言及します。

テーゼ46:
2.31. Essentia et existentia in quolibet create realiter distinguuntur.
2.31. Essence and existence are really distinguished in everything created.
創造された全てにおいて、本質と存在は本当に分別されます。

テーゼ47:
2.32. De eadem re nuUo modo actu distincta extra animam possunt uerificari
contradictoria.
2.32. Contradictions that are actually distinct outside the soul can in no way
be verified of the same object.
実際に、はっきりと魂の外側の矛盾は、同じもの/対象だと確認する事は出来ません。

テーゼ48:
2.33. Materia nullum dicit actum entitatiuum positiuum.
2.33. Matter in entities does not signify any positive state of act.
実体の中の物質は、運動の陽的な状態のいずれも象徴しません。

テーゼ49:
2.34. Nulla uirtus moralis praeter iustitiam est subiectiue in uoluntate.
2.34. No moral virtue except justice exists subjectively in the will.
意志の中に正義以外の主観的な道徳は存在しません。

テーゼ50:
2.35. Haec propositio: Homo est risibilis, non est in secundo modo / dicendi
per se.
2.35. This proposition: Man is capable of laughter, is not in the second mode of
speaking per se.
この提案:人は笑う事が出来る、は、本来、話す事の第二モードではありません。

テーゼ51:
2.36. Duo accidentia solo numero differentia non sunt in eodem subiecto.
2.36. Two accidents differing only in number cannot exist in the same subject.
数字においてのみ異なる2つの偶然は、同じ題材/対象の中に存在する事は出来ません。

テーゼ52:
2.37. Grauia et leuia a nullo alio motore mouentur quam uel a generante uel
a remouente prohibens.
2.37. Heavy and light things are moved by no mover other than one imposing
or removing a restraint.
重いものと軽いものは、静止を課す、または解く、動力によって動かされます。

テーゼ53:
2.38. Grauia potius seipsis, quam a seipsis mouentur.
2.38. Heavy things are moved more with themselves, than by themselves.
重いものは、それら自体によってよりも、それらと共に、より動かされます。

テーゼ54:
2.39. Phantasma est agens secundarium et instrumentale in productione speciei
intelligibilis.
2.39. A phantasm is a secondary and instrumental agent in the production of
an intelligible image.
ファンタズム(知覚の中にしか存在しないもの)は、理解出来るイメージの産出の中の、二次的で道具的な媒体です。

テーゼ55:
2.40. Difficultas intelligendi et ex parte ipsius intellectus et ex parte ipsius intelligibilis
prouenire potest.
2.40. Difficulties in understanding can originate both from the part of the
intellect and from the part of the intelligible object.
理解における難しさは、知性の部分と、理解出来る物体/対象の部分の両方から起因する事が出来ます。

テーゼ56:
2.41. Potentiae animae ab anima realiter distinguuntur.
2.41. The powers of the soul are really distinguished from the soul.
魂の力は、魂から、本当に分別されます。

テーゼ57:
2.42. Quiditates in particulari a methaphysico non considerantur.
2.42. Individual quiddities are not considered by the metaphysician.
個々のクイディティーは哲学者達によって考えられません。

クイディティー=(物の)本質, 実質[体], 〔哲学〕「何であるか」ということ, 通性原理,揚げ足取り, 屁理屈,目立った特徴;変った癖

テーゼ58:
2.43. Implicat contradictionem, materiam esse sine forma.
2.43. For matter to exist without form implies a contradiction.
形状(form)無しで存在する物質(matter)が示唆するのは矛盾です。

テーゼ59:
2.44. Non est ponenda in deo idea materiae primae.
2.44. The idea of prime matter should not be posited in God.
主要要素のアイデアは、神に仮定されるべきではありません。

テーゼ60:
2.45. Non sunt ponendae ideae generum.
2.45. Ideas of genera should not be posited.
類属のアイデアは仮定されるべきではありません。

フランシスによる8つの結論

テーゼ61:
3.1. Ideo haec est falsa: Essentia generat, quia essentia est ultimate abstracta^ et generat formaliter praedicatur.
3.1. This is false: The essence generates, because the essence is totally abstract,
and generates is predicated formally.
これは間違いです:本質(エッセンス)が発生するのは、本質が完全に抽象的だからで、そして発生は形状的/正式に断定/形容されます。

テーゼ62:
3.2. Potest uideri essentia sine penonis, et una persona sine alia.
3.2. The essence can be seen without the Persons, and one Person without
another.
その本質は、人々がいなくても、そして人が一人しかいなくても、見られる事が出来ます。

テーゼ63:
3.3. Voluntas potest non frui ostenso obiecto fruibili.
3.3. The will is able not to enjoy when shown an enjoyable object.
その意志は、楽しめる物体/対象を見せられた時に、それを楽しまない事が出来ます。

テーゼ64:
3.4. Ens denominatiue dicitur de deo.
3.4. Being is predicated of God in a derivative way.
存在/あり方は、派生的な方法において、神の断定/基づきです。

テーゼ65:
3.5. Quiditates habent ab aetemo suum esse formale a se, non ab extrinseco.
3.5. Quiddities possess their formal existence from eternity from themselves,
not from something outside themselves.
クイディティーはそれらの形状的/正式な存在を、それら自体からの永遠性から有し、それら自体の外側のものからではありません。

テーゼ66:
3.6. Nulla diffinitio adaequat difEnitum.
3.6. No definition is adequate to the thing defined.
定義されるものへの十分な定義はありません。

テーゼ67:
3.7. Pluralitas formalitatum stat cum idemtitate reali.
3.7. A plurality of formalities is consistent with real identity.
形状/形式性の複数性は、本当の正体と一貫的です。

テーゼ68:
3.8. Esse non est de quiditate dei, sed dicitur de eo in secundo modo.
3.8. Existence does not belong to the quiddity of God, but is predicated of
him in the second mode.
存在/あり方は神のクイディティーに属せず、第二のモードにおいて彼に基づかされています。

ジョン・スコタスによる22の結論

テーゼ69:
4.1. Charitas non est distinctus habitus ab habitu gratiae^ quo mediante spiritus
sanctus animam inhabitat.
4.1. Charity is not a distinct habit from the habit of grace, through the
mediation of which the Holy Spirit inhabits the soul.
博愛は、優美/神の恵みから異なる習慣では無く、その瞑想を通して神聖なスピリット(霊)は魂(soul)に宿ります。

つづく・・・?

神の太陽達

サントス・ボナチのお薦め本より:
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SUNS
OF
GOD
神の太陽達
KRISHNA, BUDDAHA and
CHRIST UNVEILD
クリシュナ、ブッダ、そして
キリストが明かされた

by ACHARY S.
アーチャーリー S. 著


目次:
1. 前書き/紹介
2. 太古の人々の宇宙神学
3. 神、太陽
4. 太陽の万神性
5. クリシュナの生涯
6. 主、太陽であるクリシュナ
7. クリシュナは処女からの生まれ?
8. クリシュナの誕生日
9. クリシュナは磔にされた?
10. ブッダの生涯
11. 世界の光であるブッダ
12. 「歴史的イエス」?
13. 神の太陽であるイエス・キリスト
14. 神秘/謎的な同胞団(Brotherhood)
15. まとめ
参考書目
インデックス


前書き

「異端児、不信心者、無神論者、等々の非難の罵倒は、これらの講義がその手に落ちるかも知れない全ての激しい偏狭的な偏屈者達によって、これらの講義の筆者に対して上げられるでしょう。ですが彼唯一が彼の本質を見捨てる者であり、全ての経験と矛盾し、そして彼自身の感覚と理性の証言に対峙して立つ、途方もなく士気をくじく伝説への信仰へと、彼のマインドを諦める真の不信心者です。」 - キリスト・カルトの神話が明かされた、1842年

「オーソドックス(保守的な正統派/通説)の教えは全くの誤りで、彼等は真実を口にする事を神聖冒涜とし、そして全ての真実の主張者達を神聖冒涜者とします!彼等の野蛮な神学に反対すると、貴方は無神論者として告発されます。彼等の信仰の過ちを暴露すると、貴方は全てにおいての不信心者です。彼等の奇跡を否定すると、彼等は貴方の道徳を地獄に落とします。」 - ジェラルド・マッセイ(ジェラルド・マッセイの講義

西洋の世界が、その新たな千年を始める間、宗教的な理解についてはあまり変わらず、そして世界は一般的に、信仰の線に沿って大まかに分離され続けます。これらの信仰の改宗者達、主唱者達、そして扇動(プロパガンダ)者達は、文化を廃墟と化し、マインドを破壊し、そして崩壊を招いた体と魂についての、終わり無き宗教的な綱引きをし続けます。それはまた、プライバシーにも侵入し、個人の権利の上の至る所を踏みにじります。宗教は恐れと不安によって動機を与えられ、人々は孤独、無力さ、そして忘れ去られた事を感じないために、神、イエス、クリシュナ、ブッダ - 何かを、それが何であれ、信じたいと欲します。生命/人生/生活は、地球上の無数の場所において、非情で、サド的な虐待です。この事実は、一体全てについての全体責任を持つ善い神はいるのか否か、最初の時点で宗教には価値があるのか否かについての、多くの問いを創造するべきです。ですが、悲劇を目の前にして、理性と理論は、何処か「外側」にある、その他の何か(神)を信じる事を必死に必要とする無力さに勝る事に失敗します。この見識が明かすのは、神が人気のある概念なのは、人々が理性的に考え通し、それが真実であると証明したからではなく、人々は、その逆の概念に恐怖しているからで、もし神がいないなら、全ては無駄/無価値のためだからです。

davinciのzodiac

神と宗教の概念は、主に民族、性別、言語、そして環境に基づいた、異なった詳細と解釈を持った、文化的なコンテキストの中で、それらが発達してきたと言う感覚において、数千年を超えて大いに変化しました。故に神の信仰ではなく、女神信仰が世界的に様々な地域で数千年圧倒的で、そして神々と女神達は、それらが発達させられた文化と同じ肌の色で、精神性で、同じ言語を話しました。これらの違いは、種々様々な宗教、宗派、カルト等々の狂信者達が、彼等自身がその他の全てより優れていると信じ、その他の全ての者達に、彼等自身(の信仰)を強要させようと試みたので、物凄い量の苦しみと恐怖に繋がりました。

宗教の流動性について、著名な学者、マックス・ミューラーはこう述べました:

・・・宗教は空中に浮き、それぞれの人が好きなだけ取り入れる、または出来るだけ取り入れません。

私達は故に、一つで同じ部族からの宗教の異なった宣教師と旅人によって与えられた説明が、時折、白と黒程、お互いから異なっているのかを理解します。その同じ部族には光の天使と卑猥な悪党があるかも知れませんが、両方がヨーロッパ人の旅人によって、彼等の宗教に関して非難出来ない権威と考えられたでしょう。


それ自体を頻繁に非論理と盲目的な信仰に基づかせる宗教の分野で、論理を論議するのは殆ど役に立ちませんが、人は「全知全能(omnipresent)」の神が - つまり、everywhere present(何処にでも存在している)」神が - どう一つの宗教、またはもう一つの中に、納まらせる事が出来るのかを尋ねなければなりません。もし「神」はオムニプレゼント(何処にでも/全てに存在している)なら、すると「彼」は、神聖であれ非宗教的であれ、全ての思想と記述/文書の中にいる事になります。もし「一神教」のオムニプレゼンス(全知全能)の前提が正しいなら、無神論者の記述でさえ「神のもの」でしょう。現実には、一神教と多神教の間の線はとてもわずかで、信者のマインドの中だけに存在します。神論と無神論間の違いもまたとてもわずかです。実に、人のマインドは、一神教的、多神教的、万神教的、そして無神論的の全てに、同時に成る能力を有します。

熱狂的な信者と筋金入りの無神論者の間では、後者の方が頻繁に、より知識豊富で、神の題材を理性と誠実さを通して考えた上で、一神教の宗教において描写されるその様な存在が、存在出来る可能性は無いと結論します。もし全てにおいて責任ある何らかの全知全能の神がいるなら、何故、この世界には多くの痛みや残虐がある事が出来るのかと言うパラドックスに直面されると、盲目的な信者は、この主張された創造主のために、言い訳をする事しか出来ません。例えば、神は全知全能とされるのに、悪魔はどうにかして彼を上回ります。そしてもし全てに浸透的、つまり何処にでも存在するなら、彼は悪魔の中にもまた存在しなければなりません!実際に神は、悪魔でもなければなりません。幾つかの文化においては、彼はそうです。例えば、旧約聖書の神、ヤーウェイ(Yahweh)は論理的に、彼は全能なので、悪の指揮者であり、善の指揮者でもありました。

悪魔を除外した、より精巧な論議は、この頃の社会のより賢明な一部から、くすくす笑いを発生させる傾向がある概念ですが、神は、全てのこの恐怖とトラウマで、私達を「試して」いると言う事です。常に、彼の取るに足らない小さな生き物達を、苦しめさせ拷問する酷い神のこの概念は、正に無神論者達を創造するものです。この惑星の生命を苦しめた残虐行為が「善き」神の産物と考えるのは、思考して感じられる人にはとても困難です。言い換えると、全知全能の「善き」神であり、それでもなお残虐行為を止めるのに無力な神、または実際に邪悪の建築者(計画者)で、不正直と、誠実さの欠落を創造する事を、止める事の出来ない神という、矛盾的な概念です。更に加えて、この残忍性の殆どは、実際に、そもそも神を信じた故に起こりました。

宗教の不寛容性

今日のこの時代において、世界がより小さく成る中、宗教は、人間の問題における最も重要で、激しく不安定なものの一つなので、それにおける調査と教育の必要性は益々増加します。歴史を通して、極少数の時代と場所を除いて、支配的(大多数)な宗教と異なる信仰の人々(少数派)は無慈悲にも迫害されてきました。奇妙な事に、苦労と恐怖で悪名高いローマ帝国は、何であれ、極度な度合の宗教的な寛容を行いました。ですが、ローマよりも更に文化的と自負する文化が、定められた道と、好まれた神に続かない者達を、恐怖させ殺害しました。有難い事に、幾つかの国家は、少数派の宗教と非宗教的な自由思考者達のメンバーを、「神聖冒涜」と「異端論」のために、迫害し告訴しない基準を達成しました。しかしながら、多くの国々において、自由思考者、世俗主義者、不可知論者、そして無神論者は、世界の最も優れた賢者達がこの様な思考傾向を持っていたにも拘わらず、社会ののけ者であり追放人のままです。

今日でさえ、多くは文化的であると自負する時にでさえ、宗教の名において酷い邪悪が定期的に行われています。誰の神が、その他の誰のものよりもより大きく、そして優れているかについての現在進行形の虐殺 - 一般的に「暴力は正義」 - の他に、世界的に凄まじい文化の破壊があります。例えば、インドにおけるキリスト・カルトへの改信者達は、彼等自身の太古の文化を嫌う/憎む様に教えられ、そして韓国のプロテスタント福音伝道者カルトは、彼等の先祖達の文化の破壊を行い、ブッダ・カルトの寺院や像を燃やし、そしてモニュメンツ(人工構造物)を破壊します。宣教師達はタイに群がり、そして若者達に彼等自身の文化とその長老/年配者達を軽蔑する様に教えます。その破壊と恐怖はキリスト・カルトで始まり、終わるものでは無いのは、イスラエル、インドネシア、アフガニスタン、サウジ・アラビア、パキスタン、そしてその他の場所を一目見れば証明されます。宗教的な紛争はインドとパキスタンの間の核のやり取りにまで繋がるかも知れません。その様な戦いが起こったとしたら、世界全体が危険にさらされるかも知れません。

今日の宗教的な紛争は、過去のものと同等に野蛮で、「人間の犠牲/生贄」はより少ないと主張されますが、その惨劇と戦争は本質的に同じです。しかし、狂信者達によって頻繁に信じられているのは、彼等の間に一人でも不信心者がいれば、自然災害やその他の苦しみと言った形で、神の怒りがもたらされると言う事です。故に、これらの狂信者達によると、信じぬ者は死に処されるべきで、そして頻繁にそうされます。これは神をなだめるための生贄ではないのでしょうか?そして何千人もの死に繋がる宗教的な戦争のどれが、大規模な人間の生贄ではないと言えるのでしょう?フランスの学者で修道院長であるチャールズ・デュピュイー(Dupui)が全ての宗教的な信仰の起源の中で観測した様に:

「私達の現代の宗教は、彼等の生贄においてそれ程酷くないのを、私は完璧に自覚していますが、例え神の尊敬のために人々が殺害されるのがドルイド(非ユダヤ・キリスト・カルトの土着信仰の識者/祭司)の祭壇であれ、ヴァンディーの草原(i.e.戦場)であれ、宗教によって扇動されるなら、何の違いがあるでしょう?彼等がモーロックの像の前で焼かれようと、宗教裁判/魔女狩りの火刑の束の上で焼かれようと、違いはあるでしょうか?その罪は常に同じで、そしてそれに繋がった宗教はそれでもなお、社会に必須な組織で、その様なホマージュに彼が嫉妬すると推定する事は、神の激怒に成るでしょう。ですがもし彼が、とても多くの人類の血が代償に成る崇拝を大いに嫌うなら、彼は私達の理性を退化させるものを好み、そして彼を呼び起こす偽物(i.e.神官/官僚)の意志によってワフター(煎餅)の欠片へと、呪文によって降臨させられると、信じる事が出来るでしょうか?彼(神)が与えられる最も美しい贈り物として、彼(人)に理性を与えた彼(神)が、最も愚鈍な軽信と、神の名において、彼(人)に与えられた馬鹿馬鹿しい逸話への、盲目的な自信によって、彼(神)は彼(人)がそれ(理性)を汚す事を必要とするでしょうか?

「ですが人に信仰を確立せよと指令したのは必ずしも神ではありません。それは人自身であり、彼は、彼自身の利益のためにそのアイデアを考えつき、尊敬と感謝よりも、欲望と恐れが全ての宗教に生を与えました。もし神々、または彼等の名における神父達が、何も約束しないなら、その寺院は直ぐに空っぽに成るでしょう。」

何千年を超えて神と宗教の名の下に犯された、数え切れない暴虐の中に大きくぼんやりと現れるのは、人間の生贄の実施です。この血塗られた、そして一般的な儀式は、略奪するキリスト・カルトの軍隊が、文化破壊を正当化する事を許し、世界中の多くの国々で民族虐殺を許し、アメリカ大陸におけるもの(先住民虐殺)も、その主要な例として含みます。言い換えると、キリスト・カルトの軍隊は、人間の生贄を止めるために、何百万人もの人間達を生贄にしました。加えて、旧約聖書の神は、平和と愛の模範などでは決してなく、聖書の中で楽しそうに、自慢げに述べられた暴虐のリストは実に長いです。英国王室付きの医師、トマス・インマンが太古の信仰と現代ので明言する様に:

「・・・ヘブライ達の中で、メキシコの戦争の神と一致する神で、「今、行ってアマレク族を打ち、そして彼等の持つものを完全に破壊し、男も女も両方殺し、赤子も乳飲み子も殺し、牛も羊もラクダもそしてロバも殺せ!」(1サムエル15:3)とサウルに伝える事をサミュエルに委託した時のエホヴァ・サバス程、血塗られた命令を普及させた人間の王はいたでしょうか?民数記31の中で語られているミディア族の完全な破壊と比べると、聖戦騎士団(十字軍)によって行われたユダヤ人、トルコ人、そして異教徒達の恐ろしい虐殺を述べる価値は殆どありません。

「・・・そして確かに、とても多くの人達によって、私達の中の唯一の信仰のルールとして宝にされている私達の聖書のページの中に、とても酷い宗教的な虐殺の詳細が見つけられ、迫害の教訓に溢れている時、私達はメキシコの生贄について言い過ぎるべきではありません。アガグを木端微塵にたたき切ったサミュエル(1サムエル15:33)程、残忍なアステカの大臣(神官)はいたでしょうか?メキシコ人は彼の被害者に慈悲深かったですが、ヘブライ人達は、段階によって(徐々に)犯罪者を殺す現代の中国の刑執行人の様です・・・」

「キリスト・カルトの信者達は、メキシコの住人達に石を投げつけるには、彼等自身の間に罪を持ち過ぎであるのは確かでしょう。

「私達は正に聖書の中に、アステカの残忍性の恐怖との、とても強い相殺を見つけますが、それを私達は、私達の宗教世界の大黒柱とします。例えば、メキシコの王が、戦争で捕えられた千人、または一万人の男達を生贄にするのと、モーゼスがカナーンの住人達の撲滅を命じ、ヘブライの信者達の性欲を満足させるためだけに、三万二千人のミディアン族の処女達を救った事の間の、本質的な違いは何でしょう?再び、以前の王の7人の息子達が被害者として差し出されるまで、ジュダからその怒りを引かせなかったデーヴィッドの神を、私達はどう言うべきでしょう?そして最後に - 更により酷い思考ですが、エホヴァ自身が、彼自身の息子を非情な死によって生贄にしたと言う、キリスト・カルトの原理的な教義に、そして唯それだけでなく、彼(エホヴァ)は、地球人の女性と性交して、そして故に彼女によって息子を得て、その唯一の目的は彼(その息子)の殺人をもたらすためだったと言う原理的な教義に、私達は何を言わなければならないのでしょう?」

更に加えて、メキシコ人達によって行われた多大な野蛮行為があったのは確かですが、スペイン人のプロパガンディスト(扇動者)達が、その野蛮性を、彼等自身が行った残虐性を正当化するために、大袈裟にしたと非難され、それ(スペイン人の残虐性)については、彼等はとても技術に優れていたと彼等自身の記録に描かれています。

聖書の(残忍な)優越性について、インマン医師は続けます:

「どうすれば理性的な人が、シリア人、カルデア人、アッシリア人、ローマ人、トルコ人、タタール人、サラセン人、マホメット(イスラム)人、ヒンドゥー人の暴虐の全ては悪魔の扇動だという意見を持つ事ができ、そして善き神が世界全体と、そして生命をもつものの殆ど全てを溺れさせ、ミディア族とアマレク族の撲滅を命令しただけでなく、彼がエジプトから導き出した全ての人々を、彼等が戦争への自然的な恐れを持っていたからといって - 2名を除いて - 虐殺したと信じられるでしょう?ジェリコとその他のカナーンの街々に比べれば、カウンポァの惨殺など何だったのでしょう?」

宗教に基づいた非寛容性と優越主義はユダヤ・カルトとそれに続いたキリスト・カルトによって完璧化され、それは意図的に偏見的な思想であると証明しました。例えば、「ペイガニズム」の定義において、カトリック(ローマン・カルト)の大辞典(「CE」)は、それが「真のもの(i.e.カトリック)以外の全ての宗教」と明言します:

「ペイガニズムは、その最も広い意味において、神によって明かされた真のもの以外の全ての宗教を含み、より狭い意味においては、キリスト・カルト、ユダヤ・カルト、そしてイスラム・カルト以外の全てです。」

このペイガンと「真ではない」宗教のリストは、CEによると、「バラモン・カルト、ブッダ・カルト、そしてミトラ・カルト」も含みます。ローマン・カルトのより崇高な特徴とペルシャ人/文化の「高度な抽象性」の概要を載せた後、CEは更に述べます:

「正に正反対で、そして悲惨なのは、思想的なヒンドゥーの傾向で、彼自身を万神主義の夢、自己絶滅、そして神聖な統ーの中で失います。特に(神聖な気品と献身の神)ヴィシュヌと(近年の傾向によって奇妙にもキリストと同化されてきている神)クリシュナの崇拝で・・・」

CEは故に、その万神(多神)主義(i.e.何処にでも存在する神/全知全能の意)とその神聖なもの(神)との統―を有する東洋宗教は「悲惨」だと明言します。言い換えると、神を(人から)分離し、人がそれ(神)と統一する事を許さない方が善いと言う事です!実際において、「サタン」は神の敵または正反対を表すので、その様に分離して惑わす勢力は「サタン的」と考えられなければなりません。また、その他の創造から完全に分離して別々な、巨大な人型の男性の神が - 矛盾的に何処にでも存在する/全知全能と考えられるけれども - 苦しめられて無残に殺されるためにこの地上に立ってきたと教えるものがより優れた思想でしょうか?

加えて、ヒンドゥーの神、クリシュナとユダヤ的な神、キリストの間の類似性をわずかに認識する間、その神が「奇妙にも近代の傾向によってキリストと融合されている」とCEは主張しキリスト・カルトによって、より古い「ペイガン」のカルトからの剽窃(拝借)行為の非難を避けるためにサボタージュします。現実において、キリスト・カルトは再編集されたペイガニズムで、そしてW.R. ハリデイが初期のキリスト・カルトのペイガン的な背景の中で言う様に、「ペイガン的な思考と文学の、同情的な理解に欠ける者は、現代のキリスト・カルトについての本質的な価値を、私達に何も伝えられません。」

宗教によって教えられた、世界を圧倒する非寛容性と憎しみは、信心とスピリット(霊)性のアンチテーゼ(正反対)です。キリスト・カルトの神話の中で、ジョージ・エヴァリーは、もう一つの信仰を発見した時の典型的な反応を描写します:

「その一つは、それ自体の神話と、神聖な法の神聖な真実を強く主張し、それ以外のもの全てに軽蔑を注ぎ、そしてそのもう一つは、全てが不完全である事、その幾らかはその他のものより、より歪められていますが、神秘/謎的な現実の象徴的な表現を許します。最初の取り組み方は、ユダヤ人達に特徴的で、そしてそれ程までではないが、他の国々を野蛮人としてみなす、ギリシャ人達と中国人達にも当てはまります・・・

「西洋が最初(前者)の道を進み、東洋が二番目(後者)の道を進んだと言うのは、大まかに真実でしょう。」

東洋は、その「奇妙な融合」と共に、西洋より、より寛容で包括的です。東洋であれ西洋であれ、しかしながら、宗教的/信仰深いと呼ばれる人々は、頻繁にエゴ的で、傲慢で、そしてうぬぼれ/独断的です。神は全知全能なのですから、元々手助けなど必要が無く、その神官階級はその大部分において、「神に奉仕」するために創造されたものではなく、特定の人達(男達)を肉体労働と骨折り仕事から解放するためのものです。彼等の自由な時間と共に、神官(官僚)達は、彼等自身を教育する事ができ、大衆を食い物にする/利用する/徴取するために、大衆の頭の上に彼等の屁理屈/出鱈目を保ちます。 Dupuisが述べた様に、「人々の信じやすさ/騙されやすさは豊かな鉱脈で、それを求めて誰しもが争い/競います。」

もう一つの最もらしい論議の中で、「奇跡」とそのために死ぬ意志のある人達の数に基づいて、宗教はより「優越」でより「正真正銘」だと決定されると主張されます。キリスト・カルト信者によって頻繁に使われる「殉教者」の論議に関して、ウォルター・カッセルスはコメントします:

「全ての宗教はその殉教者を有し、全ての過ちはその献身的な被害者を有します。彼の神への誓いにおける、何年にも及ぶ、痛みを伴う根強さの中で、その手足がボロボロになる、ヒンドゥーの素晴らしい根気強さは、バラモン・カルトの真実を証明するでしょうか?または彼等自身をJagganathの車の車輪の下に投げ出す狂信的な信者達は、彼等の信念の正しさを確立するでしょうか?何世紀にも渡って、世界の最も強い罵倒を浴び、迫害され、狩られ、そして転生、復活、そしてアセンション(上昇)の真実を、彼等が否定する事を根気強く続ける事のために、考えられる全ての方法で拷問されたユダヤ人達は、そしてイエス・キリストを彼等が拒絶する事によって、彼等の信仰の真実とキリスト・カルトの虚偽のための納得させる論議を、彼等は故に供給するでしょうか?・・・過ちと異端論の全ての種を正直に信じ、彼等の誤った信仰のために、迫害と拷問を通して死に至らしめられた人々の記録で歴史は溢れています。迷信的な狂信主義と迫害程、非柔軟的なものは無く、それを消火する代わりに、変わる事なくそれは、その伝播の最も確かな方法でした。使徒達の苦しみは、故に、彼等自身の信仰を超えた何か(信仰以上の何か)を証明する事は出来ず、そして彼等が本当に信じ、そして苦しんだのは何だったのかと言う問いは、それが聞こえる程、単純では全くありません。」

太古の時代においてさえ、論理的/理性的な批評者達は、殉教のアイデアをはなはだしいと考えました。紀元3世紀の著名な「ペイガン(非ユダヤ・キリスト・カルトの土着信仰)」の記述者、ポーフィリー(Porphyry)は、「彼等の信仰のために何千人もが拷問されるのは、神の意志にも、善き人の望みにも、相応しくありません」と記述しました。

ムスリム達は、一貫的に彼等自身を殉教させますが - キリスト・カルト信者はすると、イスラム(アラー・カルト)が「真実の信仰」だと同意するでしょうか?何百万ものペイガン達と呼ばれる者が、彼等の信仰のために死ぬ意志を有していましたが、この誤った殉教者論理によると、ペイガニズムは「真の信仰」でなければなりません!最終分析において、殉教は、信者の熱情以外の何も証明しません。また、頭に入れておくべきは、宗教的な熱狂が何であれ、その神の名の下で拷問され、殺され、そして彼等の財産を奪われ、文化を破壊された「ペイガン」の人々が、私達の先祖達であると言う事です。例えばキリスト・カルト信者達が、「異教徒」や「ペイガン」と(差別して)口走る時、彼等は私達の先祖達について、そして多くのケースでは、彼等自身の先祖達について語っているのです。この「先祖への憎しみ」は、世界中の多くの場所で、何千年も続く(先祖信仰の)風習の正反対で、私達自身の家族メンバーも含む、太古の伝統への酷い量の軽蔑に繋がりました。

更に主張されるのは、宗教には「善い事」があると言う事です。勿論、それはあります。それ程包囲的なもので全てが悪、または全てが善であるものなどありません。宗教の中の善は、人間の本質と調和的で、人間の意識の中に潜在的で、それは宗教の産物ではなく、核です。言い換えると、宗教の中の善は、既に本質的に善で、そしてそれがそうなるために宗教を必要としません。多くの人間は本質的に善で、彼等が何の宗教を信じようと信じまいと、彼等はきちんと(礼儀正しく)同情的に振舞います。加えて、一つの宗教の中に見つけられる善と道徳/道義は、その他の宗教の中にも一般的に存在し - 何千ものそれらがあり - そして非宗教的な思想の中にもあります。

その分割性、発狂性、そして大虐殺にも拘わらず、事実なのは、実質的に全ての宗教は類似した根源を有し、その違いは数百年、数千年と言う期間を通した文化的な発達に辿れると言う事です。すなわち、教義と儀式の中のこれらの違いは、ある特定の文化の中の何人かの個人または個人達をひいきし、その他の者達を省いた、何らかの全能で、全知で、そして遍在する(何処にでもいる)神によって手渡されたものではありません

破壊された過去

宗教の事と成ると、異なる(オルタナティヴな)見解は強く疑われ、そして徹底的な精密調査を受け、殆ど不可能な証明の基準を課せられますが、受け入れられている体系は、軽く手渡しされ(疑われる事無く)、証拠が殆ど無い、または全く無いのに受け継がれます。箱(通説)の外に踏み出す者達は、資格情報や参考書目をしつこく要求されますが、メインストリーム(主要な)思想の信者達は信仰以外に資格情報は要求されず、そして彼等が保護する「神聖な書物」を含めて、殆ど全く読む事を必要としないようです。加えて、宗教の調査的な研究を行う時、人は、何千年も遡る太古と、現代の様々な源泉(ソース)を使用しなければなりません。もし人が現代過ぎる研究を使用(参考に)すると、非難の叫びは「元々の源泉!(Primary sources)」です。もし人が「古すぎる」もの(資料)を使うと、批評はそれが「時代遅れ」であるとします。故に、宗教的な学者は二重の縛りを課せられ、その間、熱狂/狂信者は決して満足しません。その様なえり好みの環境において、重要な何かが今まで書かれた、または読まれたのは驚きでしょう。

より「現代」の筆者達の研究はそれでもなお、以前からあるものに基づいていると理解された時、その「時代遅れ」の論議は尤もらしくなります。学者に成るのに人は、可能な限り多くを学ばなければならず、当然、人が学んでいるのが何であろうと、それは事前からなければなりません。現在の研究は、過去の研究に基づいています。もし彼、または彼女が、過去の研究を学んでいなかったのなら、学者と呼ばれる事の出来る現代の筆者はいなかったでしょう。故に、彼、または彼女は、中傷する者達が「時代遅れ」と呼ぶ資料を使用します。真の学術は数百年、そして数千年の過去の研究に基礎づくので、それらの全ては、非理論的で不可能な基準によって「時代遅れ」と思われます。この事実を指摘する必要は無いべき、なのですが、あたかも常識は、一般的では全く無い様に頻繁に見え、そして全ての事細かな詳細、行と行の間の全ての意味は、鮮明に綴り出されなければならず、またはそうしなければ、不当表示と誤解が続きます。何であれ、真実に時間(制限)は無いので、本の古さは殆ど重要ではありません。

更に加えて、過去数世紀に発生した、宗教一般の起源、特にキリスト・カルトの起源についての時代遅れと呼ばれる学識は、今日頻繁に生産されるものより、その深さだけでなく、つり合いの取れた見解において、より優れています。より古い学識のかかす事の出来ない要素の一つは、それが既に破壊されてしまった文学/記述、図解/聖像、そしてその他の遺物の情報を保存している事で - そして、2度の世界大戦を含めて、過去三世紀の間には多大な破壊がありました。実に、太古の世界とその宗教の再構築は、時間の経過と世界中の文化の荒廃のために、難しいものでした。証拠隠滅はとても見境が無く徹底しているので、ある程度の正確性を持って何かを言える事さ、,驚きな程です。しかしながら、欠片や断片として十分なものが生き残り、少なくとも過去数千年の間に何が起こったかの善いアイデアを私達は得る事が出来ます。批評者達が「プライマリー・ソース」と大声で叫ぶ時、その騒音は実際には、その目的が、他者の宗教を大喜びで無断拝借し、彼等の産物(改竄)を「神聖な啓示(明かし)」と偽って表した共謀者達の足跡を隠すためである、この犯罪的で恥ずべき文化破壊の事実を取り上げる役割を果たします。また、その「プライマリー・ソース」の論議は、キリスト・カルトとイエス・キリストの存在についてのプライマリー・ソースは何処にあるのかと返答する事に使用する事が出来ます。使徒達とイエスの、主張される試練の目撃者である、その他の者達の実の手によって書かれた福音書の大切な元祖は何処にあるのでしょう?現存する最も初期の新約聖書は(紀元)3世紀または4世紀までしか遡りません。キリスト・カルト信者の主張を証明するプライマリー・ソースが無いだけでなく、現存する書籍は何千回も書き換えられています。

時代を通して生き残ったものの多くは、文字通り、引用の実施によるものです。故に、キリスト陰謀(暴露)論の件でそうであった様に、この本、神の太陽達も、数多くの重要な理由のために、「引用過多」です。恐らくこれらの理由で最も重要なのは、この題材が高度に議論/異論を有するので、広い分野の権威から、それらの元々の言葉で、意見を供給する事が必要で、何故なら、人々が言う様に、一見は百聞にしかずだからです。また、元祖を供給する事は「解釈/翻訳」への余地を無くし、そしてこれらの記述者達の多くはとても簡明で簡潔なので、言い換える事は殆ど不可能です。更に加えて、多くの書籍はそう多数の人々(読者)に簡単に利用可能では無く、故に、簡単にアクセス出来るために、適切なセクションが此処に再生産されます。加えて、時間の経過と共に、これらの重要な文献の数は減り続けるので、可能な限り最善の方法で、それらを保存するのは極めて重要です。繰り返すと、失われた文献の重要な部分が、幸運にもある程度、数百年、数千年を超えて、引用を通して保存されました。例えば、引用の実行が無ければ、その研究が意図的に破壊されてしまった、早期の教会への反対者達の、価値のつけられない論議を、私達は所有出来なかったでしょう。早期の教会の神父達の幾人か、特にカトリック(ローマン・カルト)の歴史家、エウゼビウス(Eusebius)は、太古の著者達から多くを引用し、そして有難い事にこれらの重要な言葉を後世に残しました。

また、数々の顕著な本が、より近代の時代に破壊され、その他の筆者達がそれらの内容を再生産していなかったら、私達はとても貴重な知識を失う処でした。西洋世界において、文献のあからさまな改竄は、既得権の関心の手によるもので、つまり聖職者(官僚)達で、これらの記述は、キリスト・カルトの超自然的な主張に害を成す情報を含んでいた事への手掛かりに成るべきでした。この改竄は宗教裁判(魔女狩り)の終わりと共に留まらず継続し、キリスト・カルトの宣教師、エドワード・モーアーの、1810年に最初に出版され、モーアーの死後のずっと後に「編集」されたヒンドゥーの万神性に起こった事がその様な例です。幸運な事に、モーアーの元々の大書は両方の世界大戦を生き残り、そして今はインドにおいて再出版されています。私達は世界中で破壊された何百万もの書籍の内容が何であったのか唯一想像するしか出来ません。私達はまた、その後に普及されたプロパガンダに頼る代わりに、太古の世界を可能な限り正確な度合で再構築する努力において、それら(書籍)が含んだものを論説する事を試みる事が出来ます。

この「深い考古学」、または過去の詳細な再構築は難しく、そして時間がかかり、骨折りな調査的、探偵的な仕事と、革新的な思考を必要とします。それはシャベルを地面に刺し、壮大で壊れていない建物を、それが建てられた年代、建設者、そしてその時代の政治、宗教、モラル、等々がどうであったかを証明する記念銘板と共に発見するのとはわけが違います。過去の再建は、基本的な事実(核心)のために、肘まで泥だらけに成り、顕微鏡の下で判定する、重労働であり、粗略で簡単なスキャンではありません。文献的な証拠の再構築もまた同様に、(パズルの)欠片を一つにまとめるために、幅広い掘り起しと刷毛によるブラッシングを必要とします。それは全てを綴り出す「元々(プライマリー)の文献」を新品同様に奇跡的に発見する様な単純な行程ではありません。この再構築は、秩序的で組織化された形式で編集され、中央図書館やCD上に一冊にきちんとまとめられて見つけられるものではありません。もしそれがそうであれば、それは既に知られているはずで、掘り返す事に意味は無くなります。そしてもし、真実が意図的に隠され、隠蔽され、または破壊されていなかったのなら、陰謀/共謀の疑いは存在する事が出来なかったでしょう。

加えて、この世界の最も強力(権力的)な人々、集団(組織)、そして文明の秘密の全てを含んでいる文献は存在しません。疑う余地無く、最も秘密的な組織、または集団は神官階級(官僚階級)で、そのブラザーフッド(同胞団)またはその他の派閥は、「超自然的」な傾向、または(神に)「鼓舞された」と信じられました。実に、人が宗教の起源の題材に深く探求する際に鮮明に成るのは、この情報の殆どは「ミステリー(神秘/謎)」と呼ばれるものを構成し、それは実際に理解しがたいもので、大衆と、訓練されていない者の目には簡単に利用可能ではない秘密を代理します。これらの神秘/謎の多くは、口伝えで、そして外国語や神秘/謎的な言語で伝えられ、それらの全ては再構築を難しいものにしますが - それは、宗教の殆どは自然現象の周りに回転し、つまり頻繁に宇宙神学的で、言うなれば太陽、月、星々、そして惑星の信仰だと私達が気付くまでです。

真実を発掘するにおいては、すると、多くの源泉(資料)が使用されねばならず、多くの科学が相談されなければなりません。最も秘密的でずる賢い集団の産物である、世界のそれぞれの宗教の件においては、象徴性と例え話、神話と儀式の理解が、過去を解きほどく主要な鍵です。筆記が一般的なものに成る以前は、知識の殆どは口伝えで伝達されると共に、神話の中、聖域(教会/寺院)の中、土器の上、そしてメイソンリー(石工/メイソン)の中で伝達されました。世界中には変わった遺物、神像、偶像、そして建物(人工建造物)があり、それらには出処証明のタグや指導マニュアルが無いので、私達の精密調査と暗号解読を必要とします。そして記述がある処では、時代、場所、そして人々のニュアンスや熟語を頭に入れた翻訳が成されなければなりません。特にもし、語られた言語、食べられた食物、着られた衣服、そして崇拝された神々から、読まれた本、政府の種類等々まで、その文化全体が良く理解されないなら、数百年そして数千年前の「(土着の)住民の様に」考える、並外れた能力は完全に掌握する事が出来んせん。その行程の難しさは、頻繁に大災害的な方法で、文化は埋められ、破壊され、隠蔽され、隠され、または失われたと言う事実にあります。それぞれの文化全体が、数百年、数千年、更に恐らく数万年と言う年月、もしくはそれ以上の間、消滅しました。多くが永遠に失われてしまった間、その他は常にとても不完全のままです。

太古の文化的な共通性

文化的な破壊がどの様に、現代世界が太古の知識を得て、「元々の源泉(primary sources)」を得る事を妨げたのかの一つの重要な例は、侵略しているスペイン人達が、ユダヤ・カルトとキリスト・カルトと殆ど同一の宗教的/統治システムを発見し驚かされた、中央アメリカに見つけられます。この類似性の事実は、気を違えたキリスト・カルトの権威達が、キリスト・カルトは「特有」でも「元祖」でもないと言う、証拠を沢山含んだ何千ものメキシコの本やコーデックスを破壊した事に繋がりました。この発見の後、この題材は、特に過去の世紀において、無視され続け、その間宗教と神話についての学術は、キリスト神話に帰属する者達による反動の後、急低下しました。

幸運にも、大規模な破壊にも拘わらず、キリスト・カルト(到来)以前のメキシコの生活の様子を復元するのに十分なものが残りました。1831年に、著名なキングスボロ卿は、古代のメキシコと呼ばれる複数の巻のシリーズを出版し、その中で彼は、キリスト・カルトとコロンブス以前(1492年以前)の中央アメリカ人達の間の数々の一致を概要しました。メキシコの神話は全知全能の神を含み、それは典型的で一神教的ま神で、インマン博士が言う様に、「目に見えず、非肉体的で、完全な完璧と完璧な純粋性の存在」です。ユダヤ-キリスト・カルトを含む、その他の文化の「多神的なー神教」と同じ方法で、この「一神」は天使達と悪魔達に分けられていました。メキシコの宗教について、ルイス・スペンスはこう記述します:

「神官達の様々な階級(種類)は、彼等が仕える幾つもの神々を、「全能なもの」、「終わりなき者」、「目に見えないもの」、「完璧さと統一性において完全な一つの神」、そして「全ての創造主と形造るもの」と呼ぶ習慣を持ちます。」

メソ(中央)アメリカのシステムに関してインマンはまたこう言います:

「この大いなるメキシコの神は、ヘブライの聖書のエホヴァ・ツェバオスと本質的に同一です・・・彼の描写は明らかに、一般的にイエスの姿として受け取られるものと同一です・・・」

メキシコとキリスト・カルトのその他の類似性は、洗礼と10月下旬の「全ての魂」のお祭りと「全ての聖者の日」を含みます。メキシコ人達が神への捧げとして40日間断食するのは、「40日間、山の上で断食した」イエスと本質的に一緒です。また、イエス(啓示2:16)とルシファー(イザヤ14:12:「夜明けの息子、ヘレル」)と同様に、メキシコの神、ケツアコアトルは「朝の星(明けの明星)」でした。更に加えて、メキシコ人達は十字を崇拝し、その上に彼等の神は磔にされました。同様に、メキシコの母(聖母)と子供が信仰され、そしてメキシコの多くのことわざは、ユダヤ-キリスト・カルトの聖書にそれらの同意義が見つけられます。加えて、メキシコの神官はカトリック(ローマン・カルト)のものと驚くほど似ていて、悔いる者の罪の告白を聞き、祈り、懺悔、そして断食を処方する「父達(神父達)」としての役割を果たしました。カトリックのものと同様に、メキシコの神官階級はそれ自体を維持するために寄付を強要し、そして神官達と修道女達は、その住民達の教師を構成しました。加えて、メキシコの人間の生贄の儀式は、聖書的なユダヤ人のものと、福音書の話しに記録されたものと、とても類似していました。

インマン博士が関連させる様に:

「罪のための償いとしての生贄の必要性は、血身泥ですが、ヘブライとキリスト・カルト信仰の両方の不可欠(エッセンシャル/本質的)な形状で、そして歴史が長きに渡って私達に教えたのは、男、女、または子供の惨殺は、古代ギリシャ人達や、その他の国々の考えにおいて、人間による創造主へのホマージュの、最も受け入れられていた形状の一つです。このアイデアは、キリスト・カルト的な神学の正に根本です・・・ヘブライ人の手紙10:12の中に、私達はこの教義が、「この男は、今までの罪の生贄を彼が捧げた後、神の右手(右側/正しい側)に座った」と言う言葉の中に実にはっきりと宣言されているのを見つけます・・・再び、ヘブライ人の手紙9;26の中には、「世界の果て/終わりにおいて、彼は、彼自身の生贄によって罪を払った様に現れる」とあり、そしてヘブライ人の手紙10:10には、「私達はイエス・キリストの体を捧げる事を通して(罪を)清められた」とあり、そして9:28には、「キリストはある時/一度、多くの者の罪を着ようと申し出た」とあります。」

これ等の文化を何世紀にも渡って破壊してきた元々の理由/言い訳を考えると、この事実は悲しくも皮肉的で、すなわち、何故なら彼等が人間の生贄を実施した体と言う事です。現実においては、その破壊は大部分において、メキシコとカトリックの文化の間の一致/類似性は勿論、略奪への探求に動機づけられていました。

何世紀をも超えて、キリスト・カルト信者達の到着のずっと以前における、遠い国々での「キリスト・カルト的」な神話と儀式の現れへの支持の多くの説明の一つは、「悪魔」がキリストを予期し、そして彼の教義を広め、よって、これら全ての、その他の話しと文化は、悪魔的であるというものでした。「悪魔が先に其処に着いた」的な策略は別としても、研究者達は、アメリカ大陸におけるこれら全ての驚くべき類似性は、ユダヤとキリスト・カルトの信者達が、コロンブスの前にその大陸に渡っていたからだと推測しました。このシナリオにおいて、手頃な「イスラエルの失われた支族」は利用され、大声で宣伝されました。幾らかの者達は、キリスト自身、または使徒の一人が、空中を通って飛んで、アメリカで宣教したとさえ主張しました。しかしながら、精密な調査が明かすのは、メキシコの文化はユダヤ、またはキリスト・カルトに由来してはおらず、そしてより早期の、キリスト・カルト以前の、そしてユダヤ・カルトの伝統以前のものを代理していると言う事です。一つに限って言うと、ヘブライとメキシコの言語には、多くの類似性はありますが、中央アメリカにはヘブライの筆記の証拠が全く無く、それが示唆するのはこれらの文化が同じルート(根源)から派生し、アルファベットが発達する以前に分岐したと言う事です。また、メキシコ人達は、「旧大陸」では広く活用され、中央アメリカに豊富にあり、原鉱から簡単に作れる、鉄の知識を持っていなかった様に表れます。「新大陸」に文化を確立したとされる「ユダヤ人達」が、彼等がより早い時代から知っていた鉄(ヨブ28:2)を使わなかったと信じるのは困難です。単純に、特定的で「ユダヤ人的」な影響の足跡は何も無く、ヨーロッパのキリスト・カルト文化に確実に辿れるものは何もありません。更に加えて、失われた支族と呼ばれる者を構成していたのはジュデア人、またはユダヤ人でもなく、幾らかの場合においては、反ジュデアの人々でした。彼等は、故にユダヤ・カルトとユダヤ文化を広めなかったはずで、逆に独特なヘブライとイスラエライトの宗教と文化を広めたはずです。現実には、「失われた支族」など存在せず、これらの文化は、ヤーウェイ的なジュデアの形成の以前と以後のカナーン/イスラエル(パレスチナ)の土着民でした。マイケル・ブラッドリーが言う様に、「パレスチナにおけるこの大いなるイスラエライト王国を発案した(でっち上げた)ために、[聖書的な]書記達とラビ達は、その住人達に何が起こったのかを説明せねばならず、ですから彼等はそれから「失われた支族」を発案しなければなりませんでした。

カトリック教会にとって、メキシコにおける彼等の神話と儀式の発見と同等に苦痛だったのは、それを、中近東から極東までのアジアにおいて発見した事でした。19世紀において、カトリックの宣教師、Huc修道院長は、アジアを旅し、其処で彼はカトリックのものに驚く程類似した風習と儀式に出会いました。彼の本、中国、タタール、そしてチベットのキリスト・カルトの中でHucは、以下の驚くべき明言をしています:

「キリスト・カルトの福音が、地上の全ての国々に次々と宣教された際に、驚きを全く興奮させなかったのは、それがあちらこちらで預言化され、統一的に予測されていたからです。神の転生である人-神(Man-God)の誕生は、人類の共通の信仰で - その下部を形成する大いなる教義は、多かれ少なかれミステリアス(神秘/謎的)で、信仰の最も古いモードに現れ、そして最も太古の宗教に遡れるかも知れません。そのメシア、救い主は、地上的な楽園において落ちた人に約束され、時代から時代へと邪魔される事無く伝えられ、そしてこの約束の保管所として特別に選ばれた国家/国体が、その実現の何世紀も前に、外国の人々の間に希望を広げ、神意の下、ユダヤ人達を扇動した大いなる革命の結果はその様なもので、そして彼等をアジア全てと世界中に散らばらせました。」

Huc修道院長は故に、基本的な福音の話しは「あちらこちらに(何処にでも)」昔から、「最も太古の宗教の中に」あったと認めました。幸運にも、Hucは、キリスト・カルトと彼の発見したこのキリスト・カルト以前の信仰との間の深遠な一致を認識するに十分に正直で、それはキリスト・カルトの非オリジナル性を証明しました。深遠でカジュアルではないこれらの類似性を説明するために、Hucは、「扇動されたユダヤ人達」がその例え話を広めたと主張し、そして彼はそれから、時代を超えて弁証者達によって繰り返し成されてきた主張を出し、つまり、これらの話しはキリストの中に実現された預言を構成したと言う事です:

「キリストが現れた時、彼が探されたのは、ヘブライ達の中、ジュデアの中のみではなく、彼はローマにおいてもまた予期され、ゴート族の中でも、スカンジナビア人達の中でも、インドでも、中国でも、特に高アジア(チベット?)でも探され、殆ど全ての宗教的なシステムは神聖な転生(太陽の復活)の教義に基づいています。メシアの到来の遥か以前に、公正さと平和の王である救世主と人の和解(太陽の死=冬から春、夏に向かう)は、世界中を通して公表されていました。この予想(四季のめぐり)はインドの神話的な文献であるプラーナに頻繁に記述されます。」

この段落は極度に啓示的ですが、明かされていないものは、「高アジア」において神聖な転生は、実際に何度も、多くのブッダ(ラーマ)とクリシュナの様なインドの神々として、既に到来しました。加えて、キリスト・カルトの宣教師がもう一つの文化の神聖な記述を「神話的な書物」と宣言し、彼自身のものを「歴史的な神の言葉」と明らかに主張するのは、プロパガンダであり、そして「私の神は貴方のより大きく、優れている」と言う幼稚なゲームです。

ブッダ・カルトとキリスト・カルトの間の類似性に関してHucはこう記述します:

「高アジアにおけるブッダ・カルトのシステムを研究した者は、その教義、道徳/道義的な教訓、そして礼拝式と、キリスト・カルト教会のものとの間の、多くの点における類推に頻繁に打たれます。これらの類似性に不信者(信じない者)は高揚され、キリスト・カルトはインドと中国の宗教的なシステムをコピーしたと直ぐに言及します。」

再び、基本的な聖書の逸話と教義は、キリスト・カルトの宣教師達の到着より遥か以前に、これらの広大で、孤立化した地域に広がっていたのが見つけられました。宣教師Hucは、疑う余地無く信心深い人で、彼に起こるであろう何か、彼に最終的に起こった何か - 宗教的な追放 - を恐れ、キリスト・カルトの無断拝借を認める事が出来ず、其処に宣教師達が到来する以前に、何故キリスト・カルト、またはその基本的な神話と儀式がアジアの国々で発見されたのかの、正反対の理由を確立しようと求めました。故に、彼は、キリスト・カルト時代の数世紀以前に、「ノアの子孫」がジュデアから広がった事が、その(宗教的な)一致の説明に成ると主張しました。

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故に、キリスト・カルトの新参者的な救い主の宗教としての地位を説明するために、その代弁者達は、それは「預言された」と言うふりの背後に隠れ、それは殆ど2,000年の間、それをしつこく悩ませた、無断拝借の非難を避けるず、る賢い方法でした。最終分析として、無知な大衆にこの救世主の宗教の「希望」を広めるために、特定の人々が「選ばれた」と言うアイデアは、文化的な偏見と優越主義を表します。事実は、キリスト・カルトの中の最も顕著な概念は、その他の数々の文化に存在し、現実においてそれらは現在(主流)の宗教的なアイデアで、彼等自身の人々の一人として、彼等の国に救い主が到来したふりをする事によって、ユダヤ・キリスト・カルトの創始者達が「預言が実現された」と決定する遥か以前に、それらは既に人々の大きなパーセンテージ(大部分)によって知られていました。

何にせよ、インドの「カリ・ユーガ」または「鉄の時代」の詳細を供給した後、宣教師Hucは、「バータ・サストラ」と呼ばれるインドの詩から、以下の興味深く、そして密接に関連する預言を更に関係させ、その(詩の)中においてインドの最も偉大な王達の内の一人、「ダルマ・ラジャ」に一人の賢者が語ります:

「すると、サンブハラの街において、一人のブラーミン(バラモン)が生まれるでしょう。これはヴィシュヌ・イェスゥ(フィッシュ・イエス/i.e.魚座)に成り、一つの単語を発音するのにかかる時間を必要ともせずに、彼は神聖な聖典と全ての科学を学び、有するでしょう。それは何故、彼がサルヴァ・ブッダ - 全ての物事を完璧の下で知る者と呼ばれる理由です。それからこのヴィシュヌ・イェスゥは、人の民族/種族と対話し、地上から罪人達を一掃し(それは彼以外では不可能で)、そしてその上(地上)で真実と正義が君臨する原因に成り、そして馬の生贄を捧げ、そしてこの宇宙をブッダの統治下にするでしょう。それでも、彼が老年を会得した時、彼は懺悔/罪の償いのために砂漠へと引き籠り、そしてこれが人々の間にヴィシュヌ・イェスゥが確立する秩序と成るでしょう。彼はブラーミン(バラモン)達の中に徳と真実を確立し、そして彼等の法の限度の中で4つのカーストを再構成するでしょう。それから最初の時代が再構築されるでしょう。その最高位の王は、全ての国々において、生贄をとても一般的にし、荒野でさえそれ(生贄)を拒まれる事は無いでしょう。バラモン達は、徳の中で確立され、宗教と生贄の儀式においてのみ彼等を雇用し、彼等は懺悔とその他の徳の原因と成り、それは繁栄するために真実の連続に繋がり、そして彼等は国外に神聖な聖典の素晴らしさを広げるでしょう。季節は不変的な秩序でそれぞれに続き、雨は時節に畑を氾濫し、収穫は時節に豊穣を注ぎ出すでしょう。ミルクはそれを熱望する者の喜びへと流れ、地上は、最初の時代と同様に、喜びと繁栄に酔い、そして全ての国々は、言い様の無い喜びを味わうでしょう。」(ヒンドゥーのカリ・ヨウンガクリタ・ヨウンガ

インドの詩人、マリカンデヤがガンジスの土手でこう歌っていた間、ヴァージル[紀元前70-19年]は、殆ど同じ振り絞りで、テベロ(川)の岸部を反響させていました。

信心深いHucによるこれらの主張は興味深いと言う以上のもので、特に驚きなのは、イエスまたはイェシュア(Yeshua/ジョシュア)が出現したとされる以前に、その神の転生の名前が「ヴィシュヌ・Yesu/イェスゥ(フィッシュ/魚座・イエス)とされた事です。ですが、このインドの「預言」はユダヤ的な思想の影響のサインを全く見せず、実に、それは純粋にインド的です。シャンバラのブラーミン(バラモン階級)に生まれ、「イェスゥ」は「サルバ・ブッダ」と呼ばれ、そして馬の生贄をし、と同時に宇宙をブッダの統治下にするでしょう?時代とカースト?これらの概念はユダヤ・カルトのものでもキリスト・カルトのものでもありません。加えて、もし私達が、受け取られた(通説の)福音の話しに対して、早期のキリスト・カルトの特定の信者達が主張した事を受け入れないなら、または30-33歳が「老年」と考えられないなら、キリストは確かに「老年を会得」しませんでした。また、このキリスト・カルト以前の「預言」において、ヴィシュヌ(クリシュナ)、イェスゥ(イエス)、そしてブッダがそれぞれと同一視されたのは啓発的です。

「悪魔」と「ノア」の言い訳に加えて、Hucのみではなく、キリスト・カルト時代に入ってたった一世紀後からの、その他多くの旅人達の、これらの様々な驚きの発見を説明するために、その教会(ローマン・カルト)は、それらが使徒達の詩化する努力の結果であり、インマンがそれを呼ぶ様に「モンスター的な推論」であると主張しました。インマンはまた言います:「しかし、より可能性が高いのは、殆ど全ての儀式、シンボル、教義、そしてその様なものを受け入れたと知られるローマ人達が、旅をしたオリエント派から、知らず知らずコピーした事です・・・」ある逸話は、聖者トマスがインドに行き、其処で彼は福音を宣教したと主張します。トマスの逸話を考慮しながら、Hucは書きます:「彼等はこの信念をインドで発見されたカルデア(語)の本に基づけます。」その修道院長はそれから「マラバーの教会の聖務日課書」を記し、「聖父、息子、そして神聖な精霊/ゴースト」について宣教した「聖者トマス」を関連させます。「聖者トマス」のこれらのインド人信者達を発見したキリスト・カルト信者達を混乱させたのは、キリストの名前と信仰の欠落と、同時に彼(キリスト)の代わりにトマスが崇拝されていた事です。Hucがまた関連させる様に:

「聖者トマスの祝日のための、同じカルデア的な行事の中に、以下のアンサム(歌)が見つけられます:

「インド人達、中国人達、ペルシャ人達そしてその他の島国的な人々は・・・聖者トマスを記念して貴方の神聖な名前へ彼等の崇敬を捧げます。」

尊敬されている18世紀と19世紀の英国の研究、アジア的な調査の中で、キリスト・カルトの学者、ウィルフォード大佐は、「聖者トマスのキリスト信者達は、Dekhiにおいてブッダ・カルト信者達として考えられ、彼等の神聖な立法者、または彼の使徒、トマスのどちらもブッダの形状/容姿であると主張されます。」この話がとても曖昧なのは、その「神聖な立法者」は明らかにイエス・キリストではなく、「トマス」自身である点で、彼はブッダと同等/同一であり、そして「使徒」ではないと言う点です。「聖者トマスのキリスト信者達」は、キリストなど全く聞いた事が無く、そして彼では無くトマスを信仰したと言う示唆は、ウィルフォードによって更に確認されます:

「数世紀が過ぎた後に[ヒンドゥー達が]インドにおいて最初に福音を宣教したその使徒と弟子をキリストの形状、またはキリスト自身として考える様に成ったのはとても可能でしょう・・・」

この正当化、つまり使徒達が言葉を広めたと言う事は、福音の基本的な話が他の国々の神話の中に現れるのかを説明出来ない者達によって多量に使用されました。実際には、しかしながら、「福音書のその他の英雄達と同様に」トマスは歴史の中に見つけられないキャラクターなので、故に、彼はこれらの話しを広めた者ではありませんでした。

「聖者トマスのキリスト信者達」が繁栄したと噂されたマラバーの海岸線は、インドの全てのヒンドゥーの王達の最も強力な一族によって統治されていたと、アラブ人の旅人達によって報告されました。「聖者トマス」の様な、一人の放浪し、貧困化した、西洋からの熱狂者が、その様な王国に何らかの影響を与える事が出来たと信じるのは不可能で、特にインドの殆どは既に同様な信仰を有し、一人の「使徒」が彼と共にもたらせられるものより、遥かに優れた知識と英知を有していた事を考慮すると、なお更です。現実においては、保守的に推量しても、2,500年前でさえ、西洋の学者達は知識と英知を会得するために、インドへ旅していました。

マラバーとその他の場所の「聖者トマスのキリスト信者達の集会」は、キリスト・カルト以前のものの様で、共通の時代の数百年、または数千年前のタムスまたはタマスと名付けられた神の周りに関連するようです。実際に、太陽は何万年も、ドゥムジ、タムズ、テム、トゥム、トム、等々として崇拝されました。その名前が「深遠/難解な」または「隠された/秘密にされた」を意味するシリアのタムズは、死んで復活する救世主神で - 「預言された」同じ存在で、つまり、キリスト・カルトが派生したとされる地域も含めて、キリスト・カルト時代の数世紀以前から、世界中の多くの地域に現存していました。信心深いキリスト・カルト信者、ジェイコブ・ブライアントが関連させる様に;

「カナーン人達は、彼等がミズライム人(エジプト人)の姉妹部族だったので、彼等の儀式と宗教において彼等(エジプト人)にそっくりでした。彼等は、エジプトの風習と同意的に、若い牝牛、または牝牛を高い崇敬におきました。彼等の主要な神は太陽で、彼等はそれを、Ourchol、アドニス、タマスと同じだったタムズ、そしてエジプトのオシリスのタイトルの下で、バアリムと一緒に崇拝しました。」

彼のヒンドゥーの万神性の中で宣教師モーアー少佐は、神秘/謎的なインドの男性的原理、ナラヤナを論議する中で、それは「始まりにおいてタマスまたは暗闇に完全に包まれている」と宣言します。この暗闇は、明らかに「タマス」として人格化され、ギリシャ語のカオスまたは「創始的な夜」と同義的で、恐らくまた、「古代エジプト人達のタウマスまたはタマス」と同じでしょう。

ストロングの用語索引によると、「トマス」と言う聖書的な言葉はアラマイック語(カルデア語)から派生し、それは順を巡ってセム語的な語源で、「双子」を意味するタ・アムから派生し、またはパークハーストの語彙集によると「暗闇」を意味します。サンスクリット語辞書の中で、「タマス」、「タマサ」、または「タアマサ」は、「暗闇、惰性、無知」を意味します。サンスクリット語における「暗闇」のためのもう一つの言葉は「クルスナ」またはクリシュナで、それはまた「デーモンの、または暗闇のスピリット(霊)の一種」です。

タマス/タマスに関して、彼のアナカリプシス(Anacalypsis)の中でゴッドフリー・ヒギンズは、太古のインドが、ある時点と場所において「タムスの岬」と呼ばれ、そしてタムス/タマスまたは「タム」のその他の変形が、黄道的な双子座の時代(i.e.双子座が春分点にあった時代/9,000年以上前)の間、太陽(そして同時に「ブッダ」の)あだ名であった事を見せました。カルデアの記述を有するインドの「トマス」信者達は間違いなくシリアック-ヘブライのタムズ信者達と関連しており、そしてポルトガル人達が後に発見し、彼等にキリスト・カルトを強要するまで、キリスト・カルト信者ではありませんでした。

説明される必要のある、キリスト・カルト以前の「預言」のもう一つの例は、キリスト・カルト的な救世主の現れの何年も以前に、著名なローマの詩人、ヴァ―ジル(紀元前70-紀元19年)が、未来のメシアと救い主を、彼のEcloguesの中で描写した事です。故に、ローマ帝国の住人の大多数は、後に歴史の中へと偽って添付(i.e.改竄)された概念に既に気付いていました。

どうであれ、キリスト・カルトがその儀式をペイガニズム(非ユダヤ・キリスト・カルト土着信仰/古代神学)のものから「借りた」または無断拝借し、それら(ペイガニズム)のものとは全く異なり、遥かに優れた「神聖な啓示」であると偽ったと言う、真逆の方向に、その非難は置かれます。このキリスト・カルトによるペイガニズムからの「拝借」の非難は新しいものなどではなく、キリスト・カルト派生の真の始まりの時代、つまり、紀元2世紀と3世紀に、非キリスト・カルト信者達から上げられていました。キリスト・カルトの最も早期の非評者達の一人は、軽妙な哲学者、セルサス(紀元180年頃)で、キリスト・カルトは「プラトン主義の退化した一種で、その中で筋の通った/道理に合ったものはギリシャの哲学者からくすねられた」と観測しました。当然、キリスト・カルト信者達は、「聖書からその教義を借りた、または盗んだ」のはペイガニズムの方だと反撃しました。故に、「主張された儀式の拝借は、近代国家主義のよく知られた武器で、行ったり来たり打ち合われ、神父達は悪魔が秘跡のパロディーを鼓舞したと推定する事によって、類似性を説明しました。

この非難の証拠は、現代の弁解者達の辛辣な批評と情熱と同様に説得力がありませんが単にそれを否定した、(カトリック/ローマン・カルトの)教会の神父達の記述の中に十分豊富に見つけられます。その様な強烈な試みは、文献の破壊、そして無翻訳と共に、今まで一般大衆がその論議に気付かないままである様に、保つ様に機能しました。セルサスの元々の文献は破壊されてしまいましたが、幸運にも彼の論議は、奇妙な事に、最終的にオーソドックス(主流)なキリスト・カルトに嫌気がさし、見捨てた、彼の主要な批判者であった熱狂的な教会の神父、オリゲンの記述の中に保存されました。元々、紀元178年頃に書かれ、そして最近になってR. ジョセフ・ホフマンによって修復されたセルサスの真の教義は、キリスト・カルトの創始者と教義の非元祖性と非論理性を証明するために、考えられるありとあらゆる論議を使用します。セルサスの鋭く、そして驚く程、近代的な研究が、早期のキリスト・カルトにとって多大にダメージ的だったのは、凄く明らかで、そのためそれを隠蔽し、その理性を人間のマインドから削除するために、膨大な努力が成されました。ユダヤ・カルトを「無断拝借宗教」と見解する事に加えて、セルサスはその子孫へと破り入り、それ(キリスト・カルト)を「怪物的な作り話」と呼びました。福音書の話しに対するセルサスの不平に含まれたのは、全能で完璧な神が、元々の時点で彼(神)が下手糞に造った創造を(あるグロテスクで無意味な方法で)「直す」ために、彼自身を乞食の様な不快な状態に、さげすませなければならなかった事の、その描写でした。

「キリスト教のカルト(信仰)は秘密結社で、そのメンバーは隅(角)で一所に集まる」とセルサスは始めます。彼はそれから、キリスト・カルトの殆ど全てはペイガニズム(非ユダヤ・キリスト・カルト土着信仰/古代神学)の中に見つけられると言う事も含む、上記された論議を続けます。これらの一致事項を彼は詳細にリストし、キリスト・カルトの奇跡を働く者の以前にあった、本質的に密接で関連的な特徴において同一、または全体的に更により強力だったペイガンの神を、次から次へ記述しました。「明らかにキリスト・カルト信者達は、イエスの処女からの生まれを捏造するにあたり、ダナエとメラニッペ、またはアウグとアンティオープの神話を使用した」とセルサスは言います。

その徹底的な方法でキリスト・カルトを批評した後、セルサスはまた、「ユダヤが神に選ばれし選民で、他の人々よりも愛されている、または彼等だけに天使達が送られ - 彼等自身のために取っておかれた、ある土地を与えられたと言うのも嘘くさいです。どの様な土地が彼等に相応しいと神が思ったのかを私達は見る事が出来ます!そして私達はどの様な種の人達がそこに住んでいるかを見ます!」と言います。見ても解る様に、ユダヤ・キリスト・カルトの現代批評と呼ばれるものは、キリスト・カルト時代の始まりから存在していました。

歴史としての聖書 - 否!

基本的な福音の話しとその他数々の主要で聖書的な話しは、キリスト・カルトとユダヤ・カルトの時代以前から、様々な文化の中に見つけられるのが現実です。このシナリオのための理由は、何らかの奇怪で血みどろな映画のループの様に、同じ「歴史」が何度も何度も様々な時代と場所で繰り返されたからではなく、その理由はこれらの話しが、世界中で知覚する事の出来る自然的で再来する現象を反映する神話だからです。数々の考古学的な発見、聖書批評、そして比較神話学に基づいた現代科学と学術は、聖書は大部分において神話であると証明しました。最も最近の発展に含まれるのは、イスラエル人考古学者、ゼ-エヴ・ハーツォグとイスラエル・フィンケルステイン、両者共にテル・アヴィヴ大学、の研究で、その後者は、ニール・アシャー・シルバーマンと共に掘り出された聖書の共同筆者です。また、以前はドイツ人とイングランド人によって占領されていた聖書批評の塞を押さえているのはデンマーク学派で、神話的な過去:聖書的な考古学とイスラエルの神話の著者、トマス・トンプソンです。しかしながら、聖書的な非歴史性は数世紀に渡り知られており、そして19世紀に特に明かされました。これらの19世紀の学者達の一人が、こう書いたインマン博士でした:

「その様な問題が証明出来る限り、私達が証明したのは、ユダヤ人達から私達が受け継いだ旧約聖書は、とても多くによって推定された様な、真実の宝庫などではなく、神によって人に与えられた啓示などでもなく、それどころか、動くものと動かないものの、自然全体によって否定される、神のアイデアの上に基づいています。私達はその作文構成が全くの人間起源であり、そしてその著者は、天界と地上の主への、とても卑劣で下劣な概念を有していた事を証明しました。私達が証明したのは、実に、ソレンツォ司教(1814-1883年)や何人ものドイツ人批評家達が、もう一つの方法で証明した様に、その(聖書の)歴史的な部分は信頼出来るものではなく、その話にはとても多くのおとぎ話や国家的な神話以上の本当の価値は無く、その神話は今、簡単に古代ギリシャ、バビロニア、そしてペルシャの源泉まで遡れ、その奇跡はヴィシュヌとシヴァについて伝えられるもの同等に根拠が怪しく、そしてその預言は完全に価値が無いと言う事です。加えて、私達が証明したのは、その著作権の古さが多大に大袈裟にされた事、創造の話し、大洪水の事、アブラハムの事、ヤコブの事、エジプトでの奴隷化と脱出/出国の事、モーゼスの履歴と砂漠におけるユダヤ人達の事、ヨシュアと彼の兵士達の事、判事達と彼等の顧客達の事は全て根拠が怪しく、そしてユダヤ史の後期に捏造された事で・・・、モーゼスの掟(法)と呼ばれるものはデーヴィッドの時代のずっと後に成るまで知られておらず・・・私達が証明したのは、神と、彼の天界的な主人のユダヤ的な概念が、ジュピター(木星)と彼より劣る(従属の)神々のギリシャ的なアイデアから物質的に違わない事で・・・私達が注目したのは、自然の特定の法則が存在していた事に対するユダヤ達の明らかな全くの無知さと、敗北、疫病、飢餓、惨殺、悪疫、そしてその様なものが、儀式的、またはその他の罪悪感への直接の罰で、その間、勝利、富、健康、そして老年が、神のごひいきの、特別で決定的な証拠であると言う彼等の成り行き/結果的な信仰です。私達が証明したのは、ユダヤ人達が、一般的に、落ちぶれた果て/卑屈ではあるが、自画自賛の民族で、そして彼等のスピリット的な指導者達 - 預言者達と呼ばれる者達は - ヘブライの都合の良い様に神の力の現れ確定し、常に約束をするが、いつも無駄で・・・歴史はこれらの明言に色を付けるために改竄され・・・その民族は模倣的で、彼等を征服した者達の宗教的なアイデアと実施を用意周到に取り入れた事を私達は証明し・・・要するに、私達が証明したのは、神の特別な人々であるという彼等の主張をヘブライ達が保つ/証明する事が出来ない事と、そして彼等の記述が、絶対的な真実の記録、または神の啓示として、ギリシャ人、ペルシャ人、エジプト人、ヒンドゥー(インド人)、中国人、またはより近代のモハメット派(イスラム)の本以上の価値は無いと言う事です。」

私達が見る事が出来る様に、たった今、公に暴露された事は一世紀以上前に詳細に既に知られていて、現代考古学の発見からの利が無くとも正確にまとめられました。聖書的なペテンに関してインマンは更に観測します:

「・・・モーゼスの掟として知られるものによると、サバスの日に薪を集めるのは長引く死を持って罰せられる犯罪(民数記15:32-36)ですが、国家全体の全ての男性達と女性達を殺し、祭司達の個人的な売春婦として使用するために、生娘達を得るのは犯罪ではありませんでした(民数記31:17,18,40,41)。その様な国家において偽造は犯罪ではなく - そして偽りの証言をする事の全てにおいて、太古の時代に聖書のユダヤ人記述者達を超える者はいませんが - 商業的な(中世の)イングランドにおいて、前者(偽造)は当時、死刑に値し、後者は不名誉な処罰がされるものでした。」

インマンと、その他多くによって19世紀の間に表現されたセンチメントは、聖書的な文章の神話的な本質をとても手際良く暴露した、より高度な聖書批評の直ぐ後に来ました。実に、何世紀にも渡り、ヨーロッパの人々に暴力的に強要された本、聖書に関する不協和音は騒々しく、そして殆ど統一的/一般的でした。これらの批評家達に自由思考家達、キリスト・カルト信者達、そしてユダヤ・カルト信者達が含まれていたのは明らかで、彼等が騙されて来たと発見するや否や、怒り心頭したのは理解出来ます。古く、非情で、インチキで、そして偏見的なシステムを捨て去り、新しく、改善された道徳/道義を創造する代わりに、しかしながら、既得権は再編成しそして発砲仕返し、結果的に批評家達はもみ消され、そして第二次大戦に続く学術は、前の二世紀(のレベル)に近づきませんでした。馬鹿げた事を信じる者達による嘲笑いと、財布の紐を握る者達による経済的な圧力が勝ち残りました。また、明らかなのは、教育システムが意図的に低下(愚民化)させられた事です。

神話の重要性

この(意図的な)「学力/知能低下」の一部に含まれたのは神話の軽蔑/見くびりで、「神話」と言う用語が軽蔑的/拒否・否定的に広く理解されている事による、神話学者達によって表された事実への、強度な抵抗を説明する失墜/減損です。神話の意味とその現在の嘲笑いに関してジェラルド・マッセイはこう明言します:

「現代の表現法において、一つの明言は、それが真実ではない度合/比率において、時に神話的とよばれますが、太古の神話学はそういう意味におけるシステムでもなく、または偽るモードでもありませんでした。その例え話は事実を運ぶ(伝える)方法で、それらは偽造でも作り話でもありませんでした。サインとシンボル(共に象徴)としての物事の意味によって表された創始的モードに、直接の表現が続いた/後継した時に、二重性を有しますが、神話は元々、意図的に二重に扱われたものでは全くありませんでした。」

この誤った観念は明らかに、太古の神々を「単なる」神話として過小評価する意図的な試みで、その間、ユダヤ・キリスト・カルトの神、救世主、等々は「本物」として持ち上げられました。神話は、しかしながら、単なる意味の無い出鱈目ではありません。神話は意味と目的を有し、その重要性は世界中の文化的発達に何千年もの間、豊富に貢献した程で、「全ての神話は現実の産物ですが、この現実は歴史的な出来事では無く、文化的な現実です。」

「太陽神達の大いなる神話」の中でアルヴィン・ボイド・クーン博士は、神話はスピリット(霊)的な真実が継承される特別な方法で、その劇的な表現のために、より覚えやすくしていると言いました:

「神話は、ドラマ(劇)が道徳/道義的な表しを強調する様に、スピリット的な真実を強調します。それがそのメッセージにおいて最もより強力だったのは、正にそれが外面的に本当の話しであると知られていたからです。その構築の文字上の偽りに捕われる/騙される人は誰もいませんでした。」

イエス・ミステリーの中で、フリークとガンディーは神話をこう表現しました:

「古代において神話と言う言葉は、今日、私達にとってそうである様に、「本当ではない」何かを意味しませんでした。表面的に神話は娯楽的な話でしたが、入門者/内通者にとってそれは、深遠でスピリット的な教えを含んだ神聖なコード(暗号)でした。」

私達が(これから)見る様に、神話は高度に意味深く、そして人間の文化に膨大な役割を果たし、最も大切にされた宗教の土台を形成しています。特に、これらの宗教は宇宙神話学、宇宙神学、そして自然信仰の上に土台付けられました。

また、見られる事が出来るのは、そしてキリスト・コンスピリシーの件でもそうでしたが、大衆のサイキ(精神)から不健全で強情なミーム、または精神的なプログラム(洗脳)を取り外すために必然的に強引な、幾つかの編集がこの本の中にはあります。ある人達はその様な編集を不穏と感じるでしょうが、その他の人達はその様な編集をリフレッシュする炭酸と感じるでしょう。これらの本が学術的なだけでなく、またヴィジョン的でもあるのは、これらが重要な情報を供給し、人間的な思考の幅を広げ、そして人間的な経験において、より多くの喜びを産出しようと試みるからです。

勇敢な新たな世界に入る前に読者は、彼女または彼は、彼女自身または彼自身に尋ねる事を望むかも知れません:貴方は本当に宗教的な「敵」を持ち続けたいのですか?貴方は、貴方と同じように信じないかも知れない、貴方の友人達、家族、そしてご近所を、「迷った」、「不信心者」、または「悪魔」であるとして、彼等に対する不信と恐れの中で生きたいと望ますか?または彼等より優越であると感じますか?それとも神話的、そして幻想的な増大の背後で、貴方の信仰と道徳は、貴方が敵と呼ぶ者達のものと、本質的に同じであると知る事は、より心地よくさっぱりしませんか?私達の殆どは、私達が出来る最善の方法でこの世界を扱い/に対処し、意味を成そうと試みる人間ではないでしょうか?私達は、実際に、一つの家を分かち合う一つの家族ではないでしょうか?現実において宗教の起源の研究が証明するのは、現代宗教の明らかな分断統治性にも拘らず、世界中の文化は、過去数千年を超えて知覚されてきた、または描写されてきたものより遥かに興味深く素晴らしい、共通の遺産伝来を分かち合うと言う事です。私達が今から、私達の過去を理解し、そして私達の未来へと進歩する頭脳と共に向かうのは、この心を奪う分かち合われた遺産です。

古代人達の宇宙神学

「イングランドのストーンヘンジやフランスのカーナック、エジプトやユカタン(半島)など、地球の表面全体に見つけられるのは太古の人工建造物の神秘的な遺跡で、天文学的な重要性を持つ建造物です。これらの昔の時代の遺跡は、アメリカ中西部の様に行きやすかったり、グァテマラのジャングル程遠かったりします。それらの幾つかは天体的な配列に沿って建設され、その他は実際に正確で天文学的な観測所です・・・天体的なリズムの慎重な観測は、早期の人々にとって有無を言わさず重要で、彼等の特別な知識はある意味、その3,000年後になるまで、ヨーロッパにおいて並ぶ事は出来ませんでした。」
エドウィン C. クルップ博士、太古の天文学を探して

「星々のこれらの話しに起因したのはユダヤ人達の天使達で、アラブ人達のジーニーで、ギリシャ人達の英雄達で、そしてローマ的な教会の聖者達でした。」
W. ウィンワード・リード、アイシスの覆い;または、ドゥルイド達の謎

人が時を更に遡る程、世界中で見つけられる原則と、単一宗教的な信仰は自然の周りに発達した事が、より明らかに成ります。この自然崇拝は、地球とその生き物と、それらの繁殖力への崇敬を含んだのみならず、太陽、月、惑星、そして星々もまた敬いました。何千年もの間、人は空を見上げ、そして彼が観測したものによって畏敬の念を起しました。この畏敬は夜空と日中の空の崇敬と信仰に繋がり、「宇宙神学」と呼ばれる憧れと成りました。繁殖力の信仰が、人間の宗教の重要で、一般的な部分を構成する間、青空の中で燃え盛る巨大な白い太陽と、その無限にキラキラ光る夜の黒いドームである空程、人類を脅かさせたものはありませんでした。空、または天界による魅了は、その話を伝えるために、組織化された神官階級、複雑な儀式、そして巨大な建物を有する宗教全体を、人に創造させる程でした。

現在の証拠が明かせる最も古い処まで行き、農業の発達以前の遊牧的な人々の夜空への主要な集中として、その話は始まります。夜空は砂漠の遊牧民達によって特に重要とされたのは、何故なら日中の強い太陽は彼等に障害的で、涼しい夜が、彼等に旅する事を許したからです。夜に旅する事によって砂漠の遊牧民達は、星々、惑星、そして月を含む、夜空の様々な位置の印を敏感に気付きました。遊牧民達は定期性に気付き、神聖な神託、前兆、そしてサインを望み、空の表図化を始めました。この天文学的な科学を発達させたその他のものに含まれるのは、大海原を何千マイルも旅したポリネシア人達の様な海洋民族で、彼等の長い太平洋の航海は、少なくとも30,000年前に始まったと推定されています。天文学的な科学は古代人達に天候のパターン、季節の変わり、そしてそれに伴うの、気候変動の予測を許したと同時に、地球を害する彗星、隕石、そして流星の予測を許しました。この考古天文学は、日々、週毎、月毎、そして年毎の出来事の正確な予測方法でした。実に、それは時代全体の移り変わりのための前兆で、その幾つかは、マヤ、バビロニア、そしてヒンドゥーの年代表の様に、何十万年、または何百万年も昔まで延長されます。

考古天文学を判断するには、伝説、文献、遺物と建築物的な遺跡を研究するために、天文学、考古学、民俗学、そしてその他の科学の使用を必要とします。その様な興味深い遺物は、壁画、巨石構造、暦と薬の車輪を含みます。世界的に文化的な遺物と遺跡が証明するのは、「空における太陽、月、そして星々の運動の複雑な定期性と、ノヴァや彗星の現れの様な稀な出来事」への古代人達の関心と知識です。

近年に成って、太陽、月、惑星、または星座との天文学的な配列/配置を有する、沢山のその様な遺跡が、住まわれている全ての大陸で発見されました。例えば、1998年には、エジプト南部において、「最も古い天文学的な巨石構造配列」が発見されたと報告されました:

「約6,500年から6,000年前のものと推定される巨大な石のスラブ(板)の集合体が、エジプトのサハラ砂漠で発見され、世界の中で知られる限り、最も古い巨石構造物の天文学的な配列であると科学者達によって確認されました。」

興味深い事に、この構造の周りに埋められていたのは牛で、その「寺院」の年代は約6500から4300年前で、牡牛座の黄道的時代と一致します( i.e.牡牛座が春分点にあった2000年間)。その構造の一部は夏至に配列され、主に太陽信仰文化による巨石構造に一般的な特徴です。「ナバタ」文化に属するこの遺跡は、高度なエジプト文明は、メソポタミアやシリアと言ったその他の地域で発達したのか、それともナバタやその他の「土着」のものから派生したのかの問いを上げました。これらの遺跡の古さに関して、背教的な研究者や考古学者達は、アンデスのティワナコの様な、その他の天文学的な巨石構造群を一貫的に、一般通説の見識よりも、何千年も古く位置付けました。

加えて、「太古の墓と神社は太陽と星々を向く」と題された、2004年4月5日の記事でタリーク・マリックは報告します:天文学の英国人歴史家、マイケル・ホスキンによると、「紀元前10,000頃にヨーロッパとアフリカを渡って建てられた新石器時代の墓は、明らかに昇る太陽に面する様に建てられた様で、3つの国々、2つの大陸、そして地中海の島々を渡った太陽の重要性を確かにします。」ホスキンはまた、天文学的に配列された数々の青銅器時代の聖域も記録しています。

「原始的」と考えられた者達も含み、古代人達が、正確な幾何学的な能力と同時に天文学的な専門知識を必要とした、この優れた知識を有していたのは事実です。彼等が尋常ではない執着心をもってそれを捉え記憶したのもまた事実です。もう一つの事実はこれらの遺跡に反映された鼓舞と情熱の深さが、太古の宇宙神学的な宗教の傾向を示唆している事です。

古代人達のの天文学的な科学は、過去と未来両方の満月、日月食、コンジャンクション(連結)、そしてその他の宇宙的な出来事を判断するために、今日使用されるものと同じです。私達の能力はマヤや彼等の先祖達の様な人々の考古天文学にやっと追いつき始めた処ですが、私達が今日この能力を有するのは、太古の研究の御蔭です。この退化知識の消失は大災害と人類文化の破壊によるものです。ですが、この重要な知識の基本が保存されたのは、古代人達が神話を、世代から世代へと受け継がれる記憶術の道具として使用したからです。この伝統は、筆記技術が存在しなかった、または限定的であった何千年もの期間、特に重要でした。残念ながら、この知識へのは、それにも拘らず、神話が「歴史的な事実」と信じられる様に成ったので、頻繁に失われました。

この神話を創造するために、古代人達は天体的な星々と自然の力を運動化させ、それらを動物やその他の俗世的な物体になぞらえ、最終的に「神々」として人格化しました。これらの神々は、宇宙の創造主達、保存者達、そして破壊者達として、地上で彼等が大混乱を起こさせ無い様に、鎮められる必要があると信じられました。故に考古天文学の宗教(カルト/信仰)は生まれました。

先史的で月的な天文学の中でインドの学者、S.B. ロイは、今日の「冷たい天文学」と、その素晴らしさの全てにおける太古の天文学、特に、知られている最も古い文化の幾つかが発見されるインドにおける発達を描写し、比較しました:

「天文学は今日、冷たい観念で - 冷たい科学のその意味は、無生命の空において不活発な質量(天体)の運動の知識と言う事です。太古の先史的な日々において、それは違いました。

古代人達にとって・・・天界は神々と神秘/謎の地でした。空は - リグ・ヴィーダのデャウスは - それ自体が生きていました。その星々は神々の住処でした。輝く星々は、それら自体が光を放つ神々でした。天文学は天体の知識では無く、天界的な存在の知識で、それは天界的、天体的、宇宙的、または神聖な知識で、明るく光放つ神々と - 女神達の知識でした。」

天文学的、または宇宙神学的な知識は、人類の夜明けまで遡り、数千年の期間を超えて広く現れ高度に発達しました。「占星学」の定義において、カトリック辞典は、太古の世界におけるこの古代の科学の発達をこう描写します:

「占星学の歴史は、文明の発達の歴史の重要な一部で、それは人類の早期の日々まで遡り・・・占星学は・・・天文学の義理の姉妹で、天界の調査の科学で・・・東洋(中東)の早期の文明化された民族によると、星々は源泉であり、同時に起こる事全ての使者/報告者で、そして占星学の「神の様な科学」を研究する権利は、神官階級の特権でした。これは私達が東において知る、最も古い文明であるメソポタミアとエジプトにも当てはまります。ユーフラテス(河)の最も太古の住人達であった、アッカド-シュメール人達は、司法/天罰的な占星学の信者達で、それは彼等の星々の信仰に、親密に縫い込まれていました。彼等の後継者達であった、バビロニア人とアッシリア人達にも同じことが言え、彼等は古代において占星学の主要な解釈者達で・・・アッシリア-バビロニアの祭司達(カルデア人)は古典的な古代の占星学の専門家でした。その起源においてカルデア式占星学もまた、星々の崇拝に遡り、これはゾディアックの最も古代の楔形文字の文献の、宗教的シンボリズム(象徴性)によって証明されます。現存する最も古い占星学的な文献は(紀元前三千年の終わり/i.e.紀元前二千年直前に)、王サルゴン一世のために構成された「ナマル・ベリ」(ベル神のイルミネーション)と呼ばれる記述で、アシュールバニパル王(紀元前668-626年)の楔形文字図書館に含まれていて・・・アッシリアと呼ばれるべき、カルデア人の時代でさえ、占星学において、5つの惑星(水、金、火、木、土)は太陽と月( i.e.7)と共に、それらの特徴とゾディアックにおけるそれらの位置、と同時に12のハウスの中のそれらの位置に沿って分類されました。太陽の恒星として(太陽系の惑星として)土星は大いなる惑星で天界の統治者( i.e.時間の統治者)で・・・エジプト人とインダス人は、ユーフラテスとティグリス(河)の上の国(メソポタミア)同様に、熱心な占星学者達でした。早期のエジプト的な星(太陽)信仰(オシリス信仰の土台)が早期のカルデア的な影響に起因するのかは、早期エジプト文明の起源の、解決されていない問いです。」

故に、占星学は - 「神の如き科学」で - 何千年も以前に遡り、そして人類文明の重要な一部でした。メインストリーム(主要な/通説的な)考古学によると、「占星学」を特定的に記述する、現存の最も古い文献は、紀元前三千年(末期)に年代測定されますが、占星学的な宗教、または宇宙神学はインド、エジプト、そしてシュメールの神聖な文献にもまた、豊富に記録され、その幾つかは紀元前三千年よりもっと古い伝統を表します。また、上記された様に、巨石構造物の遺跡は、天文学的な知識を、少なくとも6,000年から6,500年前まで押し戻し、その間、太古の海洋民族は、30,000年、またはそれより古い時代のその様な知識を明かします。

文明の根源の中で、考古学者、アレクサンダー・マーシャックは、彼が月暦を表していると判断した「棒カレンダー」は、少なくとも25,000から35,000年前のものと年代鑑定される、太古の骨を論じます。これらの遺物の一つはザイールのエドワード湖で発見された「イシャンゴの骨」で、そして紀元前18,000-23,000年のものと推定されます。マーシャックは上部旧石器時代(紀元前30,000-10,000年)、またはアリグナシアン文化から、その他のその様な骨を発見しました。それらが月暦であると言うマーシャックの主張は「絶対」ではありませんが、それが正確であろうと推測する良い理由が十分にあります。太古の天文学を求めての中で、天文学者であり、ロサンジェルスのグリフィス天文観測所の前所長、エドワード・クルップ博士はこう関連させます:

「フランスのDordogne地方で発見された小さな骨の欠片、ブランチャードの骨には、約20,000年前にクロマニオン人に彫られた複雑なパターンの印があります。印の形は多様で、その連続は蛇の様なパターンでカーブします。マーシャックの見解によると、その連続の曲がりくねりは、一方で暗い新月の時、もう一方で明るい満月を表しています。統計学的な分析は、マーシャックの解釈を補佐しないかも知れませんが、類似したバトンや棒は、ベンガル湾のニコバー島の島民達によって、同じ目的で彫られています。」

最低限でも、これ等の骨は、ある一定の点まで、古代人達が数える事が出来たのを証明しています。これらの骨の印が「月(複数形)」または女性達の月経を反映していると言うテーゼも健全で、故に、女性達が「最初の数学者」であるとも提案されました。これらの女性達の一人は「Lausselのヴィーナス」と呼ばれる(高さ)18インチの像で表され、その像は約21,000年前のアウリグナシアン文化に年代鑑定されています。元々、生理的な血を暗示する赤い塗料で塗られていたそのヴィーナスは、13の刻みのある曲がったバイソンの角を持ち、それは年間の月的なひと月(ひと月28日=13か月)と女性達の月経と共に、三日月(月の満ち欠け)と、明らかに、「宇宙的な女性器」を表します。重要な事に、月経的なサイクルの平均は29.5日で月的ひと月と同じで、故にその2つは親密に関連しています。全ての可能性において、時間を保つ/刻む/数える事に繋がったのは、女性達が彼女達の月経を観測した事からでしょう。天文学の発達のもう一つの要素は、月の満ち欠けに基づいて、狩人達が狩りを計画出来るための、月的なサイクルを彼等が知る必要性です。

フランスのLascauxの有名な洞窟の中で発見された星座表(の壁画)は16,500年前と年代鑑定され、そしてミュンヘン大学のマイケル・ラッペングルエック博士によると、プレアデス(昴)または「七姉妹」と記録すると同時に、3つの恒星、ヴェガ、デネブ、そしてアルタイルで構成される「夏の大三角形」も記録しています。北方の星座を記録する14,000年前の星座表も、スペインのクエヴァ・ディ・エル・チャスティロの中で発見されています。旧石器時代に年代鑑定されるLascauxやスペインのアルタ・ミラ(17,000前)、またはシシリアのアッドウアラ(紀元前15,000-10,000)の様な場所の古代人達の芸術は、現代人と比べられる知性の高度さを証明しています。古代人を論じる際に頭に入れておくべきなのは、厳密な一方通行的で進化論的な思考によって与えられる印象にも拘わらず、少なくとも100,000年前の人間達は、現代と同等の脳内キャパシティ―(能力)を持っていました。唸る猿人の一団の代わりに、彼等の中には、現代の天才達に匹敵する知能指数を持った個人達がいた様です。今日でも、「文明」の様々な状態の中で生きる人間達がいて、ラフな革を着て洞窟にすむ先史的な人間達がいる間、その他の早期の人間達がより先進的な文化を創造した可能性はあるでしょう。

また、言語と複雑で抽象的な観念に関して、古代人達は、メインストリーム(一般的に主流な通説)の科学の中で提唱されているより、もっと以前にスピーチ(話す能力)と思考の能弁さに辿りついていたようです。例えば(インドの)サンスクリットの様な言語は、何千年もの洗練の頂点を表し、指の塗り絵から、熟練された画法技術への進歩と比較出来ます。更に加えて、数世紀の期間で素早く変化でき、そして今は既に死滅した、多くの言語がとても太古の先史時代に存在していた事でしょう。それぞれの「部族」または集団が、地元の植物や動物のための、それ独自の言葉を持ち、独特の方言を創造し、サンスクリット語以前のその他の言語が同様な栄光的な高度さを達成しなかったと正直に言える人は一人もいません。その幾らかが、疑う余地無く、天才的な知能指数を持っていた10,000年前の太古の人間達が、単なる唸り声や擬音だけで満足しなかったのは確実でしょう。そして彼等は、洞窟に住んで、生存のためだけに単に非創造的に苦しむ事に、満足しなかったのは確かでしょう。これらの「原始人達」が(確実に)していた一つの事は、素晴らしく畏怖的な空を含めた、彼等の周りの驚異的な自然を研究する事でした。

上記された様に、知られている最も早期の古代人達は、「月崇拝者達」、または月カルト(信仰)主義者達で、彼等の農耕文化の発達以前の地位(遊牧生活)を反映しています。彼等の中の天才達の存在と共に、太古の人々が、現在(通説的に)受け入れられている時間の枠組み、10,000年から12,000年前より遥かに以前に、農耕文化を発達させていたかも知れないと言うのは可能だったでしょう。しかしながら、明らかなのは、これ等の早期の人間達が集まった地域は今現在海の下で、これらの地域で実施された何らかの農業の証拠は故に、とっくに失われました。何であれ、最初に知られる時の秤、または時間の測量の役割を果たしたのは、太陽ではなく、月でした。言い換えると、時間は「moonths/ムーンths」へと分離され、それぞれが新月から始まりました。再び、先史的な「ヴィーナス」のイメージは新月、または消滅する月(三日月)の段階を表しています。

ロイによって明かされた様に、Lausselのヴィーナスとインド/中東の神話の間の興味深い一致は、インドのヴィーダ的な文献に見つけられます:

「古びて忘れられた伝統の記憶を運ぶ、ヴィーダ的そしてヴィーダ以後的な文献において、月の三日月形と半月型は、母なる女神のエンブレム(象徴)で、インドの母崇拝の聖典、キャンディの中でこう言われます:

「NAMAH SOMARDHA-DHARNE - 私達は半月を持つその母に頭を下げる。」

紀元前20,000年にフランスの洞窟で描かれた母なる女神の姿が、インドのサンスクリット語の文献に反映されているのは不思議で・・・

母なる女神は異なった国々において、異なった名前で知られています。(女神)アディティはリグ・ヴィーダの最も太古の層にあり、セム語的な言語においてイシュタル、アシュターテで、西アジアにおいてシベレ(シビル)、ナナ(イナナ)、そしてアナヒタで、ローマにおいてはヴィーナスでした。スペインにおいて彼女はマリーで、太古のスピリッツ(霊達)に今でも出没するこれらの不気味な洞窟に関連させられています。彼女はキリスト・カルトのマリー(マリア)に成ります。

セム語族的な言葉の集合、イシュタル、アシュター、アシュターテは、同じ語源STRに起因します。この語源「str」は女性(Skt.stri)と星の両方を意味します。故に、元祖的な母なる女神は星々の女性で、そして明らかに彼女は星々と深い関係があり・・・

最後に、母なる女神は、殆ど全ての民族と文化において、月と関連させられています。彼女のエンブレムは一般的に三日月または半月です。例えばイシス、アシュターテ、またはナナの太古の姿の聖像を見てみて下さい。偶発的に、ナナは裸を意味します。ナナは故に、裸の元祖的な母なる女神で、Lausselの像は彼女を完璧に現すようです。」

この魅了的な不思議/謎は、ロイが太古のインドの神聖な文献、リグ・ヴィーダからの讃美歌(1.164-45)を引用する時、更に深まります(鍵かっこの中でそれにコメントしています):

「4はスピーチ(ヴァク、力の秘密の言葉、またはロゴス)の段階です。賢明であるこれらのブラーマン達(i.e.バラモン/マギ達、または天地の秘密を知る者達)はそれらを知っています。これらは秘密の洞窟に保管され:それらは意味を暗示せず(i.e.それらの秘密は洞窟の中に封印され:人々、i.e.それらを知らない一般の人々)は、唯一、第四段階(のスピーチ)のみを知り話します。」

讃美歌RV1.164はまた4つの平面/領域に存在する「神秘的な言葉」を描写し、その内の3つは秘密の洞窟に保管されます。ロイの結論は、その文献は「秘密の英知」を記録し、「入門者/内通者のみが知る暗い洞窟」の中で見つけられると言うものでした。リグ・ヴィーダの中に私達は、その他の密接に関連する概念の中に、少なくとも3500年前に年代鑑定される、神聖で創造的な言葉、またはロゴスについての、とても太古の論議を有します。

フランスのピレネー地方のLes Trois Freres洞窟の「鹿頭の魔術師」として知られる壁画の様に、洞窟の奥深くから見つけられる様々な遺物は、これ等の秘密の保管の代表だとロイは提案します。ロバート・グレイヴスはその壁画を少なくとも紀元前20,000年前と年代鑑定しますが、これ等の洞窟が居住されたのは、10,000から16,000年前のマグダレニアン時代の期間です。これらの洞窟内で行われた儀式の可能性について、それらの幾つかはとてもアクセスしにくい場所なので、故に秘密の秘儀的な入門を表す場所で、それらの効能が帰属する「特定の吉兆の時に必然的に行われた」であろうとロイは述べます。この吉兆の時は太陽と月の段階と同時に季節によるもので、「太古の賢者達は正しいタイミングを確かにするために天界を見上げたのは、何故なら月が最も太古の時間の秤(時計)だったからだと[紀元前1400年の]ヤスカは言い・・・」その様な「吉兆の時」はこれらの天文学的な鍵を使って特定出来ます。

ロイは鹿頭の「魔術師」は「季節の入れ替わりを印す姿」だと提案します。この主張のための理由はリグ・ヴィーダの中の「大昔の伝統」を含み、ヴィーダ的な天文学は鹿の頭を、L-Orionisの星と新月における冬至を表し、同時に満月における夏至だと関連させます。その魔術師の姿は、氷河期のヨーロッパにおいて大いなる日であった、「冬至を印す」とロイは結論します。天文学に基づいて、その姿は紀元前10,600年に年代鑑定されます。更に加えて、この鹿頭の魔術師の姿は、紀元前3,000年代に年代鑑定されるインダス峡谷のモヘンジョ・ダロの街からの印の太陽的なイメージに類似しています。

ヨーロッパのマグダレン(文化)の洞窟の住人達の移住を、10,000年前の「第四氷河ウィスコンシン-ヴァルダース最終準段階」の後退に年代鑑定し、ロイは更に明言します:

「現在、スラヴ的な言語が広まっている、北緯60度以北のヨーロッパとアジアにおいて、冬は当時、長く暗いものでした。それはとても寒かったのです。誰しもが、太陽が北に返る(日が長くなる)冬至の日を待ちわびました。天文学者達は、太陽自体が見えなくとも、その日を知っていました。これは大いなる日で、それは春がこれから到来するからです。

故に、冬至は、少なくとも12,000年前に、特に寒い北方の緯度において、人間の文化の重要な要素でした。住まわれた世界の殆どを通して発達した冬至の祝いは、「クリスマス太陽神の誕生日として後継されました。「クリスマス」は故に極度に太古の祝いで、何千年もキリスト・カルト時代より以前に起因します。

、月、星々、そして惑星の研究と重要性は太陽のそれに道を譲りました。農耕が重要だったのは、何故ならそれが人々に、彼等自身の食べ物を産出させ、そしてその他の仕事だけでなく、芸術的、創造的な試みを含めて、その他の物事を達成する事を許したからです。農耕はとても重要だったので、古代ペルシャの宗教的な指導者、ゾロアスターによってそれは「メリット的な活動で、そして宗教的な義務」とされました。実際に、ペルシャの神聖な文献、サド・ダーとアヴェスタは、繰り返しゾロアスターが農耕を「神に最も喜ばしい」と賞賛する事を描写します:

「神に最も喜ばしい活動は、大地を耕し、植える事で、流れる小川から水を引く事で、植物と生き物を増やし、数々の(家畜の)群れを持ち、若く実りある生娘達や、無数の子供達を持つ事で・・・」

農耕者達、または「昼の空の人々」にとって、太陽は最も目につく象徴、または神の代理と成りました。故に、人は「太陽崇拝者」と成り、そして太陽崇拝は過去数千年間、世界中に広まった宗教の形状と成りました。この崇拝または信仰と共に、複雑な神話と儀式が派生し、何千年もかけて発達し、太陽の一年のサイクルに基づくだけでなく、歳差運動(ページ右のリンク参照)と呼ばれる現象にもまた基づき、それは古代の神話において巨大な役割を果たしました。この古代人達の宇宙神学は今日、広く知られてはいませんが、それは何千年もの間、広く広まっており、その実質的な偏在性は世界的に逸話や石の中に証拠されています。太古の宇宙神学に関して、ヴォルニー伯爵はこう観測します:

「哲学者たちの過半数と、ポーフィリー(Porphyry)は言います、そしてその他の者達の中で、(キリスト・カルトの時代の初期に生きた)カエレモン(Chaeremon)は、私達が見るものの他に、その他の世界は決して存在しないと想像し、エジプト人達が認識した全ての神々以外は認めず、それらは一般的に惑星と呼ばれ、ゾディアックのサインと星座で、そのアスペクト、つまり、昇る事と沈む事は、人々の運に作用するとされ、それについて彼等はディーカンと時の分配者へと、そのサインの分類を加え、それを彼等は上昇(アセンダント)の主達とし、その名前は、昇り沈みの憤慨の解放における徳で、そして未来の出来事を予測し、暦の題材で・・・司祭達が太陽は宇宙の建築技師(創造主)と確認する時、カエレモンは目下、イシスとオシリスに関する彼等(祭司達)の話しの全ては、彼等のその他の神聖な逸話と共に、部分的にそれぞれの惑星、月の満ち欠けの段階、そして太陽の回転に関してで、部分的に日中と夜の星々、そしてナイル川に関して、です。簡単に言うと、全ての件において物理的で自然的な存在についてで、決して非物質的で無形(霊)的なものではありません。」

宇宙の宇宙神学的な解釈の中で、太陽は「大いなる建築士/創造主」または神です。この関連性、同一視、そして解釈は、過去数千年変化しておらず、むしろ太陽的な球体は、動物、または特定の民族の人の、特定の性別の顔と特徴を、その上に重ねれる事によって動かされ、不明瞭にされました。

加えて、ユダヤ・キリスト・カルトの聖書は、創世記の中でこの宇宙科学が「ノアの子供達/子孫」によって発達させられたと主張し、明らかにシナイ半島の「放浪の羊飼い達」等々を意味しますが、読み書きも出来ず無学の「羊飼い達」は、ある程度までしかその科学を進歩させられなかったのは鮮明で、それは最終的に太古の航海士達(海洋民族)によって発達させられたのみでなく、組織化された学校と神官階級によって発達させられました。宇宙神学は祭司技術であり、それと共に起因したのは寺院の建設で、そして故に、メイソンリー(石工)です。更に加えて、占星学は健康に必須な「神聖な科学」として考えられたので、天文学的な知識は農耕文化に重要だっただけでなく、医療にもまた重要でした。故に、太古の宗教的な入門者/内通者達は、祭司と治癒者達でした。

「ガレンとヒポクラテスの両方が、医者にとって宇宙的な知識は不可欠と主張し、そしてガレンはその様な知識の必要性を否定した医者を馬鹿にしました。彼は宇宙的な学術に無知な医療関係者を、殺人者と呼ぶ事さえしました。キリスト・カルトの影響領域と「ムスリム(イスラム)」世界の医療学校の全てにおいて占星学は、以前、教えられていました。」

その定義が単純な「司法的な占星学」でも星占いでもなく、複雑に詳細な宇宙神学、または天界の知識である、占星学の悪役化にも拘らず - この「神の如き科学」は、太古の時代より人間文化に浸透し、そして思想は現代の時代と神学に浸透しています。

明かされた神々

何が、または誰が太古の神々なのかと言う題材は、数世紀を超えて多くの真剣な論議とワイルドな推測の中心に成って来ました。現実は、太古の神々が主に、宇宙神学的であり、そして/または自然的で地球的な力に基づいていると言う事です。この事実は、彼等自身の宗教と、その他の知られている文化のものを思考した、太古の記述者達を含めて、数千年を超えて数々の権威によって証言されています。尊敬されているキリスト・カルトの学者、マックス・ミューラー教授によって関連させられた様に、神々の天文学的、つまり、太陽、月、星々、そして惑星で、要素的、つまり、水、火、風、等々であり、または自然的、つまり、川や湧水だと知っていた太古の権威は、エピカルモス(Epicharmos/紀元前540-450)、プロディコス(Prodikos/紀元前5世紀)シーザー(カエサル/紀元前100-40)、そしてヘロドトス(紀元前484?-425)を含みます。宗教の起源と発達の講義の中でミューラーはこう明言します:

「セルサスは、ペルシャ人達について語っている時、彼等は丘の上でダイス(Dis)に生贄/捧げ物をしたと言い、それ(Dis)によって彼等は空の輪を意味し、そしてこの存在を私達がDisと名付けるか、または「最も崇高」、ゼウス、またはアドナイ(アドニス)、もしくはサバス、またはアモン、もしくはスキタイ族の様にパパと呼ぶかは、少しも問題では無いと彼は加えます。」

その偉業が広く研究されているギリシャ人哲学者、ピタゴラスもまた、太陽、月、そして「星々の全て」の様な天体を「不死で神聖」と描写する、神々の宇宙神学的な本質を理解していました。

もう一人の太古の権威は、ローマの兵士で、紀元前116から紀元前27-29年頃に生きた執政官であり、筆者で、ローマの将軍、ポンペイの下で(紀元前76)にスペイン、そして(紀元前67)にシリシアで従軍し、宇宙神学について記述したマルコス・ヴァルロです。ヴァルロは「凄い教養の人」で「彼の時代の最も博学な人達の一人」で「ローマ人の中で最も学んだ人」で、「ローマの最も偉大な学者」で、そして「最も博学な人で、彼の時代で最も多産な筆者」と考えられます。ヴァルロの素晴らしさを絶賛した著者達は、「トゥリー」またはマルコス・トゥリウス・チチェロ(紀元前106-43)とテレンティアン(紀元前2世紀)を含みます。キリスト・カルトの信者達でさえ、彼の博識を尊敬しました。神の街の中で、太古の神々と神聖な儀式について、キリスト・カルトの聖者、オーガスティンは尋ねます:

「これらの物事を、マルコス・ヴァルロ以上に慎重に調査した人はいるでしょうか?それらをより学識的に発見した人はいるでしょうか?それらを、より正確に考えた人がいるでしょうか?それらについて、より一生懸命に、そして、より完全に記述した人はいるでしょうか?」

オーガスティンもまた、ヴァルロが「古代についての41冊の本を書いた」と記述します。マーク・アントニー(マルコス・アントニウス)によってヴァルロ(の本)が違法化された後、彼の研究は、彼が生きているうちに燃やされてしまいましたが、彼の研究の十分な部分が、オーガスティンの時代には明らかに現存していました。

ヴァルロの大書的な努力は、「法律学、天文学、地理学、教育学、そして文学的な歴史と言った、題材の広い種類についてであると同時に、風刺、詩、演説、そして手紙を含み、600冊以上の本の中の、約74の研究に合計され・・・」この人々の中で最も博学な人は、「知識の殆ど全ての分野」について書きましたが、唯一生き残った研究は、De Re Rusticaで、農業についての本です。残念ながら、彼の最も重要な本の一つ、人間と神聖な物事の古代は怪しくも生き残りませんでした。早期の(カトリック)教会の神父達の多くはヴァルロの古代を研究し、それが意味するのは、少なくとも3世紀か4世紀まではそれが存在していたと言う事です。当然、これらのキリスト・カルト信者の記述者達はヴァルロの情報と哲学に向かって好意的ではなく、典型的で軽蔑的なコメントをしました。キリスト・カルトの秘密を守る目的で、ヴァルロの研究が意図的に破壊された可能性は高いでしょう。

ヴァルロのラテン語について(第五章65-67ページ)の現存する破片は、ローマの神ジュピター(木星/ピーター)は空の神で、女神ジュノは大地の神だったと言う様な、太古の宗教についての重要な情報を含みます。ローマの詩人、クインタス・エンニウス(紀元前239-169)を含むその他の太古の権威を引用し、ヴェルロはまた、ギリシャ人達は「ジュピター」(ゼウス)を空気、風、冷気、雲、そして雨と考えたと関連させます。ジュピターは、「神々と人間の父であり王」で、そして彼の名前は「Diespater」または「聖父の日」に起因します。第7章(6-7ページ)の中で、「空はまたtemplum、イオヴィスまたはゼウスの寺院」と呼ばれたとヴェルロは記述し、こう報告します。加えて、ジュノまたはヘラが大地である間、アポロは太陽でそしてダイアナ/アルテミスは月でした。

神々の宇宙神学的な本質のこの知識は、幸運にも西洋における膨大な破壊の、多くの世紀を生き残り、「聡明の時代/ルネッサンス」に復活させられました。この期間の間、一人の著者が特に台頭したのですが、彼の複数の大書は快く受け取られ影響力があったのですが、チャールズ・デュポア(Dupuis)の考古宇宙学の幅広い知識は、それにも拘らず、残念ながら一般大衆までは浸透しませんでした。世界で最も重要な題材の一つに関して、教育においてそれを排除したのは、その様な知識が、宗教と政治的ヒエラルキーの秘密で神秘として、隠されたままにする明らかに意図的な努力です。何にせよ、彼の全ての宗教的な信仰の起源の中でデュポアは、古代人達の宇宙/統一的な宇宙神学を徹底的に探求し、彼等の神々の本質に疑う余地が無い様にしました。デュポアによると、その「セオゴニー(神の起源と家系の研究)」が広く広まっていたフェニキア人とエジプト人達は「太陽と月、そして星々に、神格を与えました。」フェニキア人の大いなる神は太陽で「ヘラクレス」にスタイル化されました。その太古の領土が現在よりももっと広く、その定義がより広く多様な文化を描写した「エチオピア人達」は太陽崇拝者でしたが、夜が涼しく、「日中の凄い暑さを忘れさせた」ので、主に月信仰でした。デュポアが言う様に、アフリカ人の全てはこれらの大いなる神々に生贄/捧げ物を捧げました。有名な太陽のテーブルが発見されたのはエチオピアにおいてです。」

デュポアはまた、「アラブ人達の大いなる神」は月で、「トルコ人達の宗教的な構造物の上の三日月によって証明されると関連させました。牡牛座のゾディアック的なサインの中で昇る月はサラセンとサビアンアラブ人達の主要な宴会の機会一つで、そしてそれぞれの「アラブ部族は星座の祈願の下で・・・それぞれ一つ一つが天体の一つを主の守護として崇め・・・」イスラム・カルトの台頭以前、メッカのカアバ(キューブ)は月の寺院で、そしてその崇敬される黒い石は、「サターヌス(サターン/土星)の太古の像」です。このアラブの月的な宗教は、「サビスムス」または「サビアニズム」と呼ばれ、東(中東)全体に広まっていました。デュポアが言う様に、「天界と星々は」サビアニズムの「最初の物体」でした。この「サビアン」の宗教はまた、カルデア人とバビロニア人達のものでもあり、彼等は加えて太陽を、ベル(バアル)ミトラ/ミスラの両方として崇拝しました。

アレクサンドリアの教会の神父、クレモント(150?-215?)によって関連させられた様に、太陽は「東インド人達の大いなる神々の一つ」でした。実際に、インド人達とカルデア人の占星学的な神官階級の間には数々の一致があり、亜大陸(インド)で見つけられるカルデア語を含みます。典型的である様に、インド人達は太陽と月を神の眼と考え、そしてインドの部族の多くは「彼等の祈りを固定された星々(e.g.北極星)と惑星に向けます。」「太陽、星々、そしてそれぞれの要素( i.e. 水、火、空気、土)の信仰がアジア全体の宗教の土台で、言い換えると、最高で、最も古く、そして賢明な各国家によって人口された国々(i.e.アジア/インド)、によって西洋の国々、そしてヨーロッパ一般の宗教は影響された。」とデュポアは完結します。

ヨーロッパ人達を論議する中で、そのフランス人の学者(デュポア)は、ギリシャの神々は「野蛮人達( i.e.ギリシャ人以外)」のものと全く変わらないと言う、プラトンの主張を読者に思い出させ、つまり、天界、太陽、月、星々、そして惑星だと言う事です。イタリアにおいて、シシリア(シチリア)人達は、3頭の牡牛を太陽に捧げる間、「シシリア」自体が「太陽の島」を意味します。加えて、ヨーロッパ北部の様々なケルト族的な国家は、「宗教的な信仰を、火、水、空気、土に起因させ、太陽、月、星々に起因させ、天界の青天井に起因させ、木々、川、泉、等々に起因させました。」

数百のページを通して延長させ、デュポアの太古の宗教の分析は実質的に世界全体をカバーし、この同じ宇宙神学と自然信仰に深く関わらなかった、何らかの重要性を持つ地域は殆ど一つも無かったと明かしました。レッジがキリスト・カルトの前身とライバルの中で言う様に:

「東(中東)全体を通して、カルデアの星信仰に与えられた大いなる広まりは・・・ヘレニスト世界( i.e.古代ギリシャ)の全ての国々によって、星々が、最も便利な種の神々として受け入れられる原因に成りました。それぞれの惑星は、このフレーズには太陽と月も含まれますが、太古の全ての国家の様々な万神性(多神)において、最も重要な神々の名前によって知られていました・・・」

太古と近代の源泉から同様に明らかなのは、この天体と自然の崇拝が何千年も遡ると言う事です。この興味深く、そして重要な知識が、隠蔽され無視されたのは、凄まじく残念で、何故ならそれが喜ばしい聡明化をもたらしたであろうだけでなく、過去数千年におよぶ宗教的な対立に基づく、文化破壊と民族大量虐殺を含む、多くの苦しみを軽減し、防いだであろうからです。

ゾディアックの輪

この興味深い宇宙神学に含まれるのは、ゾディアックの発達で、その部分、部分はそれら自体が「神々」、「守り神」、「手助け/守護神」、または「弟子達」、等々と考えられました。ゾディアックの主要な分離は12を数え、「12の大いなる神々」、キリスト・カルトの12人の使徒達と天界的な街の門(啓示書)、ヤコブの12人の息子達、イスラエルの12支族、ヘラクレスの12の労働、ヤヌスの12の祭壇と、火星の12の盾に反映された神聖な数字です。インド人達が12のアディテャス(「太陽達」)を有する間、北欧人達は12のロバを持ちました。また、著名なユダヤ人の歴史家、ジョセファスによって記述された様に、ユダヤの高司祭のエプロン(衣装)には、四季の様に3列に配列された宝石(i.e.4x3=12)があります。

7も同様に神聖な数字で、1週間の日数と、それらの「惑星」(日→土)によって表され、それらはユダヤの(7枝の)ロウソク立て、またはメノーラによって象徴されます。その他の「神聖な7」は、「寺院の7重の囲み、・・・そのそれぞれに惑星の名前が刻まれたブラーミン(バラモン)の預言的な輪、・・・最も太古から、エジプト人とインド人達によって応用された7つのカースト、・・・カルデア人とユダヤ人達の7人の大天使」を含みます。

見られる事が出来る様に、数学もまた崇敬された宇宙的な科学の大きな一部でした。数時360もまた、神聖な数字を構成し、太古の暦における1年の日数を代理すると同時に、ゾディアックの度数/角度(i.e.360度)でした。実際に、古代人達は、3、7、12、50または52(1年の週の数)と同時に360、そして後に1年の日数に成った365を含めて、神々の天文学的、数学的なグループ化を成し - 全ては守護のジーニー、または神々として人格化されました。

太古の宇宙神学においてもう一つの重要な要素は、歳差運動で、地球の地軸の傾きによって起こる現象で、それによって春分点(3月21日)の太陽の背景は、約2150年毎に入れ替わり、その期間(2150年)は「時代」と呼ばれます。(歳差運動と黄道についての詳細は、このページ右のリンク参照。)ゾディアック的な時代の12のサイン(星座)を通った歳差運動の一周(1サイクル)は「大いなる年」(プラトニック・イヤー)と呼ばれ、その長さは約26,000年です。主流の歴史(通説)によると、歳差運動は紀元前2世紀に、ギリシャの天文学者、ヒッパルコスによって発見されたとされますが、しかしながら、太古の文献、伝統、遺物と遺跡から、もっと太古の人々がそれについて知っていて、時代から時代へと(暦の上で生じた誤差を)修正しようと試みたのは明らかです。ハムレットの水車小屋の中でサンティラーナとデチェンドは、もっとより早期の時代の歳差運動の知識を証明するにおいて明言します:「彼[ヒッパルコス]が実際にこれを発見したと言う良い理由があり、それは数千年以前に知られていたもので、太古の時代において、時間の長範囲的な計算が基づけられたものでした。」

天文学者、クルップ博士は同意します:

「歳差運動への言及の、知られている最も古いものは、(紀元前2世紀の)ギリシャの天文学者、ヒッパルコスのもので、それを発見したとされます。ノーマン・ロッキヤー卿によって指摘されたエジプトの寺院の配列/配置の修正は、しかしながら、この現象へのより早期における敏感性を示唆するかも知れません。」

再び、クルップは述べます:

「状況証拠が暗示するのは、移動する黄道への知覚が相当な古さであると言う事で、エジプトにおいて少なくとも、黄道の歳差運動において、双子座、牡牛座そして牡羊座と一致する期間( i.e. 2,000年前から6,000年前)、継続/後継されたカルトの聖像と関心は、牡牛と雄羊の二重性に集中する事を私達が見つけるためです( i.e. 牡牛座と牡羊座が順番に春分点の太陽の背景にあった時代)。

歳差運動的な時代はゾディアックのサイン(星座)によって代理され、それは何千年、もの期間を超えて発達しました。ゾディアック的なサインは場所から場所そして時代から時代に変化し、それらが発達させられた地域の気候/環境に影響されました。西洋における現在のゾディアックの設定は、インド、カルデア/バビロン、または北アフリカ/エジプトで発達させられたと考えられ、他方から様々な意見があります。インドのゾディアックは以下の様に概要されます:

1. 牡羊座(3月/4月)は「メシャ」で、赤い雄羊です。
2. 牡牛座(4月/5月)は「ウラシャバ」で、白い牡牛です。
3. 双子座(5月/6月)は「ミスナ」で、青い色/肌の女性と男性で、鉄の杖とリュート(弦楽器)を持っています。
4. 蟹座(6月/7月)は「カルッカタカ」で、赤い蟹です。
5. 獅子座(7月/8月)は「シングハ」で、赤いライオンです。
6. 乙女座(8月/9月)は「カニャ」で、褐色の生娘で、船の中で一束の稲とランプを持っています。
7. 天秤座(9月/10月)は「トゥラ」で、秤を持つ白人男性です。
8. 蠍座(10月/11月)は「ウラシカ」で、黒いエルクです。
9. 射手座(11月/12月)は「ダーヌ」で、弓を持つ半人半馬の黄金の生き物です。
10. 山羊座(12月/1月)は「マカラ」で、海獣です。
11. 水瓶座(1月/2月)は「クンバ」で、水の壺を持つ白人男性です。
12. そして魚座(2月/3月)は「ミーナ」で、2尾の魚です。

私達が見る事が出来る様に、インドのゾディアックは、蠍、または鷲ではなく、黒いエルク(大型の鹿)である蠍座を除いて、本質的に西洋の物と同じです(ゾディアックにおいて蠍座は、その昔、鷲座だった。/蟹座は大フンコロガシだった。)。山羊座の「海獣」は頻繁に、半山羊半魚の形状を取ります。

ゾディアックの起源について、尊敬され、そしてよく引用されるキリスト・カルトの権威、トマス・マウリス牧師は、代表的な学術者、ヴォルニー伯爵やジェラルド・マッセイの意見とは対照的に、エジプトから派生したものでは無いと主張します。マウリスのテーゼが含むのは、乙女座の収穫期の様な、四季の描写は、3月が収穫期であるエジプトには間違いであると言う事です。水っぽい水瓶座は、「寒々とした冬の季節の冷たい雨」に象徴的で、処がエジプトには降雨が無く、「冬は彼等の最良の季節」であるとマウリスは言います。ゾディアックは農耕と航海のために発達させられた処からエジプトにもたらされ、(それは)彼等がナイルのほとりに移住する以前に、「彼等によって住まわれた何らかの原始的/元祖的な国/土地で、そしてその元祖的な国は、カルデアだと最も神聖な権威は私達に伝える」と彼は結論します。

エジプト(起源説の)主張者は、エジプトが今日の様に、常に乾燥していたわけでは無いと反論します。一昔以前の時代、広大なサハラ砂漠の殆どには緑が生い茂り、そして肥沃で、「8,000年前に其処ではキビ(アワ/ヒエ)が栽培されていました。」故に、例えばヴォルニー伯爵やマッセイの様に、多くの学者達は、17,000年前の北アフリカに、ゾディアックの起源を求めました。聖書の天文学の中で、キリスト・カルト信者の天文学者、ウォルター・マウンダーは、その探求の幅を狭め、エジプトとカルデアの起源説の両方に疑いを照らします:

「[ゾディアックの緯度と経度]から、私達が学ぶのは、その星座が北緯40度の平行線からさほど離れていない場所に住む人々によってデザインされた事で、(北緯)37度または36度以南ではありませんでした。これが重要なのは、それが古代エジプトまたはインドから起因したものでも、北緯32度に位置するバビロンの街さえでもない事を見せるからです。」

アフリカの最北部は36度線上に位置するので、この論議に基づくと、その(ゾディアック上の)星座の起源から除外されません。その他の者達と同様に、マウンダーもまた、歳差運動は、ヒッパルコスが「発見」する何千年も以前に知られていたと示唆します。彼は更に、現在のゾディアックのサインは約5,000年前に起因すると主張します:

「・・・プトレマイオスは、牡羊座をゾディアックの最初の星座とします。彼の時代はそうでしたが、元々の(その時代以前の)先頭は牡牛座で・・・、約紀元前3,000年頃の春分点(3月21日)の太陽は、その星座(牡牛座)の中心にありました。星座がデザインされた当時、春分点の太陽は、牡牛座の最も明るい星、アルデバランの近くにあり、夏至(6月21日)において、獅子座の最も明るい星、レギュラスの近くにあり、秋分点(9月21日)において、蠍座の最も明るい星、アンタレスの近くにあり、冬至(12月21日)において、水を注ぐ者(水瓶座)の付近で最も明るい星、フォーマルハウトの近くにありました。これらの4つの星々は、「王的な星々」の名で私達まで伝えられたのは、恐らく、星々の中の太陽の明らかな通り道の、4つの最も重要な点の凄く近くだったからでしょう・・・ヴァージルのゲオルギスの冒頭は、1年を開く、黄金の角を持った白い牡牛を語ります。ですからミトラ/ミスラ的な宗教がそのシンボル(象徴)の中に星座の形の幾つかを取り入れた時、牡牛座は春分を意味し、獅子座は夏至を意味し、その2つは最大の卓越性が与えられ、牡羊座が先頭(i.e.春分点)の星座だと認識されたずっと後の、紀元2世紀または3世紀の後世まで、ミトラ的な遺跡で使われていたのが見つけられます・・・

星座は、故に、イスラエルの国家がその起源を持った、よりずっと以前に、実に、アブラハムがウル市、またはカルデアを離れたずっと以前に、デザインされました。」

マウンダーは明らかに聖書的な年代記に彼の最初の限界点を基けるので、6,000年以上前に存在した文明については説明しません。その明らかなゾディアック的な表しから、「カラノゾ・ゾディアック」と呼ばれるブルガリアからのディスクは、その様な知識が少なくとも6,000年古いと証明します。エジプトのデンデラのゾディアックは、遺物自体とそれが発見された遺跡は2,000年前のものでしかありませんが、10,000年前にそれ(星座)が現れた様に、その輪(ゾディアック)を描写します。間違いなく言える事は、各星座の構成がどうであれ、星々の研究/観測は何万年も遡ると言う事です。

何千年をも超えて理解され、発達させられたこれら全ての複雑な情報を用いて、古代人達は文化全体を宇宙神学の周りに創造し、一貫的に上(天界)を下(地上)に再生産しようと試みました。彼等は天界が、大いなる建築士である神の意志を反映していると信じたので、模造において古代人達は素晴らしい(宗教的な)建物と、素晴らしい街々を築きました。レッジはその宇宙神学的な哲学、または宗教的な思想をこう表現しました:「これは、地球は効果的に唯の天界のコピーで、そして此処、地上で起こった出来事は天界で起こっている事のコピーであると言う思想です。」(ヘルメス:「as above, so below/上の様に、下もまた」)この様にして、石切りと建築士( i.e.メイソン/石工)は、数学を含む地上の神聖な知識の保存者/継承者として確立されました。故に、宗教的なヒエラルキーは司祭達だけでなくメイソンもまた構成しました。

カルデアとシュメール-バビロニアの宇宙神学

最も良く知られた天文学的で司祭的なカースト(神官階級)は、カルデア人と呼ばれたアッシリア-バビロニア文化の人達で、彼等はアッシリア-バビロニア帝国の衰退と共に、ギリシャを含む世界のその他の場所へと最終的に広がりました。この発展の後、カルデアのオカルト(隠された)科学の秘儀性は多少薄れ、大衆にも、もっと知られる様に成りました。太古の権威/文献から明らかなのは、「カルデア人」と言う用語は民族的な表現では無くなり天文学的で神官的な秩序/組織の名称として考えられる様に成り、その中のその他の中から、聖書的な模造は元祖の崇高さには及びませんでしたが、ヘブライ的な神官階級が、大部分において、派生しました。カルデア人達の広く保たれた尊敬を思考し、ユダヤ人哲学者、ファイロ・ジュディ-アス(紀元前20-紀元50年)は、彼の初段階の研究のまとめの中で、カルデア人を、彼が「天文学」と呼び、更に「全ての科学の女王」と呼んだものの「とてつもなく深遠な」理解を持つ者と描写しました。

メソポタミア文化の古代の権威の一人は、紀元前3世紀の間にバビロンの市民だったベロッサスで、彼はギリシャ人とその他に、バビロニア文明を教育する目的で歴史を書きました。ベロッサスは「彼自身を、カルデア出身のベル(バアル)の司祭と同一視」し、そして彼の名前は明らかに「ベルは我が羊飼い」を意味し、神ベル、またはバアルに言及していて、そして羊飼い-神の概念は、キリスト・カルトの時代よりも数世紀以前からあった事を証明しています。ベロッサスの記述で残っているものの全ては、ジョセファスと教会の歴史家ユーゼビウスを含むその他の記述者達の働きの中の断片です。紀元前281年頃に書かれたバビロニアカの記述の中で、ベロッサスは「文明は歴史の産物では全くないと言うメソポタミアの伝統的な見解」を持ち、そして彼の記述は厳格な歴史ではなく、哲学的で、例え話的で、それと同時に宇宙神学的でした。

この(文明は歴史の産物では全くないと言う)歴史的な感覚の欠如にも拘らず、バビロニアの年代表が注目すべきなのは、それが何千年、または数百万年も遡るためで、ベロッソスのアルメニア語の文献は、2,150,000年の年代表を与え、その間、その他の著者達は、ベロッソスの年代表が480,000-490,000年を表していると関連させます。そのより短い方の年代表の中で、バビロニア人の権威(ベロッソス)は、水星の教えの神、オアネスの表れを、38,000年前に起こったと主張される「大洪水」の、前の432,000年とします。ベロッソスは大洪水以前の王達を「カルデア人」と考え、それはそのオーダー(歴代王の順番)に、聖書的なものの何より遥かに長さ(古さ)への主張を与えます。実際に、その王達自身も、聖書的な家長達よりも数千年長い寿命を与えられています。その他に加えて、ベロッソスはまた、大洪水以前の「王達」の名前をリストしますが、それらの名前は、エジプト人の太陽神である「アメン」または「アモン」に類似する「アメノン」や、シュメールとバビロニアだけでなく、イスラエライツの太陽神で豊穣の神だったドゥムジまたはタムズと同義の「ダオノス」の様に、怪しげに、神々の名前に似ています。タムズ(テムズ川の名前の由来)の尊敬は、ベロッソスの年代表によると何千年も遡ります。タムズが表面的に現すのは、双子座の時代の太陽、または双子(タムズ=トマス=双子)で、それは紀元前8800年頃に始まった時代を言及し、またはもっと以前のサイクル(i.e.歳差運動の1周以上前)で、例えばそれより(紀元前8800年より)26,000年(歳差運動1周)以前、等々と成れます。ベロッソス同様に、プロクルス、チチェロ、そしてディオドルスの様な、その他の古代の権威も、カルデアの年代表は数十万年包み込むと関連させます。

ベロッソスはまたこう述べたと記録されています:「大洪水の後の10世代目に、カルデア人の中に、天界的な現象について公正(正義)で、偉大で、知識豊富な男がいた。」彼の翻訳者、バーステインが指摘する様に、この王の「天界的な現象」の知識へのベロッソスの強調は、天文学/占星学、または宇宙神学の科学が、どれ程に重要だったのかに示唆的です。この王は、「正義」または「公正」で、エジプト人に占星学の技術を伝授したとされる、ヘブライの「家長」アブラハムと同一視されます。しかしながら、バビロニアの年代表によると、このカルデアの王は約32,000年前に生きたとされ、ユダヤ-キリスト・カルトの年代表において4,000年前以内に日付けられる「歴史的なアブラハム」に成る事は出来ません。何であれ、キリスト陰謀暴露論とその他で証明された様に、「アブラハム」が歴史的な登場人物では無く、インドの神、ブラーマ(バラモン)の人格化です。

バビロニアの洪水自体は、聖書(の大洪水)より約33,000年以前で、それが証言するのは、2つの氾濫は1つの「歴史的」洪水を反映しないと言う事です。そうであっても、バビロニアの洪水(の時)の王、ヒストラス、またはジスードラの話しは、重要な詳細において後の聖書的なノアの記述と一致しており、神話における共通の発達です。ベロッソスは、ジスードラの船が「アルメニアのコードゥアイアンズの山々」に漂着したと言ったとさえ記述されており、箱舟探求者達が「ノアの箱舟」の一部を発見したと主張した、カーディスタン(クルド国)と同じ地域に位置するのかも知れません。この話は、しかしながら、歴史的ではなく、丘の上での石の「アーク」、または船の創造は、気付かれているより、もっと一般的でした。加えて、ノアの逸話はメキシコの神話の中にも見つけられ、メキシコ版のノアはナタと名付けられ、彼の妻はネナです。インドの神話の中では、「七番目のマヌ」の統治の下、「大地全体」であるサティアヴラタは、腐敗/堕落した人類の全てを含めて、洪水によって破壊されたと言います。一人の王子と7人のリシ達、そして彼等の妻達は、「ヴィシュヌ(フィッシュ/魚座)の命令で、全ての動物の対と共に、」「広い船」に入る事によって生き残りました。

ノアの大洪水が、子供達のおとぎ話で、神話であると言う事実は、何世紀にも渡り、馬鹿正直ではない者達によって知られて、または疑われてきました。大洪水の逸話は、浮かぶ船の詳細等々と共に、世界中の「知られている全ての部族の」中にあります。発見された時、偏在性のこの事実は、ノアの大洪水の歴史性を強調するために使われました。しかしながら、「ノアと彼の大洪水の逸話は、アッシリアとバビロニアの伝説からの応用である事が証明され、(元々)水瓶座と呼ばれるゾディアックのサインに相応しい話しを造る目的で書かれ、バッカスの誕生やゼウスの恋愛と同じぐらい完全に伝説的なものです。言葉を変えると、最後の氷河期の最後の数世紀の間の洪水を含めて、大小様々な洪水があったでしょうが、世界中に広まっている洪水の神話は、「歴史的」では無く天文学的出な来事を反映しています。

バビロニアの有名なエピック、「エヌマ・エリシュ」に明らかに頼りながら、ベロッソスは「オモルカと名付けられた女性」から始め、更なる宇宙神学的な論議を続け、その女性はカルデア語で「タラス」で、ギリシャ語では「タラッサ」で、その言葉は「海」を意味し、そしてマーレまたはマリー(マリア)と同義です。オモルカは、神、ベル-マルドユックが2つに分離する水成の底無し穴、または原始的な海を表す女神、ティアマットと同一視され、聖書的な、地上からの「ファーマメント(蒼穹)」、つまり、空の分離と同じです。エヌマ・エリシュの中でティアマットは「11の生き物」を創造したとされ、それらは恐らく12のゾディアック的なサイン(星座)の内の11を言及していて、それらの内の幾つかはベルがティアマットを半分に割った時に「破壊され」ました。ティアマットを月の女神と一致させる事は可能で、そうすると彼女は「海の女王」と成り、それは女神の後のヴァージョンのあだ名で、処女マリーです。更に加えて、天界の水成的な底無し穴であるティアマットのベルによる破壊において、「ベルはまた、星々と、太陽と、月と、そして5つの惑星を創造しました。」その「5つの惑星」は古代人達によって知られていて、1週間の日々によって表され、火星、水星、木星、金星、そして土星です。ベル/バアルは故に、徐々に秩序と運命の神として考えられるように成ったと同時に、太陽神でもありました。

ベルが吸収された神、マルドユック、またはメロダックはバビロニアの最上級の創造神で木星を表しましたが、ベル-マルドユックは太陽の要素も含んでいたので、後の時代ではそのような者として崇拝されました。聖書と一般的な信仰へのバビロニアの影響の中で、パルマ―博士はこう述べます:

「混沌の龍の退治者、メロダック、そして秩序化された世界の創造主は、元々太陽神で、バビロニアの宗教において最高の重要性を占め、そして反射的な影響によって、神頭(Godhead)とロゴス(言葉)の両方としてのユダヤ人達の神学的な概念を形作る事に貢献したようです。」

彼は更に明言します:

「実際に、バビロニア人達、彼等自身も彼等のメロダック(またはベル)とヘブライのヤー(ヤー=エホヴァ)が一つで同じと考えた様で、彼等が彼等の子供に与えた名前、例えばベル・ヤーフ - つまり、「ベルはヤー」は、デーヴィッドの戦士(1.年代記12:5)、ビールヤーと同義で、そしてシャムーシ・ヤーは、「私の太陽はヤー」と私達は推論出来ます。また、注目すべきなのは、エステルの書の2人の典型的なユダヤ人の主人公達、モーデチャイとエステルが、バビロニアの神々、メロダック(マルドユック)とイスタル(イシュタル)の名前を持つ事です。」

パルマーはまた、マルドユックが「フェアで紳士的」なメキシコの神、ケツアコアトルに類似している事を記述します。

故に、マルドユックは太陽であり、ユダヤの部族的な神、ヤーウェイであると同時に、ロゴスでもあり、とても太古の、先史的な概念です。マルドユックとイシュタルが聖書的な文献におけるモーデチャイとエスタルであると言う事は、ハーバート・カトナーのイエス:人か神話か?の中でも主張されています:

「聖書の中に与えられた話はとても非歴史的で - 聖書大辞典のエスタルの項を参照してください。モーデチャイは確実にバビロニアの神マルドユックまたはメロダックで、エスタルはアスタルテまたはイシュタルです。

イシュタルはその他のものの内、月を表す女神です。月はエヌマ・エリシュの中で「6日を象徴する光を放つ角」を持つと描写され、それは欠ける月の時間で、それはエジプト神話の中の牝牛の女神、ハーソァとしてのイシスと同義です。バビロニアの天文学/占星学は、月に光を供給するよりもむしろ、太陽が月の、彼女自身の光を「奪った」と描写しますが、前者(太陽の光が月に反射する事)は古代人達に知られており、彼等の神話の中で使用されてもいます。恐らくこの(太陽が光を奪ったと言う)考え方は、その前身である月の信仰が後に、太陽の信仰に取って変わられた事から派生したのでしょう。

ベロッソスは「太陽のディスク」に触れますが、その歴史家の月は平らなディスクでは無く丸い球体で、それが示唆するのは、一般的な通説とは対照的に、少なくとも幾らかの古代人達は、地球、月、太陽、そしてその他の惑星の球体的な本質を知っていて - その事実は、キリスト・カルト時代の西洋において発見されたのではなく再発見されたと言う事です。これらの事実は、キリスト・カルトの占星学的な本質が、一般大衆にばれないように意図的に隠蔽された可能性が高いです。古代の時代におけるこの知識への証拠は、インドの宇宙神学に見る事ができ、それはインダス(の人々)が - 西洋世界が再び目覚める遥か以前に - 地球は球体で、太陽の周りを公転すると言う事実を知っていた事を証明します。この証拠に含まれるのは「7つの、より上級のボーバンズ、または純粋化する球体の教義」で、それらを通ってヒンドゥー(の人達)の魂は転生すると言われます。其処にはまた、ルシアンのTreatise de Saltatione同様に「円形のダンス」があり、その期間、インド人達は「太陽の球体を崇拝」します。これらの事実は、ヒンドゥー達が「最も早期の時代から地球はその形状において球体で、そして惑星は太陽の周りを公転すると発見していたと信じる良い理由を与えるとモーリス神父は述べます。また、「アラブ人がギリシャ人から借りた惑星とゾディアックの星々の名前は、インドの最も古い記録に見つけられます。」

再び、カトリック世界が、地球はディスクでは無く球体であると「発見した:とされる何世紀も以前に、彼のナイル川の逆流についての論議の中で、ギリシャの歴史家、ディオドルス・シクルス(紀元前91-20年)によって球体であると指摘され、「・・・川がそれ自体によって世界の反対へと流れ出るのは全く不可能な様で、特にもし地球が球体と感がられるなら」と述べられました。

加えて、カトリック大辞典(「CE」)は、キリスト・カルト信者のヨーロッパ人達が発見したとされる遥か以前に、エジプト人達が太陽系の地動説に気付いていた「言及」があると認めています。現実において、地動説の知識は「聖職者的な秘密」で、有名な「神秘/謎」の一部としての役割を果たし、「地球が太陽の周りを公転すると言う情報はその昔、神秘/謎の最も秘儀的なものの一つでした。」

前述された様に、地球が球体であると言う知識と、太陽系の地動説に加えて、古代人達は明らかに、紀元前2世紀に発見されたとされる以前から、歳差運動について知っていました。ベロッソスも同様に「大いなる歳」を論議しますが、この用語によって彼が黄道のサイクルを意味したのかは確かではありません。彼は、しかしながら、特定的に蟹座と山羊座(i.e.夏至と冬至)について記述し、それによって彼の大いなる歳のゾディアック的な本質を証明します。

ベロッソスの働き(記述)は、ギリシャ語を話す世界に、バビロニアの文化とカルデアの宇宙神学を教育しようとした努力を体現していました。地中海沿岸へのカルデアの占星学者達の移住と供の現れたのが、組織化された同胞団の広まりで、彼等(神官階級)自身に権力を与え一般大衆をたぶらかすために有用な秘儀主義の新たな形状を造り出すために、常に彼等自身お互いに競い合いました。これらの神官-占星学者達と「オカルト(秘儀)術の実施者達」の主要な中心は、学習の大いなるギリシャ-エジプトの街、アレクサンドリアで、其処の(大)図書館には、「占星学と神秘/謎的な題材の秘密の知識に関する」文献を有していました。

アレクサンドリア、カルデア人、そしてローマ帝国内の占星学について、CE(カトリック大辞典)は、ローマ人達は「アレクサンドリア占星学の神秘的で謎的な教義」について懐疑的であったと明言します。イタリアのカルデア人達は、ケイトー(紀元前234-149年)の様なローマの著者達に激しく攻撃され、そして紀元前139年には「執政官、クネイウス・コーネリアス・ヒスパルスが、全ての占星学者達をイタリアから追い出しました。」皇帝オーガスタス(オーガスティヌス)の下で、しかしながら、占星学者は保護され、戻る事が許されました。紀元前45年頃、恐らくカルデア人であったマルコス・マニラスによって、ラテン語の最初の占星学の本、「アストロノミカ(宇宙学)」が書かれ、オーガスタスに献呈されました。キリスト・カルト時代の初期の段階での占星学の重要性に関してCEは続けます:

「クラウディヌスとヴェスパシアンの統治の下の様な、それを抑制/隠蔽しようとする繰り返された試みにも拘らず、占星学はそれ自体を、ローマ帝国内の代表的な文化の一つとして保ち・・・マルコス・アウレリウスの死後も(没紀元180年)、カルデア人達は常に、帝国宮廷における重要な人材でした。偉大なコンスタンティン(コンスタンティヌス)の時代程、後期に成っても、後にキリスト・カルトに改信した帝国的な著名人、ジュリウス・ファーミカス・マターナスが「数学、または星々の力と影響」について書き、その8冊の文献は、ルネッサンス時代まで占星学の主要な権威でした。」

様々な神官的な術と科学を発達させ記録した、この指揮された「ローマ的」努力に含まれるのは、多くのユダヤ人、サマリア人、プロト(原)キリスト・カルト信者、そしてキリスト・カルト信者達の努力です。

星々へのユダヤ-キリスト・カルト的な証言

私達は、古代の、キリスト・カルト以前の著者達が、彼等の神々は宇宙神学的であり、そして占星学はペイガン(非ユダヤ-キリスト・カルト土着信仰)世界において主流の思想、または「科学」であったと説明したのを見てきました。ペイガン達同様に、早期の教会の神父達は、普及する宇宙神学を議論しましたが、それが彼等の競争相手だったので、殆ど避けられるものではありませんでした。当然、彼等がそれについてコメントをした時、それらは頻繁に軽蔑的で見くびったものでした。例えば、異教徒に対しての中で神学者、聖者アサナシウス(西暦293-373年)は、全てのものの上にキリスト・カルトの神を位置付けようと試み、太古の信仰は宇宙神学的と確立させ、そして関連して、人類は「神への称えをまず、天界と太陽と月と星々に与え、それらが神々であるだけでなく、彼等より低い地位のその他の神々の原因と考えました・・・」と述べました。

キリスト・カルトの教義を推進するコモディアヌスの指示。異教徒の神々に対抗して(3世紀から4世紀頃)の中で、その著者はこう馬鹿にします:

「もし貴方が星々を信仰し、またゾディアックの12のサインを、牡羊座を、牡牛座を、双子座を、凶暴な獅子座と共に信仰するなら、そして最後にそれらは魚座に行きつくので - それらを料理すれば貴方はそれらを証明するでしょう・・・太陽と月に関して貴方は間違っていて、それらは私達の身近な存在だけれども、私が以前にした様に、貴方はそれらに祈らなければならないと考えます。」

彼の異教徒への奨励の中で、アレクサンドリアのクレメントは、「異教徒」は「天界の熟考によって騙されていて」、星々を神格化し太陽を崇拝すると明言しています。その例として彼は、インド人とフリギア人を上げます。

キリスト・カルト信者の著者達の最も影響力のあった者の一人、教会の歴史家エウゼビウス(西暦230-341年)は同様に、その競争相手であるペイガニズムが宇宙神学的であると認識する間、キリスト・カルトの優越性を強調しました。皇帝コンスタンティンを讃えるエウゼビウス・パンフィルスの演説の中でエウゼビウスはイエスを「公正さの太陽」と呼び、それは新約聖書の直ぐ後に続く書で文章であるマラチャイ4:2の聖書的な文章に基づいた一般的な代理で、福音書の話しは、太陽的な特徴を持った英雄に基づいている事を証明します。

彼の申し立ての中でエウゼビウスは、ペイガンの宇宙神学性と要素信仰( i.e.火、水、空気、土)を指摘し、それらを軽蔑し、その様な物事に「全てのものの創造主と同等の敬意」を与えるためにそれらを馬鹿げていると考えました。実際に、エウゼビウスは明らかに、皇帝をソル・インヴィクタス - 征服されていない太陽 - から太陽の背後の力、つまり、神へ、彼の宗教的な忠誠を変えるよう説得する強い努力において、太陽崇拝を何度も語りました。

「より優れている」と主張されるキリスト・カルトの思想を強要するために、古代人達の英知を排他する彼の軽蔑的なプロパガンダの中で、それを実施/信仰する者達を、「天と地の主である彼を、理解する能力の無い、私達の無知で愚かな民族」と呼ぶ事で、エウゼビウスは、宇宙神学が主流な宗教の形状であったことを証明します。代わりに彼は、彼等は「神のタイトルを太陽と月に、天界と天界の星々と同時に、大地と、原要素と生き物自体に与えた」と不平を言います。

見下された天界を熟考する者達の中にいたのはペイガンだけでなくユダヤ人達もまたそうでした。上記された様に、最初のヘブライの家長、アブラハムは天文学者/占星学者、またはカルデア人だったと、少なくとも過去二千年を超えて繰り返し主張され続けてきました。イスラエルは近隣諸国よりも劣る自然崇拝文化では無く、それは戦争の神ヤーウェイの熱狂的な信者達が「天界の主人の全て」を信仰する事による、イスラエライツの一貫的な厳しい非難によって証明されています。宇宙的な信仰に対するその禁止において、聖書自体が太古の宇宙神学についての証拠を供給します。その禁止にも拘らず、しかしながら、古代のヘブライとイスラエライツは同様に、宇宙神学的な信仰を崇拝し、そして聖書は「今までに書かれた最も偉大な天文学的な文献」と表現されました。キングスボロ卿が、メキシコの古代の中で関連させる様に:

「ユダヤ人達が、太陽、月、そして各惑星を崇拝した事は、王達の第2書の23章の4、5、そして11行から証明されるでしょう。」

ユダヤ人と早期のキリスト・カルト信者達の両方が「太陽、月、そして惑星は、魂を持った、生きている存在」と信じました。この信仰は、例えば、「星々は徳と完璧性で満たされたスピリット(霊)的な存在と考えた」ファイロ・ジュデアスにも持たれました。特別な法則I(III.13)の中でファイロは、「ある人達は太陽と、そして月と、そしてその他の星々が独立した神々と考え、それらに彼等は、存在する物事の全ての原因を帰属させました」と記述します。ファイロはこれらの天体は独立的では無く、真の神の「(代理)総督」で、「副官」であると考えていました。

福音書の(中の)出来事が起きていたとされる時代に生きていたのに、それらのキリスト、またはキリスト・カルトについて全く記述しなかったファイロ(ジュデアス)は、(彼)以前にギリシャの賢者、プラトン(紀元前428-348年)によって洗練されたロゴス(言葉)の概念を、ユダヤ的にキリスト・カルト以前のヴァージョンとして発達させた事で有名です。プラトンのものと同様に、ファイロのロゴス、または言葉は太陽で、それをファイロは明らかにまた、「徳と完璧さに満ちたスピリット(霊)的な存在」と信じていました。すなわち、太陽はロゴスで、生きている言葉で、唯一の「神の息子」です。このキリスト・カルト(発達)以前のユダヤのロゴスは、旧約聖書/トーラ/テナックのギリシャ語への翻訳者達によって発達させられ、特に北方の王国の英雄、ジョシュア、またはギリシャ語で書かれた名前、イエスに関して発達させました。実際に、ジョシュア/イエスは太陽的な英雄、または太陽神であると、数世紀を超え何度も強調されてきましたが、結局の処、聖書の主要な登場人物達や話しは、歴史的な登場人物でも文字通りの歴史でも無く、例え話で、そして実際に宇宙神学的です。

現実において古代のジュデアの人々は、「護符、お守り、呪文、除霊などの魔法的なもの全てを豊富に使用した迷信的な人達でした。」これに関して、ジュダ主義が繁栄した地域に宇宙神学が浸透していたのは事実で、カトリック大辞典によって確認される様に、ユダヤ人達に影響しました:

「・・・宇宙的な信仰はパレスチナにおいて盛んで、そして彼等[ユダヤ人達]は、その魅力に身を委ねる事無しで、その天体に親密な敬意を払う事は殆ど出来ませんでした。天文学は、これ等の状況の下で、占星学と切り離せられませんでした・・・神の最も栄光的な働きとして、天界的な惑星は実に、歓喜にきわまる聖典の興奮的な文章で祝われました・・・ユダヤ人達は月暦を使いましたが・・・ユダヤの暦は、しかしながら、それが指定したお祭りが、部分的に農耕的な祝日だったので、太陽の移動に帰属していました・・・

・・・蒼穹の上に位置すると考えられた星的な天井はイザイアによって最も崇高(神)によって広げられたテントと比較されました。

旧約聖書の中の天文学的な隠喩

聖典的な表現に頻繁に起こる「天界の主人」は、一般的、そして特定的な意味の両方を持ちます。ある文脈では、それは星々の全体を代理し、またある処では特定的に、太陽、月、惑星、そして特定の選択された星々に応用され、その信仰はバビロニアから後のイスラエルの王達の下で紹介されました。」

春分に最も近い新月から始まり、ユダヤ暦は、「太陽と月の両方に統制されて」いました。ユダヤ人達に使用されたシステム的な天文学の観測は、彼等の師匠であるカルデア人達によって既に発達させられていて、聖書の中の明確な禁止にも拘らず、ユダヤ人達が天文学を実行し続けたのは、死海で発見された「ホロスコープ」やイスラエル北部の寺院の床のゾディアックによって証明されています。加えて、ヘブライ語のアルファベットは、惑星、星座、そして季節の「統治者」または天使達(角度)やデーモン達の人格化として考えられました。

エジプトとバビロニアの影響の下で、ユダヤ主義は故に「時間の太陽的な計算に基づいた、独立的で占星学的なシステムに成り・・・、実に、特徴と未来を判断するためのホロスコープの知識さえありました・・・」ユダヤ的な天文学に関してCE(カトリック大辞典)は、バビロニアからの追放の後、その科学は、特に「イスラエルの教育された階級の中」で「とても素早く広まり」、「ペルシャ-カルデアの強い影響」を明かした「ユダヤ的な天文文学」を創造しました。例えば惑星の天使達と悪魔達へのユダヤ的な祈りは、紀元前3世紀と2世紀に年代鑑定されるコーデックス・パリスに見つける事が出来ます。聖書外典的でユダヤ的な文献、エノクの秘密の書は幻想的ですが、「(古代)ギリシャ的な東(中近東)における宇宙的で純粋に天文学的な問題に関する情報の豊かな宝箱です。」

ユダヤ的な占星学を論ずる行程において、しかしながら、CEはキリスト・カルトの優越性もまた、主張しなければなりませんでした:

「退廃的なユダヤ主義によって表され、聖書の中に保存された占星学への情熱は、運命的な迷信へのセム的国家の性癖と、キリスト・カルトの道徳の純粋化する勝利的な力の唯のもう一つの証拠です。」

何であれ、キリスト・カルト時代に直接先行した(古代)ギリシャ時代、「占星学は最も高度な「科学」と考えられました・・・」キリスト・カルト以前の外典的なユダヤの文献、ソロモンの英知(13:1-2)の中で、その著者は、この太古で人気のある占星学を批評し、その偏在性と重要性を証明しました。「全ての人々は・・・本質的に愚かである」と呼び、その著者は、彼等は「神の概念は持たないが」、自然とその要素を、「星々の輪」と同時に信仰し、そしてその「天界的な発光体を世界の統治者達とし、彼等は神々と考えます」

ストロマタ(V)の中で、アレクサンドリアのクレメントは、占星学的な擁護でエフォッドと呼ばれるユダヤの(司祭の)儀式的な胸の板、またはエプロンを描写し、彼以前にジョセファスがした様に、エメラルドの石は「太陽と月を象徴していて・・・その12の宝石は、胸の上で4列に配列され、私達にゾディアクの輪を表しています・・・」クレメントはその他のキリスト・カルト信者の記述者達の大半より、より詳細に太陽と占星学の様々な要素を記述しますが、キリスト・カルトが元々は、同じ宇宙神学から派生した事を暗示するかも知れない神秘/謎を暴露する事を避けました。

キリスト・カルト時代の中へと至る、ユダヤの占星学的な信仰を証明するもう一つの文献は、ピーターの説教で、それは彼等をその様な偶像崇拝のために非難します。しかしながら、ペイガンの占星学への典型的なキリスト・カルト的な軽蔑は、キリスト・カルト信者自身達が、様々な天体は生きていて、魂を持った「天使達」であると信じた事も含む、様々な理由で偽善的です。多大な研究と聖書の引用の後、神学家、オリジェン(185-232)は、太陽、月、そして星々は、「生きていて理性的な存在」で「英知によってイルミネートされ」そして自由な意志を有するとしました。教会の神父、イレナエウス(fl.190)は、古代人達の神々が天体的な発光体と認識し、また彼等の神と神人は、ペイガンの神々に勝ると主張したキリスト・カルト信者達にとってでさえ、その様な「偶像」はそれでも「存在」として人格化され、そして神の生き物として見解されました。

故に天体崇拝、または占星学は、主流の宗教としてとても一般的だったので、早期のキリスト・カルトの権威達は、それを指定して否定せざる負えず、その間、彼等自身の宗教をその対峙としてその優越性を確立させる事を試みました。故に、キリスト・カルト以前の信仰を破壊するための彼等の試みにおいて、キリスト・カルトの支持者達は、彼等の「明かされた」宗教と、古代人達の占星学の間を鋭く分離させ、大声で占星学を非難しました。この分離は、しかしながら、中国の万里の長城同様に人工的で、その根源においてキリスト・カルトは、ペイガンの宇宙神学の再パッケージ化に他なりません。

キリスト・カルトの創造者達の宇宙神学は、キリスト誕生に現れた「賢者達」 - ペルシャ人の賢者達に - すぐさま反映されています。ヘンゲルが言う様に、「太古の占星学の最も貴重な「産物」の一つは、未来に予測された賢明な「世界統治者」のホロスコープ(ホルスのスコープ)でした。」ユダヤのメシア(救世主)に関する預言と呼ばれるものは、ローマ(帝国)の統治者達の占星学に劣るものではありませんでした。

キリスト・カルトの占星学への攻撃は激しく、優位性とペイガンの占星学をキリスト・カルトのもの(教義)に入れ替えるための熱望によって動機され、後者(キリスト・カルト)自体の宇宙神学的な根源を隠蔽する事が目的されていました。キリスト・カルトの神父達は最終的に、「占星学者達」、つまり、カルデア人とその他のペイガン信仰の祭司達への、悪意ある迫害への責任がありました。キリスト・カルト信者達による、継続的な迫害にも拘わらず、アラブとユダヤの大学と学者達は、中世を通して占星学を生き続けさせました。時が過ぎる程に、ヨーロッパから決して消滅する事の無かったこの「偽りの教義」は、教会の権威によって、一方では強く非難されましたが、もう一方では抱擁され、よりあらわに表面に現れる様に成りました。カトリック大辞典(CE)によって記述される様に、「チャールズ4世と5世、法王シクスタス4世、ジュリウス2世、レオ10世、そしてポール3世」を含む、実に様々な皇帝や法王達が「占星学の信者に成りました。」芸術の熱心なパトロン達の中にいたのはメディチ家で、キャサリン・デ・メディチはフランス人の間で占星学を人気のあるものにし、そしてノストラダムスを彼女の「宮廷占星学者」にしました」とCEは続けます。法王レオ10世とクレメント7世は同じ宮廷占星学者、ガウリカスを雇い、その者は「占星学的な条約の数多くを出版しました。」加えて、ルネッサンスの間、「宗教は・・・占星学の指示に服従的で」それぞれの宗教の派生は占星学的な土台が与えられたとCEは更に記述します:

「故に木星と土星のコンジャンクション(連結)がヘブライの信仰の派生を許したと言われ;木星と火星のそれはカルデア的な宗教の現れに成り;木星と太陽のそれはエジプト的な宗教に成り;木星と金星のそれはモハメッド主義(イスラム/アラー・カルト)に成り;そして木星と水星のそれはキリスト・カルトに成ったと言われます。」

ご覧になれる様に、世界のそれぞれの文化は、何千年もに渡り、宇宙の宇宙神学的な解釈の周りで、その大部分を発展させました。宇宙神学は、人間の歴史の夜明けから、世界的な原則的で宗教的な観念でした。これから更に証明される様に、それはこの世界で統治している人気のある宗教の土台であり続けます。

エヴェメリズム(エヴェメラス主義)

様々な自然の力や天体を人間達が、神々や女神達に人格化し始めてから、それらの話しを単純化し世代から世代へと伝承する試みにおいて、これらの人格化された存在の、神秘的、神話的、例え話的、そして非歴史的な起源を忘れ、そしてこれらの太古の神々と英雄達は「本当(実在)の人々」で、その途方もない活躍は遠い昔に起こったと信じる傾向がありました。何世紀も、何世紀も、詩人達やその他の想像力豊かな記述者達は、太古の神々と英雄達の大袈裟な話を伝え、彼等をその昔、「地上を歩いた」実際の「人間」(または現在的(流行で言うと)「異質な存在/宇宙人」)と描写しました。太古の神々に関して、その様な主張は単純に、本当ではありませんでした。

この誤った傾向は、太古の神々は、伝説的なドレス/衣服を与えられた、そして/または神にされた王達と英雄達であると断言した紀元前4世紀のギリシャ人の哲学者、ユーエメロス、ユーヘメルス、またはエヴェメラスの記述と共に、強い刺激を受けました。このテーゼは「ユーヘメリズム」、または(「ユアンジェリカル」が「イヴェンジェリカル」に変わった様に)発音しやすい様に、「エヴェメリズム」と呼ばれました。エヴェメリズムの発達はアレクサンダー大王の神格化まで遡れます:

「アレクサンダーの死後数年の内に、アレクサンダーの友人で大使であったユーエメルスは、プサルマンツァーのものの様な文学的な詐欺の助けと共に、ギリシャ人達に崇拝された全ての神々は、その昔、王達であった、または少なくとも、地上の卓越した男達と女達であったという論説が提唱されました・・・」

ユーヘメルスはこのテーゼを起因させたのではなく、(紀元前)5世紀のギリシャの歴史家、ヘロドトス(2:143-145)は、オシリスやホルスの様なエジプトの神々は、数10万年以前に生きた「本当の人々」であるという信仰を思い返しました。キリスト・カルト以前の権威、ディオドルス・シクルスの様なその他の太古の記述者達は、ユーヘメルスの導きに続き、オシリスとイシスはそれぞれ太陽と月を表す間、彼等はそれ以前には、長い人生を持ち世界的に活躍した命に限りある者( i.e.人間)としました。ホルスが「国家的な英雄」であると言うような観念は、神話学者達とその他のエヴェメリズムの批評家達によって、強く否定されています。豊富に現された様に、多くの太古の記述者達は、占星学的で自然的な存在であり力であるものを、正しく見極めました。明らかに、これらの(神々を昔の人々とする)知覚は混乱されていて矛盾的です。神々が、現実において太陽、月、星々、地球、そして自然の力であると言う知識は故に、長くて、散漫的で、そして非理論的な退屈な話しの下に隠され、この事実を秘密、または謎/神秘にしました。

何世紀にも渡り、キリスト・カルトの(カトリック)教会の神父達自身が、太古の神々は大々的に宇宙神学的であると言う認識と、それらは「単なる人間」であると見下し、つまり、神々の地位に昇進させられた昔の人達であると言う認識の間を行ったり来たりしました。ある時、この二分性は一人の著者のある一章の中に表されました。クレメント・アレクサンドリヌス、ラクタンティヌス、そしてオーガスタインの様なキリスト・カルト信者の記述者達は、そのエヴェメリストの荷馬車に便乗し、太古の神々を単なる人間の地位に降落させるためにエヴェメリズムを使い、それら(神々)の上に、自由に痛烈な皮肉と見くびりを積み上げました。それと同時に、彼等はこれらの同じペイガンの「人間達」を「デーモン」として誹謗中傷したので、故に矛盾的に、それらに超自然的な性質を与えました。例えば、教会の神父、アイレナエウスは、ペイガンの神々を「デーモン達」と呼び、それらは人間では無いと述べます。「デーモン」と言う言葉はギリシャ語で、つまり、ダイモンまたはダエモンで、元々、善い、または神聖な存在を意味し、家庭の神または守護神で、ラテン語では「ジニウス」と呼ばれました。キリスト・カルトのプロパガンダは、その知覚を反転させ、それらを邪悪な存在にしました。

人間であるのに不死として現れる太古の神々の正体を暴露するエヴェメリズムの効果的な使用は、クレメントのホミリーズ(VI,c.II)の中に見つけられ、その中でその著者は、その登場人物である「アピオン」が、「神話は文字通りに取られるべきではない」と宣言する様に描写します。彼の文脈の中で、「アピオン」は「古代人の最も賢明な者達は」、「相応しくない者達」から、「神聖な物事におけるレッスンを味わった事の無い者達から」、彼等の努力して学んだ知識を秘密にしたと明言します。彼の神々への誹謗中傷において、クレメントがアピオンに言わせるのは、ギリシャ神話のより奇怪で胸が悪くなる要素で、例えば、クロノスによるオウラノス(ウラノス)の(体の)切断、オウラノスの血からのアフロディ―テの誕生、クロノスによる彼の「長男」、プルートと、次男、ポセイドンの飲み込み、クロノスによる彼のその次の息子、ゼウスの飲み込みと吐き出し、ゼウスによるクロノスの追放と、彼の人間の女性達への好色、ゼウスと彼自身の姉妹達、娘達、そして義理の姉妹達との「関係」、そして彼の「恥ずべき男色」、等々です。

クレメントが続けるように扇動した後、「その様な話の全ては例え話」と題された、第十章の中で、アピオンは、それらの話しの幾つかが象徴的に何を意味しているかを説明し、例えばアポロは「放浪している太陽」で「ゼウスの息子であり・・・またミトラ/ミスラとも呼ばれる」と描写します。クレメントはそれから(第十四章の中で)反応し、「その12[のオリンピアの神々]は運命の天界的な道具で、ゾディアックと呼ばれます」と述べます。

典型的に非理論的で軽蔑的なクレメントは、これ等の逸話を例え話であると受け入れる事が出来ず、ですから第二十章の中で彼は傲慢にもその説明を否定し、「これらの神々は本当に邪悪な魔術師だった」と主張し、(第二十一章の中では)「彼等の墓は今でも見る事が出来ます。」と述べます。クレメントの基本的な論法は、それらの存在には墓があるので、それらは「神々」では無く単なる人間であると言う事です。言葉を変えると、彼は(キリスト・カルトから見て)競争相手の神々を誹謗中傷するために、エヴェメリスト的な論法を使いました。

オーガスタインは同じ理由づけを使い、太古の神々を「単なる人間達」に降格させるために、古代人達が彼等の地域でその神々が生まれた、または訪問した事を証明するために、神聖な場所(遺跡)や遺物を創造したので、古代人達にもそう信じられていたと提案しました。しかしながら、この論法は浅はかで見かけ倒しで、無数のその様な墓場や墓を創造した神官階級は、それらが実際的なものではなく、象徴的なものであった事を熟知していました。遺物創造は神官技術のとても古い部分なので、これ等の遺跡、逸話、そして遺物は、これらの様々な神々の歴史性を何ら全く「証明」しません。イエス・キリストに関しても全く同様で、オーガスタインの理由づけによると、(イエスも)また「命に限りある単なる人間」に成り、神ではありません。

幸運にも、キリスト・カルトの代弁者達の詭弁的な論法にも拘らず、多くの太古の記述者達は、その神々が例え話的で、大体において天体を表していると認識していました。古代人達が「天界の主人」等々を崇拝していたと知ると、これ等の神々が「実在の人々」だったと提案するのは馬鹿馬鹿しく成ります。大半の件において、エヴェメリズムを応用出来ないのは明らかで、そしてそれは実際に、否定されています。

その混乱に加えられるのは、神官達が頻繁に、彼等が代理する神々の名前で呼ばれていた事実で:「・・・神官達は彼等が奉仕していた神々の名前をタイトル(役名)として使いました・・・」故に、これ等の神々は「実際の人々」であったと想像されましたが、実際には彼等の神官達またはその他の代理でした。この発展の一つの例として、黄金の大枝の中で、アステカ人達の中での聖体拝領を論議するにおいて、フレイザー卿は「ケツアコアトルの名を使いその役割を演じる神官」について言及しています。更に加えて、(古代)ギリシャ人達は、「寺院を神々と間違え、そして場所を人々と間違えました。」実に、文化と部族全体が、彼等の神々に続いて呼ばれ:「入植地は常に何らかの神の守護とタイトルの下で開かれました。この指揮的な神は、時が経つと本当の指導者として推測されました。言葉を変えると、部族的な「家長達」とそれに類似するものは、現実には一つのカルトがもう一つに入れ替わられる際に人間とされた太古の神々でした。聖書的な「歴史」の彼の防衛、創世記の伝説の中で、保守的な学者、ハーマン・グンケルは、家長達のリストを遡り、レヴァントの神話の中でそれらと一致するものを比較した際に、家長達が「変装させられた神々」であると認めざるを得ませんでした。グンケルはこう述べました:

「サラとミルカは、私達が知る様に、ハランの女神達で、それらと聖書的な登場人物、サラとミルカは何らの関連が恐らくあるでしょう。これが暗示するのは、とても単純に、サラの夫であるアブラハムは、ハランの(月)神の入れ替えであると言う考えです。ラバンと言う名前もまた、神を暗示し・・・古代においても、近代に成ってもアブラハム、アイザック、そしてヤコブを、元々は神々だったと説明する試みが繰り返し行われました。この関連性はとても可能性が高い事を否定する事は出来ません。」

再び、神の神話と、彼の人々の歴史は頻繁に、混ぜ合わされました。キリスト・カルトの学者、ジェイコブ・ブラィアントが明言する様に:

「早期の時代の様に、入植地は、彼等の崇拝した神の名前によって開かれ;または彼等の国が表示された印しの名前や象形文字で表され;その様な人々によって行われた全ての略奪行為は、その神の名の下で行われました・・・故に、エジプト人、またはカナアン人、もしくはタイリア人がこちらやあちらの人達をさらったと言う代わりに、人々は、鷲、または白鳥、もしくは牡牛の姿をしたジュピター(木星)によって成されたと言い、鷲はエジプトの代わりで、白鳥はカナアンで、そして牡牛はタイアー(タイリア)の街でした。」

「反エヴェメリスト」で信心深いブライアントは更に観測します:

「・・・殆どの神格化された人々は全く存在しませんでしたが、その神の単なるタイトル(別名)で、マウロビウスによって大々的に証明された様に太陽です。非ユダヤ世界の神々が、彼等が崇拝された国々の生まれとする事程、太古の歴史に損害的なものはありませんでした。」

教会の神父達とは異なり、ブライアントは、太古の神々が、彼等が死んだ国々で崇拝された「神格化された人間」だとは信じないと明言しています。彼はそれから、神父達の「異教徒を改信させる」動機を宣言し、彼等は「故に彼等自身の原則の上での論法を取り、彼等(異教徒)自身の証言から彼等の誤りを立証させました・・・」

私達が見られる様に、神秘化させる神官技術は豊富に実施され、そしてエヴェメリズムはその好まれた道具の一つです。この傾向にも拘らずデュポァの太古の宗教と神話の、神話的、例え話的な本質と象徴性の証明において、偉大な学者デュポァは、同様にエヴェメリズムを肯定せず、「キリスト・カルトは、殆どのその他の主要な宗教と同様に、デュポァの最終分析において、単なる腐敗した太陽崇拝である」としました。

聖職者で神話学者のジョージ・コックス神父も「真実と正直さに反するユーメロスの罪」に同意しませんでした。」ユーヘメロスは「神々を降格」させ、彼等の宗教を「単なる無神主義」へと溶解させたので、「彼の同国の人々からは不人気でした」と記述しました。

実際に、エヴェメリズムは私達から、神話の背後にある美と英知を奪います:すなわち、素晴らしい自然界と宇宙の観測です。サンティラーナが明言する様に:

「神話を歴史へと減少させようとする試みは、「ユーヘメリスト」的な傾向と呼ばれ、最初の暴露主義者、ユーヘメロスの名前に由来します。それは流行の波で、今は薄らぎ、永続するには単純思考過ぎたからです。神話は本質的に宇宙的です。」

最終分析において、不死の者達は神々にされた人々ではなく、人々にされた神々でした。そしてこれらの神々は、天体と地上的な体と力(i.e.自然の力)の人格化でした。

明らかに、天界の研究と崇敬は何千年にも遡り、人類によって発達させられた元々の宗教的な概念の大部分を構成していました。そしてまた鮮明なのは、古代人達は、彼等が信仰しているのは、太陽、月、星々、そして「天界の全ての主人」と善く知っていた事です。文化全体が宇宙神学の上に土台付けられ、そしてその栄光化のために数々の素晴らしい(宗教的)建物が構築されました。実に、聖書的な記述者達による(宇宙神学の)禁止は、宇宙的な天体と自然現象のこの崇拝がどれだけ重要で広く広まっていたのかを証明します。教会の神父達とその他のキリスト・カルトの信者の記述者達は、この宇宙神学とその古さを認識しましたが、出来る限りそれを誹謗中傷しました。何故でしょう?詳細な調査は、彼等自身の思想について何を明かすでしょう?キリスト・コンスピリシーと此処の中で証明された様に、宇宙神学についての知識は、キリスト・カルト自体の宗教は、実質的に全ての重要な要素においてペイガンであり、太古の宗教の造り直しを構成している事を明かします。ですが、何千年もの期間を超えて、私達の遠い先祖達によって発達させられたこの宇宙神学は、象徴的に、そして例え話的に、宝の宝庫です。故に、この知識の復元は絶望させられるものでは無く、喜ばれるものです。

3.神、太陽

「おお、太陽よ、全ての統治者よ、この世界のスピリットよ、世界の力よ、この世界の光よ。

日中の神、または神、太陽は、太古の世界の偉大な神であり、世界中の全ての人々によって崇拝され、私達はそれが、新旧両大陸で盛んに崇拝され、全ての神聖な例え話の中で人格化され、詩的に人間の運命を苦しんだ(i.e.命に限りがあった)と表現され、太陽の誕生、そして復活は至る所に見られ、彼が、アドニス、オシリス、ヘラクレス、バッカス、アティス、クリシュナ、ミトラ、またはキリストと呼ばれようとも、ゆりかごと墓さえもありました!」
- キリストの存在が否定された

古代の人々は、現在の時代から何世紀も、何千年も遡る彼等の宗教において、彼等の神々が太陽、月、そして惑星を代理する、宇宙神学に基づいていた事を豊富に認識していました。彼等の集中の一つは太陽で、この世界が生き続け、繁栄し続けられるように光と温かさを与える博愛的な恒星でした。太陽とその光によって象徴された神は、世界中の宗教の中央の点で、太陽の話しは、何千年、または何万年、もしくはそれ以上の年月を超えて発達させられました。太陽とその日々の、月々の、そして年々の、歳差運動(ページ右リンク参照)的な運動の観測は、それが神として人格化された複雑な神話に繋がり、殆どの場合、男性ですが、時には女性とされました。太陽の神聖な性質のために、元々、太陽的な英雄では無かった神々が、最終的に太陽神へと変格され、または融合されました。また、その位置(季節)と特徴に基づいた太陽のための数々の名前は、同様に全体の独立た部分として人格化されました。太陽には地上で起こる多くの出来事への責任があると考えられたので、それは神聖と考えられただけでなく、実質的に全知全能と考えられました。故に、多くの神々は、異なった仕事を行いますが、そうであっても「太陽神」または「太陽の神々」と考えられ、融合されると「神、太陽」と呼ぶ事が出来ます。一世紀以上前に、マックス・ミューラー博士は、古代人達の浸透した太陽崇拝をエレガントにこう表現しました:

「地上の早期の住人達の思考の中で、太陽がどの地位を占めたのかは、私達は決して完全に理解する事は出来ないでしょう。私達がどう生きるか、そしてどう動くか、そしてどう私達の存在を太陽の中に持つか、どう私達がそれを燃やすか、どう私達がそれを吸い込むか、どう私達がそれを食べる/吸収するかを私達に教える、ティンダルの正真正銘の雄弁さの中で描写された最も最近の科学的な発見でさえ、この光と生命の源泉が、この静かな旅人が、この雄大な統治者が、この離れ行く友人、または死に逝く英雄が、彼の日々の、または年々の運動において、人類の目覚め行く意識にとって、何を意味するかのアイデアさえも与えません。人々はとても多くの神話において、日々の会話が太陽的であった事を不思議がりますが、それ以外に何がそう成れたでしょう?太陽の名前は無数で、彼の話しも同様ですが、彼が誰/何なのか、何処から来て何処に行くのかは、始めから終りまで謎でした。」

太古の太陽への崇拝は、同様にキリスト・カルト(信仰)の神話が明かされた(「CMU」)の中で記述されました:

「・・・太陽は、大いなる全知全能の原子核として見上げられ、その全ての活性的な力は、地上の動物的、植物的な存在の重要で唯一の源とされ - その栄光的な土台から派生するのは、人が有せる全て、または善と呼ぶ事の出来るもので、その様なものとして、人類のホマージュと崇高の唯一の正しい物体で、故に太陽は、パウサニアスが述べる様に、「救世主」の名の下で、エリューシスにおいて崇拝されました。」

太陽は大いなる創造主でロゴスであるだけでなく、また人類の運命を操作する「統治者」であり、「救世主」であり、そして「全知全能の原子核」でした。「原始/元祖的な存在」と考えられ、太陽は「神々の神」で、「王達の王」で、最強で全てを包み込む、「宇宙的なマインド」の現れでした。太陽、または「大いなる父」と月、または「大いなる母」は人類の「先祖」であり「保護者」でした。

それは単一的に多神教的であると知覚されますが、太陽的な宗教は一種の「万神的な一神教」を表し、同時に一元論的でもあります。ワイルダーが述べる様に、「最高の存在(神)は一つであり絶対で、どれだけ奇怪で多神教的だと思われても、全ての太古の信仰を導く原則です。」太陽は故に単純に神々の内の一つでは無く、長い間それは代表的な神で、比較されるとその他の神々は色あせてしまいました。実際に、その他の神々は太陽的な特徴を強化として会得し、それ無しでは弱いままで、光、温かさ、治癒、そして繁殖性は全て、太陽からの神聖な贈り物でした。太陽は神聖なランプで、その美と栄光は、詩人達によって賞揚されました。「光の主」として、太陽は、闇を追いやり地上を照らします。太陽は雨、光、そして熱の供給者として、繁殖性、植物、そして命自体の源泉です。農耕と畜産の上に座する神として、「彼」は牛の群れであり、羊飼いであり、そして牧師でした。

多くの文化において、太陽は「救世主」として考えられただけでなく、肉体的、精神的な病の大いなる治癒者で、医者であると考えられました。太陽はまた、悪夢を防ぎ、デーモンに対しての守護と信じられました。彼(または彼女)は幸運、平和、そして繁栄をもたらすものでした。太陽はまた、スピリット(霊)的な頭(代表)で、神秘/謎の保持者/後継者でした。インドの学者、V.C. スリヴァスタヴァが古代インドの太陽信仰の中で明言する様に、「太陽が、彼の光線によって覆われる/隠される様に、現実は無知によって隠されると言われます。」太陽は誓いや婚姻を司ると同時に、神官階級、またはその他の神秘主義学派/同胞団(秘密結社)への入門を司ります。その様な時に彼は、祈りや捧げ物/献身を通して呼び覚まされ;日々の祈りは一般的に太陽信仰において規定されます。同様に、彼は暖炉/いろりや、家の建設の時や、破壊、そして体が死んだ時に呼び覚まされます。太陽は死の上に座し;彼は死者を運び浄化するものです。太陽は敵に対して死の天使として呼び覚まされ、主に善で博愛的と知覚されますが、度が過ぎる熱の部分に関しては、彼は邪悪で悪意あるものでもあると考えられます。

「彼」の一貫性と頼りやすさのために、太陽は大いなる審判で代弁者であると見られる様に成り、その存在の下で最も厳粛な誓いは行われ、重要な法律は造られ、そして戦争やスポーツの試合は戦われました。太陽はまた、筆記や暗号の発明の責任があると描写され:中国では、例えば、ある学者達は、「新石器時代のダ・ウェン・コウ文化(紀元前4300-2500年)の土器の上の太陽の模様は、原始的な漢字の基礎であると結論」しました。その様な太陽のイメージは、螺旋、輪、車輪、点、スワスティカ(卍)そして後光(天使の輪)を含み、世界中の聖典やペトログリフ(岩などに刻まれた文字/絵)に見つけられます。


王的な太陽はまた、王族の種族の神とされ、その多くの者達は、彼の子孫であると主張しました。太陽、または「王達の王」へのその様な血筋の主張は、何千年も広く一般的でした。例えば、エジプトの第一王朝は太陽から由来したとされ、ペルシャのマギ(賢者)は「主である太陽」、ミトラ/ミスラの子孫であるとされました。太古のブリトン(英国先住民)は、太陽は神「フー」であり、全ての人類の父であると主張し、インカ人達は同様に、「太陽の子供達」であるとしました。ヒンドゥ―のラジャ達は、「太陽の子供達」または「月の子供達」と主張しました。ギリシャ人達は彼等自身をヘリオスまたはアポロから由来した太陽的な民族と描写し、シュメール人もセム族も同様に主張し、後者は太陽神、シャマシュの子孫としました。アフリカとアメリカにおいては、様々な文化が、太陽は彼等の神聖な先祖であると主張しました。同様の方法で、王座を主張する、侵略してきた統治者達は、太陽カルトを最も崇高な宗教にし、太陽神を主要な神と位置付ける事によって、全てを照らす太陽の光の下で、彼等の領域を統一しようとしました。

太古の太陽信仰は、今日、殆ど教えられていませんが、逸話と石の中に豊富に見つけられます。この排除には理由があり、それはこの宇宙神学の知識が、今日最も大切にされる宗教の起源を明かすからです。その広い浸透性と重要性の沈没にも拘らず、現代より何世紀も前の、エピチャルモス、プロディコス、ヘロドトス、ディオドロス、そしてカエザルと言った数々の権威の中で、太陽信仰への証言を、私達は見つける事が出来ます。その様な著者の一人、ギリシャ人、エンペドクレス(紀元前490-430年)に関して、アレクサンドリアのクレメントは、ストロマタ(V.VIII)の中でこう関連させます:

「エンペドクレスは言います:「ですが今これより、最初に私は太陽について語り、それは全ての物事の最初の原則で、私達が見る全ては、それから派生しました。地上と大きくうねる深さ(海)も、湿った空気も、周りの全ての物事を結びつけるタイタン(巨人)とエーテルも然りです。」

「西暦1世紀、アレクサンドリアのストア派の哲学者で、(皇帝)ネロの家庭教師だったチャーレモン、またはチャエレモンは、「太陽が創造主、またはデミウルゴスであると宣言」しました。それと同じ時代に、「ユダヤ的なプラトン」であるファイロは彼の人格化された太陽的なロゴスを発展させ、それは原則的な観念として、キリスト・カルトに取り入れられました。プラトンとプトレマイオス(西暦2世紀)の記述もまた、宇宙神学の教化のために調べられるべき2つの太古の源泉です。」
アレクサンドリアのクレメント、ギリシャの神学家と教会の神父(西暦105?-215年?)

クレメントとその他の者達による奨励にも拘らず、太陽信仰はローマ帝国において、3世紀のギリシャの新プラトン学派のポーフォリーによって証言される様に、何世紀にも渡り、人気がありました。ポーフォリーは、彼の、親ペイガンで、反キリスト・カルト的な反キリスト・カルト主義と、今は失われてしまった、その他の記述で知られています。反キリスト・カルト主義を含むポーフォリーの研究は、極一部しか現存していませんが、4-5世紀のキリスト・カルトの教師、マカリウス・マグネスの研究に含まれると推測され、近年、R. ジョセフ・ホフマンによって編集され、翻訳されました。その断片は、教会の歴史家、エウゼビウスの「福音書のための準備」にも含まれます。その様な専門家達が証明するのは、当時の学識ある人々が太陽崇拝についてとても良く気付いていた事です。

エウゼビウスは、太陽の位置と特徴に沿った人格化によってポーフォリーは、様々な太陽神を説明するとします。彼の説明においてポーフォリーは、太古のギリシャ人と彼等の神聖な力の知覚を論議し、その様な力を太陽に帰属させ、それはアポロと呼ばれたとします。太陽が「地上の邪悪を追い払う」時、彼はヘラクレスと呼ばれ、彼の12の労働はゾディアックのサインで表されると、ポーフォリーは述べます。太陽の治癒力はアスクレピウスと呼ばれ、その者はがその周りにあるを持っています。これらの様々な太陽的な名前の語源を記述し、ポーフォリーはディオニッソスと共に続け、その者は「彼の自転と公転の運動の熱烈な力」で表され、それによって「死体をたわわにする」とされます。その太陽は「宇宙的な季節( horas )の周りを公転する時」、ホルスと呼ばれます。農耕の統治者として - デメターとコレのギリシャ的な神話の一部ですが - 冬至の太陽はプルート(冥王星)/ヘデスですが、その者の装束に含まれるのは紫の上着と王杖(セプター)です。3つの頭を持つ犬、セルベルスは、朝、昼、そして夜の太陽を表しています。

ポーフォリーは同様に、処女であるアルテミスとして月を論議し、「新月の力は出産に補助的なので、子供の誕生の上に座する」としました。彼は更に、「月が英知の象徴なので、アテーネが月(の象徴)である様に、太陽はアポロである」と述べました。加えて、月の女神が処女であるだけでなく、地球の女神、またはガイアもまた同様です。彼女はそうであっても、大いなる母で、更なる論議のために頭に入れておかれるべき事実です。

エウゼビウスもまたポーフォリーを引用し、ギリシャの空神、ゼウスについて記述し、「オルフェス的な讃美歌」を言及するとし:「彼のは太陽で、月の反射的な光」だとし、太陽と月が神の眼であるという、太古のアイデアを確認します。このオルフェス的な讃美歌はまた、地球が「全ての母」であると言及し、地球の女神と言う観念の古さを証明します。ポーフォリーの記述が明らかにするのは、「ゼウス」は、キリスト・カルト時代に成ってからそうされた様に、漫画の登場人物的な擬人化されたものでは無く、彼は本質的に、ユダヤ・カルトやインド、エジプト、そしてその他の場所で見つけられる一神教的な神と同じです。ポーフォリーはゼウスを「世界全体」で「神々の神」と呼ぶと同時に、それによって彼の思考が「全ての物事」を創造するマインドであるとしました。

ポーフォリーの語源学は、厳しい科学的な基準で言うと想像力に富んでいますが、彼の明らかな知性と博識を公正に考えると、彼が太陽的な神話の真の発達を関連させていたと人は推測出来るでしょう。強調されなければならないのは、宗教において確実で端的なルールは無いと言う事で、本質的に神話で、高度に想像的で創造的な科学であると言う事です。また、ポーフォリーの様な記述者は、一つ、または複数の神秘主義学派と秘密結社の入門者であった可能性が高く、そして故に、意図的に創造された言葉遊びで、秘儀的な情報を関連させ、必ずしもこれらの言葉の主要な意味と起源に基づいていません。強調される必要のある要点は、此処で記された太古の証言は、何千年もの間、多くの人々にとって、宇宙神学が主要な宗教であった事を見せる、と言うよりむしろ証明するためで、そしてその数々の神々は、ある時、そしてまたある時に太陽の神々で、太陽的な英雄達で、太陽の要素でした。ポーフォリーの言葉がまた、証明する役割を果たすのは、古代人達が、現代の天才が来て彼等を正す事を必要とした、馬鹿者達では無かった事で、彼等が崇拝し、崇敬したものが何であったかよく知っていました。


「ポーフォリーは明らかに、太陽神達が何故異なった名前で呼ばれたのかを説明する事も含めて、当時の世界中にあった数々の太陽神達を理解しようとした協奏的な努力の一部でした。その様な努力は、グノーシス派(神秘主義)のものと同時に、ローマ帝国の人々を徐々に統一する行程を補佐し、そして最終的に - ポーフォリーのキリスト・カルトへの毛嫌いを考えると、皮肉にも - キリスト・カルトの創造に結果しました。そのギリシャ人哲学者のコメントは、キリスト・カルトに対する論争において起こったので、彼がこれらの太陽神達をキリストと比較して論議していたとするのは可能で、それは何故、彼の研究が断片的にしか残らなかった理由かも知れません。統合的な努力として、ポーフォリーの研究は興味深く、そして満足出来るもので、大昔の複雑な思想、または宇宙神学的な儀式と神話の再構築として、明らかに、さほど間違ってはいません。」
イアンブリカス、シリアの新プラトン派の哲学者(西暦280-330年)

キリスト・カルト以前の文化に対して行われた破壊の大規模な戦争にも拘らず、古代の記述者達の研究と、その他の考古学的な証拠は、幸運にも十分に豊富で、太古の宗教の土台の再構築は、大々的に可能です。これらの研究の一つは、ポーフォリーの弟子達の一人であり、カルデアの宇宙神学について知識豊かなシリアの記述者、イアンブリカスのテウルギア、またはエジプトの神秘/謎です。このぶ厚い本の中で、イアンブリカスは、有名な神秘/謎、または秘儀的な宗教の多くを構成する詳細の、長く細かな説明を与えます。その神秘/謎は、当然、(それらは世界中で素晴らしい石造りの人工構造物として造られていますが)「石の中に固定」されたものではなく、時代から時代へ、そして文化から文化へ変化しました。ですがそうであっても、基本的なテーマは同じでした。イアンブリカスの研究はとても「グノーシス的」に聞こえますが、紀元1世紀のグノーシス主義よりも以前の知識を表します。「明かされた知識」を意味するキリスト・カルト時代以前の「グノーシス」について言う限り、それは宗教を一緒に縛った秘儀的な糸で、イアンブリカスの記述をグノーシス的と描写するのは正確です。

アルファベットとパピルス、葉、そして革の様な筆記の材料の発達と共に、太古の神秘/謎は、より多くの記述者達が記録したので、成るべくして明らかに成りました。書物が高価で、希少で、手書きだった時代、秘密は(文字の読めない)一般大衆から(隠して)保つ事が出来たので、ある程度「口」が緩む事が出来ました。ですがその神秘/謎は常に目の前に隠れていて、何世紀も、何千年も、文献や神話、儀式、呪文、像や偶像、そして(宗教的な)建物に隠れていました。それらの解読の鍵となるのは、本質的に宇宙神学とその変形で、含まれるのは、勿論、永遠の生命と、全ての種の存在に住まわれた3次元を超えた複雑な段階です。これに関して、イアンブリカスは、エジプトの神知学者達の段階の設定をし、「最初の原因」または「マインド」から始め、一人/一つであろうと複数であろうと、「無体であろうと有体であろうと、宇宙の創造主と正に同じであろうと、」それを彼は「デミウルゴス」と名付け、その用語はグノーシスによって「この世界の神」を意味する様に使われました。イアンブリカスは更に「原始/根本の物質」を論議し、エジプトの神々と「これらの惑星と呼ばれるもので、ゾディアックを構成するもの」を記述すると同時に、昇るサインやディーコンを記述しました。彼は「強力な指導者達」と呼ばれたこれらの存在に言及し、その名前は「年鑑に保存されている」としました。「太陽神」はまた「デミウルゴス」、もしくは「宇宙の創造主」で、その間オシリスとイシス、「そして全ての神聖な伝説は、星々とそれらのフェーズ(段階)に関連しているとして解釈されるでしょう」とイアンブリカスは述べます。

イアンブリカスの明言がこれ以上鮮明になる事は出来ません:「太古の宗教は自然崇拝と宇宙神学で構成され、そして太陽は「宇宙の創造主」または「デミウルゴス」と考えられました。デミウルゴスが「最高神」よりも「劣る」と見られるように成った事、そして実際に、「正式な/形式的な」グノーシス(神秘)主義において、さげすまされた事を考えると、太陽自体が神聖な存在としての栄誉を失い始めたのも驚きではありません。ですが、その崇拝は、今日の主要な宗教の中に覆われるまで、何世紀も続き、特にヒンドゥー・カルト、ブッダ・カルト、そしてキリスト・カルトは本質的に太陽的なカルトを表し、その間、ユダヤ・カルトとアラー・カルト(イスラム)は基本的に月崇拝です。

「太陽はエネルギーの源」と題された部分で、イアンブリカスは記述します:「この世界が運動させられるものに沿って、空の全ての部分、ゾディアックの全てのサイン(星座)、全ての天体的な公転、時の全ての期間、そして全ての完璧な物事は、太陽から派生する力(複数形)を受け取ります。」彼は其処から、それらの力の本質と、それらの「受け取るもの」の上のそれらの効果を論議し、数々の形状を持つ「一つの神」がある様に成ったかを明瞭に説明します。イアンブリカスはその後、太陽はゾディアックのサインと季節に沿って変化する事、そして太陽への崇敬は、その神秘/謎の一部である事を明かします。イアンブリカスは頻繁に、「太陽王」、月、等々を含む、「空の神々」を語ります。彼はエジプトの神秘/謎、つまり、秘儀的なエジプトの宗教は、宇宙神学的であると明確にします。上述された様に、この神秘/謎の中で、宇宙神学には、グノーシス主義においても表現された様に、デミウルゴス、アーチョンズ、プレロマ等々と言った、複数のレベル(段階/階層)があります。

ローマ皇帝ジュリアン(紀元前331-363年)(西暦331-363年の間違い)

悪名高いローマ皇帝、コンスタンティンの腹違いの兄弟で、短命だった皇帝ジュリアンが「背信者」と呼ばれるのは何故なら、彼はキリスト・カルト信者として生まれましたが、キリスト・カルトから改信し、ペイガン(非ユダヤ・キリスト・カルト土着信仰)の信者に成り、ペイガン主義を国家宗教とし、ペイガンの権利と儀式を復活させたからです。彼のキリスト・カルト信者の兵士達の幾人かが彼を暗殺しようと試みたとされますが、彼は彼等を許したとされます。ジュリアンは最終的に、ペルシャ人達との戦いで殺されたと主張されます。しかしながら、キリスト・カルト信者達は、彼の死は「夢」の中で「預言」され、キリストによって命令され、「聖者マーキュリウス」によって実行されたと主張し、それによって意味されるのは恐らく、彼はキリスト・カルト信者達によって殺され、ペルシャとの戦争はその犯罪を覆い隠すための口実だったのでしょう。そのマーキュリウスの逸話は6世紀のキリスト・カルト信者の著者、ジョン・マララス(クロニクル13.25)によって伝えられ、カエザリアの司教、バージルが、天界が開き、そして「王座に座った救世主キリスト」が「キリスト・カルト信者に対峙する」ジュリアンを殺せと命じたのを見た、と彼は記述しました。マーキュリウスは「輝く鉄の胸板(鎧)」を着て「その主の前に立ち」、フラシュの中で消えてまた現れ、「主よ、貴方が命じた通り」その汚い行為は成されたと言いました。バージルは、幾らかの尊敬をジュリアンに持っていたので、恐怖の中で目覚めましたが、時既に遅く、ジュリアンが既に殺された後でした。司教の同僚の聖職者達は、彼にこの「預言的」な夢を誰にも伝えるなと強く説得しました。重要なキリスト・カルトの文献、Chronicon Paschaleまたはパシャ―ル・クロニクルは、同じ逸話を繰り返します。「聖者マーキュリウス」は恐らく、太陽の伝統的な使者である神、マーキュリー(水星/水銀)でしょう。ジュリアンの死に関して、ダニエル・フォスは述べます:「皇帝ジュリアンの暗殺は今日でも解決されておらず、敵であるペルシャ人の方から来たのか、彼自身の兵士達の方から来たのか、致命傷に成った矢の方向さえも同意されていません。」

ジュリアンは博識ある人で、雄弁に記述し、「王ヘリオス(太陽)への讃美歌」の様な、彼のペイガン信仰の中の崇拝の対象である太陽に献身的な記述をしました。ジュリアンはまた実に人々の指導者で、彼がエリートに対峙し、政府を縮小したので、その実行は彼に強力な敵を造りました。

マクロビウス、ローマの学者(西暦400年頃)

紀元5世紀、ラテン(ローマ)の著者、アンブロシウス・セオドシウス・マクロビウスは、人気のある神々の多くは、太陽的な神々、または太陽の人格化された要素であると説明しました。マクロビウスはローマ帝国の中で「役職を持つ者」だったと言う事実から、それはその新たな国家的な宗教を受け入れる事を必要としたので、恐らく彼はキリスト・カルトの信者だったでしょう。彼の著書は、しかしながら、「キリスト・カルト」への言及は何も含まず、より崇敬されたペイガンの神々の幾つかの地位も含めて、ありのままの世界を記述します。太陽的な宗教に関する私達の知識の大部分が由来するのはマクロビウス(の記述)からです。マクロビウスは当時の宗教の専門家と受け入れられ、故に、「ギリシャとローマの神話の全ての神々は、最高の神聖な力である - 太陽の - 特質をあらわしている、」と言う彼の意見には、十分な根拠があります。

マクロビウスの最も有名な著書、サターナリア(i.e.土星祭)は、12人の人物の間の架空の会話で構成され、その半分は、「ローマの貴族の著名なメンバー」で、「実在の人生」において、キリスト・カルトに反対した何人かを含みます。サターナリアは幸運な事に、暗黒時代と宗教裁判(魔女狩り)を通して保存され、カトリックの狂信者達に、もし何百万では無いとしても、何十万と言う単位で書物を燃やす事を許した、悪名高いインデックス(目録)には載せられなかった様です。中世の時代に、サターナリアは再復活を経験し、数々の著者達が、特に18世紀に始まったキリスト神話の調査と共に、それに鼓舞され、それに言及しました。

太陽的な神話と神々のサターナリアの講義の中で、マクロビウスの登場人物達は、「昔の人々」によって「天界的な光のその他」を導き、方向づけると信じられた、太陽の多くの顔を議論します。その会話に含まれるのは、「神々の最高位で最も偉大な」アッシリアの太陽神、アダドで、その配偶者は月であるアダルガティスです。また、記録されているのは、「オーフェウスもまた太陽の全てを抱擁する本質を証言する」と唄うオルフェウス的な詩で、「ゼウス・ディオニッソスは、海の聖父、大地の聖父、太陽は、全ての生命の源、貴方の黄金の光で全ては輝く」として、彼の役割に注目します。マクロビウスによると、アポロとしての太陽は「リバー」と呼ばれ、それは自由さ、または自由を意味するローマの称号で、それはギリシャの神、ディオニッソスにもまた与えられたものです。アポロは「預言と治癒の上に座する」太陽の力であるとマクロビウスは関連させ、故に彼の名前(アポロ)を説明し、それにマクロビウスはポーフォリーとは異なった語源を与えます。太陽のためのこれらの名前と称号は数多くあり、ポーフォリーによって既に供給されたものも含み、それらの幾つかは「哲学の秘密の場所」から借りられたとマクロビウスによって鮮明化され、明らかに神秘/謎(神秘主義)に言及しています。アポロの様な特定の名前は、もっと古い源泉から来ている様で、マクロビウスの時代には既に絶滅していた人々から由来した可能性があります。

マクロビウスは続けて、その「優しい/親切な暖かさ」である太陽の治癒的な要素(ビタミンD)を論議し、それは「息をするもの全てに健康」をもたらすとします。もう一方で、太陽は時には、「その鋭い光線によって致命的な悪疫」を送ります。大抵は、しかしながら、太陽は大いなる治癒者であり救世主でした:

「・・・彼等は太陽をIeios(ヘリオス)とPaian(パン?)と呼びます。そしてこれらの名前はそれぞれの活動/運動に一致し、一つのコンテキストにおいて Ieios は、治癒する事を意味する iasthai から派生し・・・実に、健康のための祈りにおいて、IE と言う言葉を発音するのは習慣で・・・ Paian は、「治癒の神よ、治癒し給え」を意味します。」
:IE =イエスの IE 。ヴァチカン系の旗には HIS とありますが、その H はギリシャ語の E だから、HIS = IES =イエスです。)

「アポロドロス[紀元前2世紀]は、神々へのこの条約の本の14冊目を書くにあたり、太陽を Ieios と呼び、そしてアポロは太陽の運動( iesthai )とそのサーキット(公転)を素早く通る事( ienai )からこの名前を得ると述べます。」

「 IE 」と言う言葉は、デルファイ(ギリシャ)の聖域にも見つけられ、太陽神アポロを言及します。現代の時代の以前には、ディオニッソスが「 IES 」のあだ名を与えられた事が知られています。ラテン語の語尾「 us 」と共に、その言葉はIesus (イエスス)または Jesus (ジーザス/イエス)に成ります。治癒の(太陽)神が、キリスト・カルト時代の以前から、既に、イエイオス、イエシオス、またはイエススと呼ばれていたのは明らかです。そしてまた明らかなのは、ローマ帝国とその国外の実質的な全ての最も強力な神々は、主に太陽神達、または太陽的な特徴を持ったものでした。

ダマスカスの聖者ジョン、シリア人の神父で教会の博士(西暦675-749年)

より更にキリスト・カルト時代に入った7世紀に、ダマスカスの聖者ジョンは、彼のオーソドックスな信仰の正確な解説の第二巻の中で、占星学の長い条約を記述しました。マイケル・レクイエンによる翻訳の前書きが示唆するのは、聖者ジョンが説明するこれらの「オーソドックスな信仰の神秘/謎」は、彼のものと言うより「神学者グレゴリー」のもので、つまり、ナジアンザスの聖者グレゴリー(329-390年)です。

これ等の神秘/謎の彼の説明において、ジョンは、「時代を創造した彼自身は、時代以前からのもの」である神の本質と議論します。彼はそれから異なった種の時代について記述し、占星学の議論に導き、「天界は宇宙を囲み、球体の形状をしている」と考える者達がいると記述します。ジョンは更に惑星に言及し、「其処にはつの惑星があると言われ:(それらは)太陽、月、木星、水星、火星、金星、そして土星です」とします。そのダマスカスの聖者は、それらの(発光する)天体はアニメート(動く/生きている)とする、その他のキリスト・カルト信者達による聖書の解釈に異論を唱え、それらは「インアニメート(動かず/生きていない)で感受性/知覚が無い」としました。

そうであれ、ジョンは次にこう述べます、「私達がそれらの美を考えた時、私達は創造主が熟練した名工であると称えます。」彼はそれから、四季を創造する太陽のコース(通り道)を描写し、春分/秋分夏至/冬至を説明します。秋分と冬至に関して、ジョンはこう明言します:

「この時期は、再び、イクイノクティアルで、昼夜の両方が12時間で構成され、そしてそれは9月25日から12月25日までです。そして太陽の昇りがその最少で最低の点に沈む時、つまり南で、その寒さと湿りと共に、に成ります。」

聖者ジョンはそれから、季節と同時に昼夜の創造主である太陽の役割を論議します。彼は、月や星々から反射するのは、太陽の光であると気付いています。ジョンはまた、星座や惑星についても、知識豊富です:

「更に、天界には星々で構成される12のサイン(ゾディアックの星座)があり、これらは太陽、月、そしてその他の5つの惑星とは反対方向に移動し、そしてその7つの惑星はこれらの12のサインを渡って通ります。更に、太陽はそれぞれのサインの中で1か月を完了させ、12カ月で12のサインを旅します。

引き続きジョンは、ゾディアック的に正しい名前と月と共に、各星座のリストを供給します。彼はそれから人間の生命の上の占星学の影響力に反対して論議します。「ベツレヘムの星」を理論化する試みにおいて、しかしながら、ジョンが空論を使わざるを得ないのは、もしその聖者が強く主張する様に、占星学が誤りなら、そのモチーフは占星学的である事が出来なくなるからです。故に、彼は、それは星では無く彗星であり、その様な効能は固定的では無く、神の意志によって現れたり消えたりすると主張し;よって、「私達のために血肉と成った、人の親友で救世主である私達の主(キリスト)の誕生において、その賢者達が見たのは」、神によって現れさせられ、溶け去られたそれらの内の一つです、としました。聖者ジョンは、占星学に更に深く入って進み、ゾディアックの分別、太陽的そして月的な1か月と1年の長さ、月のフェーズ(段階)等々を描写します。その題材について彼が、平均的な中世の史学者よりもずっと知識豊富であった事は明らかです。加えて、彼のメイソン的用語、「熟練した名工」の使用は注目すべきです。同様に明らかなのは、西暦の時代に入って何世紀も後に成っても、「ペイガン」的な宇宙神学は、文字を読み書き出来るエリートには、良く知られた題材であった事です。



言霊

言霊

[引用]

「言霊(ことだま)とは、一般的には日本において言葉に宿ると信じられた霊的な力のこと。言魂とも書く。清の言霊(ことたま)は、森羅万象がそれによって成り立っているとされる五十音のコトタマの法則のこと。その法則についての学問を言霊学という。」

概要

「声に出した言葉が、現実の事象に対して何らかの影響を与えると信じられ、良い言葉を発すると良い事が起こり、不吉な言葉を発すると凶事が起こるとされた。そのため、祝詞を奏上する時には絶対に誤読がないように注意された。今日にも残る結婚式などでの忌み言葉も言霊の思想に基づくものである。

「日本は言魂の力によって幸せがもたらされる国「言霊の幸ふ国」とされた。『万葉集』(『萬葉集』)に「志貴島の日本(やまと)の国は事靈の佑(さき)はふ國ぞ福(さき)くありとぞ」(「志貴嶋 倭國者 事霊之 所佐國叙 真福在与具」 - 柿本人麻呂 3254)「…そらみつ大和の國は 皇神(すめかみ)の嚴くしき國 言靈の幸ふ國と 語り繼ぎ言ひ繼がひけり…」(「…虚見通 倭國者 皇神能 伊都久志吉國 言霊能 佐吉播布國等 加多利継 伊比都賀比計理…」 - 山上憶良 894)との歌がある。これは、古代において「言」と「事」が同一の概念だったことによるものである。漢字が導入された当初も言と事は区別せずに用いられており、例えば事代主神が『古事記』では「言代主神」と書かれている箇所がある。

「自分の意志をはっきりと声に出して言うことを「言挙げ」と言い、それが自分の慢心によるものであった場合には悪い結果がもたらされると信じられた。例えば『古事記』において倭建命が伊吹山に登ったとき山の神の化身に出会ったが、倭建命は「これは神の使いだから帰りに退治しよう」と言挙げした。それが命の慢心によるものであったため、命は神の祟りに遭い亡くなってしまった。すなわち、言霊思想は、万物に神が宿るとする単なるアニミズム的な思想というだけではなく、心の存り様をも示すものであった。

他の文化圏の言霊

「他の文化圏でも、言霊と共通する思想が見られる。『旧約聖書』の「ヘブライ語:רוח הקודש」(ルーアハ)、『新約聖書』では「希: Πνεύμα」(プネウマ。動詞「吹く」(希: πνεω)を語源とし、息、大いなるものの息、といった意が込められる)というものがある。「風はいずこより来たりいずこに行くかを知らず。風の吹くところいのちが生まれる。」この「風」と表記されているものが「プネウマ」である。

「一般に、や言葉は、禍々しき魂や霊を追い払い、場を清める働きがあるとされる(例:拍手 (神道))。これは洋の東西を問わず、祭礼や祝い、悪霊払いで行われる。神事での太鼓、カーニバルでの笛や鐘、太鼓、中華圏での春節の時の爆竹などはその一例である。

「言葉も、呪文や詔としてその霊的な力が利用される。ただし、その大本になる「こと」(事)が何であるかということには、さまざまな見解がある。たとえば「真理とは巌(いわお)のようなものであり、その上に教会を築くことができる」と考えたり、あるいは「真実を知りたければ鏡に汝自身を映してみよ、それですべてが明らかになる」といい、それは知りうるものであり、また実感として捉えられるものであるとみる意見や、「こと」自体はわれわれでは知りえないものであるという主張もある。これらはさまざまな文化により、時代により、また個人により大きく異なっている。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A8%80%E9%9C%8A

水の結晶とは

「水は、生命の源であり、生命活動の基本をなすものです。これまでその存在が余りにも当たり前に思われてきましたが、今ほど水の重要性が力説される時はないといえます。

「河川や海の化学汚染は言うに及ばず、地下水や雨水に至るまで汚染が進行し、生態系を脅かすまでになっています。今、水を守る事や汚染された水を浄化する技術の重要性はますます高まっています。

「かつて水はありふれた単純な物質であると思われていたのに対して、近年においては様々な計測技術の発展にともない、非常に複雑な性質を持ったものである事が分かってきています。

「1994年に江本勝によって考案された水の氷結結晶写真技術は、水の知られざる特性を探るために開発された技術です。河川水、湖水などの天然水、名水と呼ばれる湧水、各地の水道水など、さまざまな種類の水の氷結結晶写真を撮影した結果、いわゆる“良い水”はとても美しくバランスの取れた六角形の結晶構造を示すことが分かりました。それに対して汚染された水は秩序だった結晶を示さないという傾向が見られました。

山梨県 三分一湧水
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高知県 四万十川
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スイス マッジョーレ湖
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「しかしそれだけではなく、様々な処理によって、例えば音楽を「聴かせる」事によって、さらには人間の言葉によっても結晶構造が変化するなど多くの事例を蓄積してきました。結果的に従来科学の方法論だけでは捉えきれなかった水の性質について、新しい視野が開けたのです。そして、まさしく水は人間の姿を映し出す鏡である事が分かりました。

「私たちは、もっと深く水の重要性とありがたさを自覚する必要があります。生命の源であり、摂理を具現化するものとして、水に対して畏敬の念を持つ必要があります。自分たち自身の姿を映し出すものとして、水からもっと学ぶ必要があります。
http://masaru-emoto.net/jp/crystal/index.html

水の情報記憶

藤原ダムの水 祈祷前
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藤原ダムの水 祈祷後
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バッハ「G線上のアリア」
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「水にはさまざまな情報を記憶する能力がありますが、記憶された情報を直接目で確認する方法がありませんでした。オフィス・マサル・エモトの江本代表は、目に見える形として何とか水に刻印されている情報を視覚化したいと考えました。雪の結晶にヒントを得て、数ヶ月の試行錯誤の後の1994年に、水の氷結結晶写真撮影法を開発することができました。世界で初めて、水が記憶している情報を氷結結晶という目に見える形として示すことができるようになったのです。

「この方法を使って、河川水、湖水などの天然水、名水と呼ばれる湧水、各地の水道水など、さまざまな種類の水を調べた結果、いわゆる“良い水”はとても美しくバランスの取れた六角形の結晶構造を示すことが分かりました。逆に汚染された水の場合には、美しい結晶構造が見られませんでした。

「水に対して音楽を聞かせたり、写真を見せたり、文字を見せたり、あるいは気を送ったり、祈りを捧げたりすることによって、その結晶構造がどのように変化するかについても実験を重ねました。いずれの場合にも、水は敏感に反応して、その姿を変えることが分かりました。

「水に文字を見せたところ、「ありがとう」という言葉を見せた水は、六角形の力強い結晶を作ってくれました。ところが「ばかやろう」という文字を見せた水の場合には結晶構造が壊れてしまいました。そして「愛 感謝」の文字を見せたときに、水はもっとも美しい姿を見せてくれました。」

「愛感謝」の文字を見せる
cw0001s


「ありがとう」の文字を見せる
cw0002s


「ばかやろう」の文字を見せる
cw0027s

http://masaru-emoto.net/jp/memory/index.html

江本勝

ゴードン・ダフ: 二重スパイ

3 201501171400

ゴードン・ダフ:二重スパイ


スパイ・ゲーム
http://chilledvodka.blog.fc2.com/blog-entry-304.html


「私達が此処で接しているのは限定な流出作戦(リミッティド・ハングアウト)である可能性が高く、その中では慎重に選ばれて、そして偽造された書類とその他の情報が、圧政的または危険な政府機関の行きすぎに反発するふりをした内部告発者によって意図的に明かされる。」

Published on Apr 14, 2015
2015年4月14日公表


Stew Webb started his new show, "Stew Webb Raw" today on the Veterans Radio Network. I still can't believe how much has changed in just a few days! Stew talks about some of this in the first 15 minutes and then brings on Dr. Rima for the balance of the show. I'm going to tell everybody what I saw go down now and how I feel about it all!
ステュー・ウェブが、彼の新たな番組、「ステュー・ウェブ生」をベテランズ・トゥデー・ネットワーク上において、今日、開始しました。たった数日間で、どれだけ変わってしまったのか、私は未だに信じられません!最初の15分の間に、ステューはこれについての幾つかを語り、そしてその後、番組のバランスを取るために、リマ博士をゲストに迎えます。私はみんなに、私が目撃した事と、それについて、私がどう感じているのかを、全部、お伝えします!

I've bit my lip for awhile on some of Gordon's comments thinking he would eventually wake up to vaccines and God but here's what happened last Thursday and I'm going to give my opinion.
私はゴードンが、ワクチンや神について、最終的に眼を覚ますと考え、彼のコメントの幾つかについて口をつぐんできましたが、以下は先週の木曜日に起こった事で、私は、私の意見を述べようと思います。

Gordon gets on with Stew and starts bitching about a 30 second delay that has been in place the entire time and about an echo that was either a mistake on Gene's part or a cyber terror attack. Anyway so I hear him basically say something like "Call me when you take the delay off!" and hang up rudely. Then Stew shows me the Skype message where he tells Stew he's "fired". I confronted Duff about it later and he said that this was "fantasy" and he never fired Stew! I told him this entire thing is a huge mistake and that Gene and Stew said you fired them. I try talking to Mike Harris and others to try to reason with Gordon to fix things but Gordon never called Stew over the weekend. The almighty Duff is never wrong after all so I didn't think he would apologize. Then Gordon apparently began blaming Stew for setting him up with Pete Santilli all those years ago before Santilli came out of the closet as a stooge. This is all total garbage since Santilli infiltrated me, Stew and Jim Fetzer before he showed his true colors
!
ゴードンは、ステューに連絡し、ジーンのミスか、サイバー・テロ攻撃のどちらかが原因である、常にあった、30秒の時間差の遅れとエコーについて文句を言い始めました。兎に角、基本的に、私は彼が、「君が時間差の遅れを改善した時に連絡をくれ!」みたいな事を言って乱暴に電話を切るのを聞きました。その後、ステューは、彼(ダフ)がステューに「クビだ」と伝えた、スカイプのメッセージを私に見せました。私はダフに、その後確認しましたが、彼はこれが「妄想」で、そして彼は決してステューをクビにはしなかったと言いました!私は彼にこの事の全体が巨大な過ちで、ジーンとステューは、貴方が彼等をクビにしたと言っていると伝えました。私は、マイク・ハリスやその他人達に、物事を改善する様に、ゴードンを説得する様に頼みましたが、ゴードンは、週末の間に、一度もステューに連絡しませんでした。結局の処、偉大なダフは決して間違わないので、私は彼がステューに謝るとは思いませんでした。その後、ゴードンは明らかに、何年も前に、ピート・サンティリーニがスパイであると白状する前に、サンティリーニと共に、ステューが彼を嵌めたと非難し始めました。これが全く完全にゴミなのは、サンティリーニが彼の本性を現す前に、私も、ステューも、そしてジム・フェッツァーも嵌められたためです!

Anyway, this entire episode by Gordon seems really fishy to me. Gordon of course demanded Stew stop using the VT name so Stew is going to change the name of his network when he has money for a new domain.
兎に角、ゴードンによるこの一連の出来事全てが、私には本当に生臭く見えます。ゴードンは、勿論、ステューに、ベテランズ・トゥデーの名前を使用する事を止める様に要求し、ですからステューは、新たなドメインのための資金が出来次第、彼のネットワークの名前を変えるつもりです。

Here's the bottom line for me on all of this. I like most of the VT writers and even like Gordon but here's what bothers me about Gordon now. It seems he used myself, Stew, Chip and many others to build up the VT name only to act like a child and say Stew was "fired" when he isn't paid! Gordon mocks God and says Jesus isn't real which is a lie and I know this. I let that slide at the time thinking he might come to Christ later but that was my mistake and I apologize for it! Anybody that mocks God is a flat out liar and will pay the price if they don't repent. Next Gordon was lying to everybody and telling them vaccines were good and we were crazy for not giving our kids the vaccines! Again, saying vaccines are okay raised the BS flag with 99% of the youtube audience who were not buying it. Next I come to the fact that Stew has the IPs of all the criminals hacking his site and Gordon promised arrests and NOTHING happened and that has been many months ago! In fact, as soon as this break up happens NSA is all over Stew's site the next day! The next thing that stinks to me is that Gordon Duff has told people he's worth tens of millions of dollars which I don't doubt but he never put ONE PENNY into this fight as far as I know. I do know he never gave a penny to Stew and never gave a penny to buy the hardware and software for the network! I want to know WHY somebody with that much money thinks he's too good to give richly to this fight when the rich people in the American Revolution were giving guns to our soldiers! I am VERY VERY disappointed in Gordon Duff and feel he is almost as fake as Alex Jones at this moment in time. He tells some truth, mixes it with lies (such as his lies about Jesus, Stew and vaccines etc) and then acts as a limited hangout and gets rid of Stew after he built up the VT brand! Seems like an operation of some type to me! He always told us he was there to give everybody their voice even if he didn't agree. Let's not forget he admits he HAS free energy but won't release it either because supposedly it could be weaponized. I'm doubting this now too.
以下はこれの全てについての、私の結論です。私はベテランズ・トゥデーの出筆者達の殆どと、ゴードンに対してでさえに好意的ですが、以下は今、私がゴードンについて不信に思う事です。彼は、私自身、ステュー、チップ、そしてその他多くを、ベテランズ・トゥデーを作り上げるために利用し、ステューは給料さえもらっていないのに、彼は「クビだ」と言い、子供の様に振舞っただけの様です!ゴードンは、神を茶化し、イエスは本物では無いと言い、それは嘘で、私はこれを知っています。当初、私は彼がいずれ、キリストに目覚めるだろうと考え、曖昧にしていたので、それは私の間違いで、それについて私は謝罪します!神を茶化す人は絶対に嘘つきで、もし彼等が悔い改めないなら、彼等はその代償を払うでしょう。次にゴードンはみんなに嘘をつき、彼等にワクチンは善い事で、私達の子供達にワクチンを接種させないのは気違い沙汰だと言いました!再び、ワクチンが OK だと言った事は、疑っているユーチューブの視聴者達の99%に、嘘つきフラッグを立てさせました。次に、私は、ステューが、彼のサイトにハックする犯罪者達の全ての IP アドレスを持っていて、ゴードンは、逮捕する事を約束しましたが、何カ月も過ぎた後、何も起こらなかった事実に気付きました!実際に、この決別が起こると直ぐに、次の日から NSA が、ステューのサイトの至る所に現れました!次に、私にとって生臭いのは、ゴードン・ダフは、彼には数千万ドル財産があると人々に伝え、私は疑いはしませんが、私が知る限り、彼はこの戦いに、1ペニーも使っていません!彼は、1ペニーもステューに与えず、ネットワークのハードウェアとソフトウェアのために、決して1ペニーも出していない事を私は知っています!私が知りたいのは、何故、それ程のお金持ちの人が、アメリカ革命の時には、お金持ちが私達の兵士達に銃を与えていたのに、この戦いは彼の資金を豊富に与えるには値しないと考えるかです。私は、とても、とてもゴードン・ダフに失望していて、そして現時点において、彼は殆どアレックス・ジョーンズと同じ位、偽善者だと感じます。彼は幾らかの真実を伝え、(イエス、ステュー、そしてワクチン等々の様な)嘘と共にミックスして、そしてステューがベテランズ・トゥデーのブランドを創り上げると、リミッティド・ハングアウトとして行動し、ステューのクビを切りました!私には、何らかの作戦の様に見えます!もし、彼が同意しない意見だとしても、人々に声を与えるために、彼は其処にいると、彼は常に、私達に伝えました。彼はフリー・エネルギーを持っていると認めますが、兵器化を危惧するために、解放しない事も忘れないでおきましょう。私はこれについても疑い始めています。

Overall, I look at this entire thing and feel Gordon could have just had some kind of operation going here where he handled some of the biggest and best researchers in the alternative media, hogged a bunch of the airtime, put out some truth such as nuclear 9/11 but was there to make sure no action happened, no arrests happened, Stew never got any justice (Gordon's lawyer who said would help Stew did nothing!) and basically act like Alex Jones 2.0 - all talk no action! That's the way I feel about Gordon Duff now. He's all talk and no action until I see ARRESTS! If he really had the power, we would have already had arrests. I'm supporting Stew and Gene because I know they are real and I KNOW 100% that they have put their LIFE and TREASURE into this fight! When Gordon makes arrests happens and opens his FAT wallet and fixes the issues he created then I'll take him seriously again. Until then he's as fake as Alex Jones. At least Alex spends some of his money in the fight!
全体的に、この出来事の全体を私が見ると、オルタナティヴなメディアにおける最大で最良の研究者達の幾らかをゴードンがハンドルし、放送時間の大部分を占領し、9.11の核攻撃の様な幾らかの真実は出しましたが、何の行動も起こらない事、何の逮捕も起こらない事を確かにするために、何らかの作戦の一種をゴードンが行っていたのかも知れないと感じ、ステューは全く正義が得られず(ステューを助けると言ったゴードンの弁護士は、何もしませんでした!)、そして基本的にアレックス・ジョーンズ2.0の様な役割を果たし - 口先だけで何の行動もありません!私はゴードン・ダフについて、今はそう感じています。私が逮捕を目撃するまで、彼は全て口先だけの行動し無い人です!もし彼が、本当に力を持っていたなら、私達は既に逮捕者達を有していたでしょう。私がステューとジーンをサポートしているのは、私が、彼等は本物だと知っているためで、そして彼等の人生全財産をこの戦いにつぎ込んだ事を、私が100%知っているためです!逮捕が起こる様にゴードンが行動し、ぶ厚い財布を開き、彼が創造した問題を治した時に、私は彼を再び真剣にとりましょう。それまでは、彼はアレックス・ジョーンズと同じ位偽物です。少なくともアレックスは、戦いにおいて、彼のお金の幾らかを使います!

Stew Webb Splits With Gordon Duff and VT! (4-13-15)
ステュー・ウェブが、ゴードン・ダフとベテランズ・トゥデーと決別した!



プラトンのリパブリック

プラトンのリパブリック

古典的なギリシャの哲学者、プラトンは、5種類の政治構造を論議します(リパブリック第八巻)。それらはアリストクラシー(貴族政治)、ティモクラシー(金権政治/名誉政治)、オリガーキー(寡頭政治)、デモクラシー(民主政治)、ティラニー(専制政治/独裁暴政)です。プラトンはまた、それらが何を意味するかを描写するために、それらの政治構造のそれぞれに一人づつ男を割り当てます。例えば暴君的な男が専制政治を体現します。それらの政治構造は、貴族政治を一番上にし、専制政治を一番下にし、徐々に上から下へと劣化します。
Plato's five regimes


国家_(対話篇)

内容

この著作で最初に問題とされる正義について各人に相応しいものを返し与えること、もしくは強者や支配者の利益という定義が検討される。しかし両者とも検討の結果として正義を定義することには不適切であると考えられた。そこで個人の正義を明らかにするための方法論として国家を取り上げる。つまり個人の正義のモデルとして国家の正義を検討することで、個人の正義がどのようなものであるべきかを考えるのである。

ここから国家の成り立ちについて理論的な考察がなされる。そして統治者(守護者)の魂のあり方が極めて重要であり、その教育訓練について検討しなければならないことが分かった。そして理想国家においては統治者の魂のあり方と政治体制、正しい政治体制を実現するために、必要な最高のイデアについての説を通じて論じられる。

第3巻からは、理想国家における教育が論じられ、正しい知識と単なる思いなし(ドクサ)が区別される。後者には模倣が含まれ、詩や絵画は模倣の一種であり、正しい知識ではないとされる。また守護者の育成には、神や国家に対する尊敬を損なうような神々についての説話(ホメロスにおけるヘーラーの嫉妬とゼウスの浮気などが想定されている)は教えるべきではないとされる。そこから詩人追放論と呼ばれる、教育から詩の学習を排除する構想が主張される。この思想は最後にもう一度繰り返される。

魂は三つの部分からなり、正しい魂のあり方とは三部分すべてが知識をつかさどる部分のもとに調和する状態であるとされる(魂の三部分説)。三部分のどこが優越するかによって、魂の状態、すなわち人間がどのような性質になるかが決定され、これはそのまま民主制などの国家体制に対応されるものとされる。プラトンは最適者、気概に富む者、民衆の三種類を想定し、そのどれが社会において上位を占めるかに応じ、哲人王制、最適者支配制、富者による寡頭制、民主制、僭主制の5つの国家体制を描き、どのようにそのような体制の交代がありえるかを描写する。彼は哲人王制を最良の政体とし、この順に劣るものとし、最低のものが僭主制であるとした。ここにはプラトンの経験したアテナイの民主制とシュラクサイの僭主制からの知見が投影されている。

プラトンの構想では、国家の守護者のうち、優秀な者を選んで哲学や哲学者になるための基礎分野の学習をさせ、老年に達した者に国政の運営を任せる。これが哲人王の思想であり、そのためにはイデア、ひいては善のイデアの直接な観想が必要であるとされる(そして善のイデアを見ることが哲学の究極目的であるとされる)。ここでイデアの観想は線分の比喩、洞窟の比喩、を用いて語られる。哲学によって、人は感覚的世界から真実在であるイデアの世界を知る(線分の比喩)。またイデアの直接的観想によってのみ、イデアの世界と現実の感覚的世界の間の隔たりと哲学する者の真実在へのあこがれ、また現実世界へのイデア的知識の適応は可能にされる(洞窟の比喩)。

現実からの類推に始まるイデアの学習がなぜ可能になるのか、プラトンは論証によっては答えを与えず、それらしい物語(ミュートス)によって、すべての人は魂の輪廻において出生前にイデアを見る機会とこの世界での生き方の選択の機会を与えられていることを語る(エルの物語)。対話篇『国家』は、このエルの物語によって結ばれる。

マックスウェルの方程式について

マクスウェルの方程式
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%81%AE%E6%96%B9%E7%A8%8B%E5%BC%8F


エリック P. ドラード曰く:

(1b) : ファラデー-マクスウェルの式 … 磁場の時間変化があるところには電場が生じる(電磁誘導)。

「マクスウェルが導出した方程式はベクトルの各成分をあたかも互いに独立な量であるかのように別々の文字で表して書かれており、現代の洗練された形式ではなかった。 これを1884年にヘヴィサイドがベクトル解析の記法を適用して現在の見やすい形に書き改めた。しかも彼は既にそこで電磁ポテンシャルが消去出来ることを示して、方程式系を今日我々が知る形に整理していた。しかし、その意義は直ちには認められるに至らず、それとは独立に上記のヘルツの仕事がなされた。 ベクトル記法が一般化し始めるのは 1890年代半ばであって、ヘルツの論文ではまだそれを使っていない。いずれにせよ、このベクトル解析の記法の採用は場における様々な対称性を一目で見ることを可能にし、物理現象の理解に大いに役立った。」

四元数
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E5%85%83%E6%95%B0


「数学における四元数(しげんすう、英: quaternion(クォターニオン))は複素数を拡張した数体系である。四元数についての最初の記述は、1843年にアイルランドの数学者ウィリアム・ローワン・ハミルトンによってなされ、三次元空間の力学に応用された。四元数の特徴は、二つの四元数の積が非可換となることである。ハミルトンは、四元数を三次元空間内の二つの有向直線の商として定義した。これは二つのベクトルの商と言っても同じである。四元数をスカラーと三次元のベクトルとの和として表すこともできる。

四元数は純粋数学のみならず応用数学、特に3Dグラフィクスやコンピュータビジョンにおいて三次元での回転の計算(英語版)でも用いられる。これはオイラー角や回転行列あるいはそれらに代わる道具などとともに、必要に応じて利用される。

現代数学的な言い方をすれば、四元数の全体は実数体上四次元の結合的ノルム多元体を成し、またそれゆえに(非可換の)整域となる。実は四元数の全体は、最初に発見された非可換多元体である。四元数全体の成すこの代数は、ハミルトンに因んで H(あるいは黒板太文字で ℍ)と書かれる。またこの代数を、クリフォード代数の分類に従って Cℓ0,2(R) ≅ Cℓ03,0(R) というクリフォード代数として定義することもできる。この代数 H は解析学において特別な位置を占めている。というのも、フロベニウスの定理に従えば H は実数の全体 R を真の部分環として含む有限次元可除環の二種類しかないうちの一つ(もう一つは複素数の全体 C)だからである。

従って、単位四元数は三次元球面 S3 上の群構造を選んだものとして考えることができて、群 Spin(3)を与える。これは SU(2) に同型、あるいはまた SO(3) の普遍被覆に同型である。

1 Quaternion2

[中略]

「ハミルトンの死後も弟子のテイトが四元数の振興を続けた。同時に、ダブリンでは四元数が試験の必須題目になっていた。物理学と幾何学の主題においては、今日ではベクトルを用いて記述するような空間の運動エネルギーやマクスウェルの方程式などが、まったく四元数の言葉で記述されていた。四元数やほかの超複素数系を専ら研究するプロの研究機関である四元数学会 (the Quaternion Society) さえ存在した。

1880年代の半ばごろから、ギブス、ヘヴィサイド、ヘルムホルツらの創始したベクトル解析によって四元数は取って代わられるようになる。ベクトル解析は四元数と同じ現象を記述するために、四元数に関する文献から自由に用語法や考え方を拝借していたが、ベクトル解析のほうが概念的に簡単で、記法もすっきりしていたので遂には数学と物理学における四元数の役割は小さく追いやられることとなった。このような変遷の副作用で、現代的な読者にはハミルトンの仕事は難しく複雑なものと化してしまった。ハミルトンのオリジナルの定義は馴染みがなく、その書き振りは冗長で不明瞭である。

四元数は20世紀の後半になって、3次元の自由な回転を記述する能力を買われて、多用されることとなった。四元数による3次元の回転(姿勢)の表現は、3行3列の行列による表現と比べて小さくて速い。加えて、オイラー角と違ってジンバルロックが起きない。この特徴は、地上における上下方向のような絶対的な軸の無い、宇宙機のような3次元の自由度が完全にある場合の姿勢制御などでの利用に適しており、宇宙機以外にもCG、コンピュータビジョン、ロボット工学、制御理論、信号処理、物理学、生物情報学、分子動力学、計算機シミュレーションおよび軌道力学など、他にも多くの応用がある。

また、四元数は二次形式との関係性により、数論からの後押しも受けている。

1989年以降、アイルランド国立大学メイヌース校の数学教室は、科学者(2002年には物理学者のマレー・ゲルマン、2005年にスティーヴン・ワインバーグなど)や数学者(2003年のアンドリュー・ワイルズなど)からなる、ダンシンク天文台からロイヤル運河の橋までを歩く巡礼の旅を開催している。ハミルトンが橋に刻みつけた公式はもはや見ることはできないが。」

[以下省略]

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