旧約聖書は解剖学の本

THE OCCULT ANATOMY OF MAN BY MANLY PLAMER HALL
人の隠された解剖学.Pdf
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マンリー P.ホール著

シンボリズム(象徴性)の中の人体

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聖書の中で私達は、神が、彼自身のイメージに沿って人間を創造したと教えられます。それがそう教えられているのはキリスト教の聖書だけでなく、殆ど全ての覚醒された人々の神聖な記述もまたそう教えています。ユダヤの家長達は、人体はマイクロコズム、または小さいコスモス(宇宙)であり、マクロコズム、または大きなコスモスのイメージに沿って創造されたと教えました。この有限と無限の間の類推は、神聖な記述の秘密を解く助けをする鍵だと言われます。旧約聖書が、科学的な見解から読む事の出来る者にとって、生理学的で解剖学的である事に疑う余地はありません。人体の機能と、人間の頭脳の性質と、人間の魂の性質は、太古の世界の賢者達によって人格化され、彼等自身とお互いの間の関係の周りで、大いなるドラマが造り出されました。人類がその類推の法則を得たのは大いなる(古代)エジプトの半神半人、ヘルメスの御蔭です。偉大なヘルメス的原理は、上は下と同じで、下は上の同じ(大宇宙の法則は、小宇宙<人間>の法則と同じ)と言う事です。

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太古の世界の宗教は全て、自然崇拝に基づいていて、それは歪んだ形状ではありますが、私達の時代まで男根崇拝として残っています。人体の一部とその機能を崇拝するのは、レムリア時代の後期に始まりました。アトランティス時代の間に、この宗教は太陽信仰に変わりましたが、その新たな信仰は以前の信仰の儀式とシンボル(象徴)の多くをその教義に取り入れました。寺院を人体型に建てる風習は全ての人々に共通するものです。ユダヤのタバナクル(神殿)も、大いなるエジプトのカルナクも、ハワイの祭司の宗教的構造も、そして十字型に設計されたキリスト教の教会も、この風習の例です。もし人体が腕を広げてこれらの建物と比較されると、祭壇がある位置は人体に比べると、人の脳がある処と一致します。太古の世界の全ての祭司達は解剖学者でした。彼等は自然の機能(法則)が人体の中にミニチュアとして再産出されているのを認識していました。彼等は故に人を教科書として使い、彼等の弟子達に、人を理解する事は宇宙を理解する事であると教えました。これらの賢者達は、天界の全ての星々と、地球上の全ての要素と、自然における全ての機能(法則)は、一致する(対応する)中央のポール(背骨)、または人体内の活動に表されると信じました。

この外的自然界と人体内的自然(機能)の相互関係は、一般大衆からは隠されて、太古の祭司階級の秘密の教えとなりました。アトランティスと(古代)エジプトでは、宗教は今より遥かに真剣に受け取られました。それはこれらの人々の正に命(生活)そのものだったのです。祭司達は、子供の頃からこれらのローブを着て髭を蓄えた家長達は、神からの直接のメッセンジャーだと教えられた、何百万人もの無知な男達と女達の上で完全なる操作を有していて、そして祭司達の指令に逆らえば、逆らった者の頭に神の裁きが下ると信じられていました。寺院の保存はその秘密の英知に頼っていて、それは祭司達に自然の特定の力の操作を与え、その英知と理解において、彼等が操作した一般大衆よりも遥かに優れていました。

これらの賢者達は、宗教には呪文を唱えたり賛美歌を歌ったりする事よりも遥かに奥深いものがあると気づきました。彼等は、救いの道は、彼等自身の体の隠された機能の実質的、科学的知識を持った者だけに、歩かれる事に気づきました。この理解を永続させるために彼等が発達させた解剖学的シンボリズム(象徴)は、現代のキリスト教まで残りましたが、それへの鍵は明らかに失われました。彼等が理解する事の出来ない何百ものシンボルに囲まれているのは、宗教家達にとって悲劇的状況ですが、更に悲しいのは、彼等自身がでっち上げた馬鹿らしい解釈の他にこれらのシンボルには元々、意味があったという事を忘れてしまった事です。

彼等の信仰が唯一で、真の鼓舞された教義で、そしてそれは前例なくこの世に現れたという、キリスト教徒の頭脳に広く広がったアイデアは、究極的に不合理です。宗教の比較研究は、キリスト教がその哲学を、太古の宗教と哲学と中世の非キリスト教世界から頼んで、借りて、または盗んだ事を疑いの余地なく証明しています。キリスト教が出てくる遥か以前から由来している宗教的シンボルと物語(寓話)の幾つかに貴方の注意を払って下さい。以下のキリスト教的シンボルは非キリスト教に起源しています:

キリスト教の十字架は(古代)エジプトとインドから由来しています。三重ミテルはミトラ信仰からのものです。羊飼いの杖はヘルメス的神秘派と(古代)ギリシャからのものです。処女の懐妊はインドのもので、変容はペルシャからで、そして三位一体はバラモン教からきています。神の母としての聖母マリアは、10以上の異なった信仰に見る事が出来ます。20以上の生贄にされた世界救世主がいます。教会の尖塔はエジプトのオベリスクとピラミッドを模倣したもので、キリスト教の悪魔はエジプトのタイフォンに特定の変格をつけたものです。人がその問題を深く追及すればする程、太陽の下に新しいものは何もないと更に気づきます。真に誠実なキリスト信仰の研究は、疑う余地も無く、それは原始的な教義から進化的に発展したものだと証明します。宗教とその物理的形状には進化があります。もし私達が私達の教義に、40種近くの人々の宗教的シンボルを認めて受け入れれば、それは私達が借りる神話や寓話の意味を(少なくとも部分的に)理解する事を必要とさせ、そうでなければ私達は私達が借りた人達より無知のままです。

このパンフレットは、太古の祭司達のシンボリズムと人体の隠された機能の間に存在する関係を説明するために献身したものです。私達は最初に全ての神聖な記述は七つの印(日、月、火、水、木、金、土)で封印されるべきものだと理解しなければなりません。言い換えると、私達がHoy Wwrit(?スペルミス?神聖な記述?)と呼びたい太古の哲学的啓示の意味を完全に理解するには七つの完全な解釈が必要となります。文字通りの理解しか出来ない者は、その意味を最も少なく理解する者でしかありません。

シェークスピアがドラマ的な理由で、彼の劇の中で、実際には何百年も時代の異なる人物を登場させたのは良く知られていますが、シェークスピアは歴史を書いていたわけではありません。彼はドラマを書いていたのです。聖書にも同じ事が言えます。聖書は自己矛盾的な年代表で歴史家を望み無き程に混乱させ、その歴史家達の殆どが、審判の日が来るまで混乱したままでしょう。聖書は討論に持ってこいの話題を与え、用語の意味や知られざる街の推定的な位置について困惑させます。現在のガイド達に指摘される聖書的な土地の印(ゆかりの地)はキリストが生まれてから何百年も後に、ピルグリム(巡礼者)達によって、聖書の中の街の近くであろうという推測の下、名付けられました。これらの全てはある人にとっては説得力があるでしょうが、考える人にとっては、聖書の一部で最も重要でない部分は歴史であるという決定的な証拠です。

西暦326年に、偉大なコンスタンティン(皇帝)の母、ヘレナ皇后がエルサレムを訪れた時、彼女は全てのキリスト教的な面影が既にそこにはもう無く、今現在、カルヴァリー山として受け入れられている丘の上には、女神ヴィーナスに捧げられた寺院が建っていました。キリストが死んで400年も経たない内に、その聖地には、彼の名を聞いた事のある人はもういませんでした!これは必ずしも、彼が存在しなかった事を意味するものではありませんが、現代のキリスト教徒が彼を包ませる奇跡の光輪と超自然的な雰囲気は大体が神話的です。その他全ての宗教と同様に、キリスト教の信仰は幻想的な伝説の不自然な収集を蓄積し、それらはそれ自体の最悪の敵で、同僚の生物を愛する、ナザラスから来た単純な道徳主義者を扱って、彼の周りに偶像崇拝の超構造を造り、それは誰を愛するでもなく、それ自体(教会組織)に奉仕します。

インドのブッダが単に彼の時代のバラモン教の概念を改革した様に、イエスはイスラエルの信仰を再形成し、彼の弟子達と世界に、以前あったもの(信仰)に基づいているが、彼の周りの人達の必要性に調合して、ユダヤ国家が面していた問題に調合して再形成された教義を与えました。イエスを教育したエッセネ派は(古代)エジプト人で、彼の信仰は以前にあったものの最良を含んでいました。彼について保存された記録は大体が例え話的で、そしてそのシンプルな人はそれら(の話)によって超自然主義の海に投げ込まれました。これには全く目的が無かったわけではありません。シェークスピアが本質的な真実を表現するために、歴史を自由に扱ったように、イエスの歴史家達はその人の人格を大いなるドラマの土台にした様です。彼は七つの封印をされた話の主人公になり、そしてそのシンボリズムを研究したキリスト教徒達は、その話から真のキリスト教の神秘の鍵を得る事が出来ます。彼等はすると、聖書が永続的な歴史である事に気づきます。それは特定の国家や人々に関係するものでは無く、その話は全ての国家の、全ての人々についてのものです。

それは素晴らしい事で、例えば、天文学的な光の下でキリストの人生を研究すると、彼は太陽に成り、彼の弟子達はゾディアックの12のサイン(星座)に成ります。星座の中に私達は彼の聖職の一場面を見つける事ができ、そして春分・秋分のプリセッション(歳差)の中に彼の誕生、成長、成熟、そして人々の死の話を見つける事が出来ます。再び、繰り返し言われる話の中の、拷問された化学物質が、更に主人の人生を明かすには、化学を鍵とすると、聖書はもう一つの本になるからです。此処での特定の研究においては、しかしながら、私達はこれらの例え話と人体についての関係だけに限って注目しましょう。

私達が発見するのは、福音書に見られるキリストの人生は、複数(12)の世界救世主の各人生と完璧に一致する様に一般形式化されているという事で、彼等の全ては天文学的で生理学的(人体学的)な神話です。これらの神話の全てはとても遠くの太古から私達に来ていて、その原始的な民族は人体をシンボル的一単位として使い、そして神々と悪魔達を、器官と人体の機能で人格化しました。カバラ的な著者達の中では、人体の上に聖地が地図され、そして様々な街々が人の意識の中心として見せられます。太古の謎を深く誠実に研究する者には素晴らしい研究が此処にあります。私達は全ての範囲をカバーする事は望めませんが、もし貴方がこのパンフレットからその状況の鍵を得られるなら、私達は貴方が全てを包むまで思考の線を辿り、神聖な啓示の書(聖書)の少なくとも一つの封印を解く事を望みます。

三つの世界

ヘルメス/トート
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神秘学派(ヘルメス・ピタゴラス・ゲーテetc.)によると、人体は3つの主要な部分に分ける事ができ、そしてこれに類推して外的宇宙も3つの世界によって構成されているとされます。天界(天国)、地上、そして下界(地獄)です。天界はより一層優れた世界で、インガーソルが地球は自転しているので、上と下は常に入れ替わっていると決定的に証明したにも拘らず、ある知られざる理由で上にあるとされます。殆ど全ての宗教では、神は天界に住むとされます。彼等(信仰者)のメンバーは、神は上にいると信じるように教えられ、だから彼等が祈ったり何かを彼(神)にお願いする時には、彼等が天空に向いて顔を上げ、手を上に伸ばします。幾つかの国家の間では、彼(神)は山の頂上に住むとされ、それらの場所は世界で最も高い場所です。彼が何処にいようと、彼が何であろうと、彼の住む場所は上で、下の世界に影を落とします。

黄道


上の天界と下の下界にあるのが地上で、北欧ではミッドガード、または中間の庭園と呼ばれます。それは空間に浮いていて、人々とその他の生き物の住処とされます。それは神が下りてくる虹の架け橋によって天界と接続されています。火山のクレーターとひび割れは闇と忘却の地とされる下界に繋がっているとされます。此処に、”天界と地上の間の領地を掌握し”とゲーテが言った様に、自然が存在します。緑の草木、流れる川、強力な大海は中間の世界(地上)にだけ存在し、それは一種の中立的な場所で、善悪に携わるものが、彼等の永続的なアルマゲドンの戦いを繰り広げています。

下では、暗闇と炎の中で、苦痛と苦しみの中にあるのは、Hel(多分、ヘブライ語)の世界で、地獄として解釈されます。それは大いなる下界で、私達が天国が上と考えるのが確かな様に、私達は地獄を下と考え、その中間の場所(地上)はそれら(天界・下界)を分ける一線の様です。地獄にあるのは邪悪な勢力で、地上に常に悲しみをもたらす引き裂きかき乱す破壊力で、天界の神々の座をひっくり返すために疲れ知らずに努力します。

そのシステム全体は解剖学的な神話で、太古の世界の人々の天界は - 山の頂上のドーム型の寺院は - その神々しい中身(脳)を持つ頭蓋の事です。これ(脳)が人の中の神々の住処です。それが”上”とされるのが何故なら、それが人間の脊髄の北の端に位置するからです。地上を支配する神々の寺院は北極と言われます。それはまた、ついでに言うと、サンタクロースの実家で、何故なら北極が体現しているのは惑星的主人(地球)の背骨の陽的(プラス的)端だからです。サンタクロースが、自然が死んでいる季節(冬)に、常緑樹の小枝を持って煙突から降りてくるのには、研究する事を願う者にとっては、繊細なメイソン的な解釈を持っているのです。

荒野(冬)の中のイスラエル(i.e.ヤコブ)の子孫達を食べさせるために降りてきたマナも同じ事が本当で、このマナは、脳から脊髄を通って降りてくるもの(オイル)です。インダス(文明・ヒンドゥー)は脊髄を神聖な蓮の茎に例えます。ですから、頭蓋とその中身は花に象徴されます。背骨のコラム(柱)は天界と地上を繋ぐヤコブの梯子で、その32の(背骨の)区分はメイソンリーの階級(の数)で、キリストの(生きたとされる)歳です。これらの区分を志願者は、山の頂上に位置する入門の寺院(脳)に意識的に(オイルが)昇り(アセンションし)ます。大いなる神秘への入門が与えられるのは、床に穴(大後頭孔)があるこのドーム型の部屋(頭蓋)です。ヒマラヤの山々は地上にそびえ立ち、両肩と上半身を体現しています。それらは地上で最も高い山脈です。それらの頂上の何処かに寺院が建っていて、(古代ギリシャ人の天界の様に)アトラスの両肩の上に休んでいます。指摘するに値する程興味深いのは、アトラスは頭蓋の関節丘が位置する人間の脊髄の背骨の上部の部分だという事です。脳の中には幾つもの洞窟(室・織り重ね)があり、そしてそれらの中に(東洋の伝説によると)賢者達 - ヨギやハーミットが生きているとされます。ヨギの洞窟はガンジス川の頭(かしら)に位置するとされます。全ての宗教にはその神聖なる川があります。キリスト教徒にとってはヨルダン川で、(古代)エジプト人にとってはナイル川で、インダスにとってはガンジス川です。神聖な川は脊椎管の事で、その源流は山々(頭蓋・脳)にあります。彼等の避暑地にいる神聖な者達は人間の脳の中のスピリチュアル(霊的)風景と、(イスラムの)コラーンの中の、魂の炎が彼等を活性化するまで彼等の洞窟の闇の中で眠らなければいけない7人(日、月、火、水、木、金、土/ドレミファソラシ)を表しています。

福音書の中でイエスが彼の弟子達と会ったとされる上の部屋は脳の事で、(12の)弟子達自体が脳の12の脳回の事だと言われます。その後に神経を通して下にある人体に、非キリスト教徒を説得する、または地上において福音書の布教活動をさせるメッセージを送るのは、これらの12の脳回です。これらの12の脳回は脳の中央の開き(第三脳室)の周りに集まり、それは神聖なものの中で最も神聖で - (ユダヤ教の)慈悲の座で - 天使の広げられた翼の間でエホバが高司祭に語る処で、そして昼夜を問わずシェキナの栄光が浮遊する処です。この場所(脳)からまた、魂はやっと頭蓋の場所であるゴルゴサから昇ります。魂が頭の天辺から離れるだけでなく、其処から入るのは千里眼的な事実で、サンタクロースと煙突の話の元に恐らく成ったのでしょう。

大脳、小脳、松果体、脳下垂体、etc.
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人の中の三位一体は人体の大いなる室にあり、其処からそれらの力を3つの世界を通して放射します。それらの中心は、脳と、心臓と、そして生殖系です。それらはピラミッドの3つの室で、そしてまた入った志願者が入門証を与えられる処で、ブルー・ロッジの階級が、マスター・メイソンに与えられる場所です。それらの3つの室は、父と、子と、そして神聖な精霊が宿る処で、A U M という3つのアルファベットの文字で象徴されます。これらの3つの大いなる中心の変格、再生、そして展開は、メイソンの秩序の大いなる秘密である、失われた言葉の発声に結果します。脊髄神経からインパルス(衝動/鼓動)が来て、そして生命力はこれを可能にします。故に、メイソンは彼の代わりの言葉を慎重に選べと教えられ、それは”骨髄”を意味します。

小脳、または後ろの脳は - 人体の運動システムを携わり、動物の中でだけ発達した唯一の脳(部分)ですが - その中には長きにおいてアカシアの小枝によって象徴されてきた、小さな木のような発達があり、メイソンの例え話でもその様に関連させられています。

大脳の2つのローブ(右脳・左脳)は太古の人々によってカインとアベルと呼ばれ、カインの呪の伝説に大いに関わっていて、それは文字通りにアンバランスの事です。均衡の魂を殺害したために、カインは地上の表面をさ迷う事に成ったのです。私は、私の所有物の中に興味深い頭蓋を持っており、それは元々ある殺人犯のものでした。それは有機的に高い質のものですが、カインの呪を体現しています。恨みを蓄えるのは時にはとても危険な事です。この人物は、彼がある特定の人に会った時、その人の心臓を切り出して、その人の顔に投げつけると誓いました。何年もの年が過ぎました。彼の憎しみは育ち、そしてついに彼の敵に会うと、彼を攻撃し誓いを果たしました。彼はその犯罪のために絞首刑にされましたが、その脳への証言を体現する頭蓋は、とても興味深い事実を明かしています。右半分の脳はマーキュリー(水星/水銀) - 知性の惑星 - の影響下にあり、そして脳神経が頭蓋の根元で交差(十字架)するために、人体の左半分を支配しています。脳の左半分はマース(火星) - 怒りとインパルス(衝動)の魂 - の操作の下にあり、人体の右側を支配していて、そして同様に強い右腕(右利き)もです。彼の憎しみとその憎しみから育った火星の支配は、その脳の左の後ろ側を右側の2倍の大きさにしました。その個人は彼の本性を火星に操作される事を許しました。火星の激烈性が彼を支配し、彼はカインの印を彼の命をもって払いました。科学は天才と気違いの間にはとても細い線しかないのを知っていて、どんな圧倒的な悪徳も徳もアンバランスをもって払われなければなりません。アンバランスは常に見解を歪め、そして歪んだ見解は失敗する事なく不幸を産出します。

頭蓋の中にあるのは人体の活動を操作するスイッチボードです。人の首から下の全ての機能は、脳内の意識の中心によって操作されています。これの証明になるのは、脳の特定の中心を負傷すると、人体の色々な場所の麻痺に結果する事実です。医療科学は既に脊髄は脳の延長である事を知っていて、脊髄はその長さを通して知性が可能であると唱える学者もいます。この脊髄はエデンの園の門の前に立った炎の剣の事です。エデンの園は頭蓋の中で、その中では12のマンナーの果実をつける木(脳)があります。

脳は閉ざされた室と廊下で満ちており、寺院にはそれらに対応した長さやアーチがあり、そして第三脳室は間違いなくグレート・ピラミッドの王の室です。脊髄は太古の人々のの事です。中央アメリカと南米で救世主神はケツァコアトルと呼ばれています。彼の名の意味は羽のある蛇で、そしてこれは常に彼の象徴でした。これが荒野でモーゼスによって上げられた真鍮の蛇です。蛇の尾の9つのガラガラは人の数字と呼ばれ、そしてそれらはその中央に人間の進化の秘密が収められている仙骨と尾骨を表しています。

人体の全ての器官は脳内で再生産され、それは類推の法則で辿る事が出来ます。2つの胎芽的形状があり、一つは男性でもう一つは女性で、脳内で一所にひねられています。これらは中国の陰陽で、黒龍と白龍が互いに噛み合っているものの事です。これらの形を表現した一つが松果体で、もう一つが脳下垂体です。これら2つの導管の無い腺は、人間の意識の展開の中でとても重要な要素なので熟講する価値があります。これらの腺は低い次元の知性よりも、より高い次元の知性の中でより大きくより活発で、そして特定の先天性白痴の中のものはとても小さいです。これらの2つの小さい腺は英知の龍の頭と尻尾と呼ばれます。それらは一つの電気回路の銅と亜鉛ので、それは人体全体を電池として持ちます。

(鼻の付け根のやや下の、直ぐの裏側の蝶形骨の、トルコ鞍に位置し、漏斗と呼ばれる小さなチューブで第三脳室に接続している)脳下垂体は、女性的極、または陰的中央で、物理的エネルギーの表現の責任があります。その活動はまた、人体の大きさと重さも大体一定化させます。それはまた導管のない腺の連鎖の不秩序を明かす温度計でもあります。(導管のない腺とそれらの分泌の学問である)内分泌学は、まだその実験段階ですが、いつの日か全ての医療科学で最も重要だと明かされるでしょう。脳下垂体は太古の世界によって、以下の象徴で知られています。錬金術的蒸留器、龍の口、処女(聖母)マリア、聖杯、三日月、清めの大たらい、アークのチェルビン(天使)の一つ、エジプトのイシス、インドのラドハ、そして魚の口です。それは物理的人の栄光の望みとも呼べるかも知れません。第三脳室の反対側の少し高い部分にあるのが松果体で、松ぼっくりの様に見えます(名前の由来は其処から来ています)。

英国博物館でエジプトの遺物を管理するサー・アーネスト・アルフレッド・ウァリス・バッジは松ぼっくりを額に結びつけるエジプトの風習に触れています。パピルスの巻物の中で、黄泉の国の主、オシリスの前に連れて行かれる際に、その死者は頭の天辺に松ぼっくりが結ばれていると明言しています。間違いなくこの象徴は松果体に関連しています。それはまた、アフリカの特定の部族の風習でもあり、その中では、脂肪の欠片が彼等の頭の上に固定され、太陽の日の下で油が溶け、体中に流れ落ちるという宗教的な遵守です。アメリカの先住民が羽で飾るのもまた興味深く、それはキリスト教の修道士が頭を剃るのと同じところです。インダスでは松果体は第三の目として教え、ダングマの目と呼ばれています。それは仏教徒には全てを見る目と呼ばれ、キリスト教においてはシングル(単一)の目と語られます。

松果体はその昔、方向感覚の器官で、それによって人はスピリット的な世界を認識していたと私達は伝えられていますが、物質的感覚と2つの客観的な目の現れによって使われなくなり、そしてレムリア民族の時代に現在の脳内の位置に引っ込んだとされます。子供達は彼等の以前の進化を繰り返して、彼等の7年目まで、限定的に第三の目を使えると言われますが、その後は頭蓋の骨が結合してしまいます。これは子供達の半千里眼的状態を説明し、サイキック的な線に大人よりずっと敏感である事を説明します。松果体はオイルを分泌するとされ、松の木の生命である樹液と呼ばれます。この言葉は、松果体の分泌を研究しシングルの眼を探していたローズクロスに関わっているとされ、聖書の中で、

”体の光はその目:もし
故に汝の眼はシングル、汝の
体全体が光で満たされる、”

と言うのはこのためです。

松果体は龍の尻尾で小さな指の様な出っぱりがその先端にあります。この腺がジョセフと呼ばれるのは、それが神・人の父だからです。その指の様な出っぱりは神の杖と呼ばれ、時々神聖な槍と呼ばれます。その形は錬金術者の蒸留器の様です。それはスピリット的な器官で、それが一度は行っていた機能を取り戻す運命があり、つまり人間と神聖なるものの間の接続リンクです。この腺の先の振動している指はジェシーの棒で、高神官の奉仕者です。西洋の神秘学派において特定のエクセサイズが与えられ、この小さな指が振動し、脳内で蜂の羽の音のような響く音に結果しました。これは時々、とてもストレス的で、特にその現象を経験している個人が、多すぎるケースの中で、嘘が通っている経験について何も知りません。

脳の真ん中で脳回に囲まれているのが第三脳室で、入門の閉ざされた室で、その周りに座るのは3人の王で、生命と力の3つの大いなる中央で - 脳下垂体、松果体、そして視床の事です。この室にまたあるのはザラザラした種で、間違いなくグレート・ピラミッドの王の石棺に関係しています。第三脳室は魂の座とされ、聖者や賢者の頭から放射されるオーラは、この第三脳室から注ぎ出すとされます。

ホルスの眼と松果体
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眼の間の鼻の付け根の、丁度上の頭蓋の前方の骨に広がるのは、前頭洞と呼ばれるものです。この骨の広がりに起因するわずかな出っ張りは、骨相学において個性の座と知られています。ブッダの額に宝石が飾られるのが此処で、そして太古のエジプト人の王冠の前方で蛇が頭を上げるのもこの点です。神秘学派の幾つかでは此処が人体におけるエホバの座だと教えます。彼の機能は再生システムを通してである間、人のスピリットの一部としての彼の意識の中心は、イシスの覆いと呼ばれる青いエーテルの海の位置するとしますが、前頭洞の中心の事です。千里眼が人の人体を調べる時、その小さな点は常に黒い点として現れ、分析する事が出来ません。ジュピターとジュノの寺院を建てた太古の人々のパラタインの丘も、人体において場所があります。口蓋の骨は一種の丘の形の構造で、そのすぐ上は2つの目を収める眼窩で、それは太古の世界におけるジュピターとジュノの事です。

十字は勿論、人体を表しています。上の先が人の頭で、外側に広げられた両腕の上にあります。既に記述された様に、大いなる教会や大聖堂は十字の形から建てられ、(頭があるべき処に)祭壇があり、その上には灯されたロウソクがあります。これらのロウソクは脳内のスピリット的感覚の中央を象徴していて、祭壇の上に薔薇の窓を置く習慣は頭蓋の天辺の柔らかい場所を暗示しています。頭蓋は - 上の室で - メイソンの寺院の最も神聖な場所で、純粋な者だけがそれに熱望を抱けます。

医療科学が蝶形骨として知る羽根型の骨は、その挟みに脳下垂体を運び、そしてまた前頭洞に位置する不死のきらめく輝きを高々と上げる(エジプトの)オオタマコガネです。

私達は太古の神話に、神々が天界から降りて来て、そして人々と歩み、彼等に芸術と科学を指導したと伝えられます。それに似た様に人の中の神の様な力が、彼の脳の天界の世界降りて来て、自然の物質の創造と再構造を続けました。進化の究極点において、人の体は(元々の起源だった)脳へとゆっくりと何も無く成るまで溶解すると私達は伝えられますが、7つの完璧な知覚感覚を放射している7つの球体(日、月、火、水、木、金、土)の中央は、王座と救世主の前の魂で、彼の成長の7つの期間を通して、それを挽回するために彼がこの世界にもたらすものです。

人は逆様の植物で、植物が地から栄養を取る様に、彼の栄養素を太陽から得ています。植物の生命がその枝葉を育むために昇る様に、人の生命は(脳に根付いて)同じ結果をもたらすために下ります。この生命の下りは、人々のために死ぬためにこの世界に降りてきた世界救世主に象徴されています(i.e.キリスト/オイル)。後に、これらの生命は再び脳に戻され、其処で彼等は創造の世界の全ての前で人を栄光化します。脳の話はとても多いです。では、私達はこれから次の人の素晴らしい部分、つまり脊髄を考えましょう。

脊髄

2つの世界(上の天界と下の暗闇の領域)を接続しているのは脊椎で、32の部分(背骨)の鎖で、その中で脊髄を守っています。この骨の梯子は、太古の人々の宗教的シンボリズム(象徴)においてとても重要な部分を担います。それは時折、クネクネした道、または階段と評されます。それは時々、と呼ばれ、その他の時は、杖とか王杖(セプター)と呼ばれます。

インダス(文明・ヒンドゥー)は3つの異なった腺、またはチューブが脊髄システムにはある事を教えています。彼等はそれらをイダ、ピンガラ、そしてスシュムナと呼びます。これらのチューブは、人体の下部の繁殖的中心を脳に接続します。(古代の)ギリシャ人はこれらをカドュセウス、またはヘルメス羽根のついた杖で象徴しました。これは長い棒(スシュムナの中心)で構成され、一端にはボール、または丸い突起(延髄の橋)がありました。この突起の両端には羽根がアーチされ - 大脳の2つのローブ(右脳・左脳)が象徴されていました。この杖の上に向かって2匹の蛇が周りに絡まって、一つは黒く、もう一つは白いです。これらはイダとピンガラを表しています。

イダとピンガラ
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太古のインダスには女神、クンダリーニに関する伝説があり、それによると、彼女は梯子、またはコードを用いて大いなる海に浮かぶ小さな島に降りたとされます。これを胎生学に関連させると、梯子、またはコードがへその緒を表しているのは明らかで、小さな島とは腹腔(ふくくう)の事です。梯子が天界から切り離された時、その女神はおののいて洞窟(仙骨神経叢)に逃げ込み、人々の目から隠れます。アマテラスの様に。輝く顔の日本の女神が、岩戸から誘い出されなければならないのは、彼女が出てくるの事を拒む間、この世界が暗闇に覆われるからです。クンダリーニはサンスクリットの言葉で、蛇的なもの、または螺旋状のガス、もしくは力を意味します。この力は、東洋の賢者によると、中央の背骨の管(スシュムナ)を通って引き上げられる事が出来るといいます。このエッセンス(力)が脳に当たる時、それはスピリット(霊)的意識の中央と内的知覚を開花させ、それと共にスピリット的な覚醒(悟り)をもたらします。これが可能にされた文化のシステムは東洋の賢者の最も秘密の教えで、(その理由は)この螺旋状の力は悟りをもたらすだけでなく、その象徴である蛇と同様に、猛毒でもあるからです。

東洋のオカルト(隠された知識)の生かじりの知識は常に西洋世界に来ていますが、悲しい事にそれらが終わる事のない苦しみと悲しみをもたらすのは、大いなる真実が、正しく理解する能力、または応用する能力のない者の手にあると、知性と理性を破壊するからです。

背骨に沿ってあるのは幾つかの神経節と網状組織(叢・そう)です。これらの全ては宗教的シンボリズムのなかにそれらの(独自の)場所があります。例えば、当初のユダヤ達は、仙骨神経叢と仙尾骨神経節をソドムとゴモラの街と呼びました。腎臓の付近の小さな網状組織はsagttarial(?)網状組織と呼ばれ、太古の人々はこれを聖者ポール(パオロ)が獣と戦ったタルサスの街として知っていました。より高度なオカルト(隠された知識)は、蓮の開花(背骨の神経の中央)は、脳に位置する意識の7つの大いなる陽的中央を証言する、または反映すると教えます。これらの7つは、王座の前の7つの魂(日、月、火、水、木、金、土/ド、レ、ミ、ファ、ソ、ラ、シ)である天体を通して機能する事と類似して、脊髄を通って機能します。新たに入門した者は、脊髄の中央で働くのではなく、真の支配者である - 脳の中央で努力しろと警告されます。イスラエル(ヤコブ)の子孫達の荒野における放浪、モハメッド派(イスラム)のメッカへの巡礼、一つの神殿から次の神殿をめぐり、その人生を使い果たすヒンドゥーの聖職者の終わりなき巡礼は、背骨に沿った神経中枢を通った魂の炎(クンダリーニ)の巡礼を表しています。特定の明細によって力(生命力)は次々これらの中央へと変えられ、千里眼的に見ると、それらは大いなる花のようで、其処から花びらの様に光の光線が発生します。これらの蓮の花のそれぞれが、それから分岐する神経の数に沿った、異なった数の花びらを持ちます。

クンダリーニ/チャクラ
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ロゴスは、物質的世界を創造する時が来た時、深い瞑想の状態に入り、彼の思考力を7つの世界(天体)の7つの花の様な中心に集中させたと言われます。徐々に、彼の生命力は(大いなる、より優れた世界である)脳から下り、そしてこれらの花(人体の中心に沿った7つのチャクラ)を次々に打ち、下界の世界に生を与えました。

終に彼の魂の炎が最も下の中央を打った時、物理的世界は創造され、そして彼の炎は背骨の下の付け根にありました。世界がまた彼に戻る時(脳で分泌されたオイルが脊髄を通って下って、再び脳に昇って・アセンションした戻った時)、そして再び彼がより優れた意識になる(覚醒する)と、それは7つの中央(チャクラ)から彼が生命を引き上げたからで、最下層(のチャクラ)から始まり、それ(オイル)を再度、脳に戻すからです(とても難しい事とされる)。故に全ての生きしものの進化の通り道は、その降臨が彼等の下界での現れを可能にしたこの炎(オイル)を(脳に)上昇(アセンション)させる事と、その上昇で再びより優れた世界(天界・脳)との調和をもたらせる事です。

この降臨して世界をそれ自体に取った生命力の神話は、地球上の全ての文明化された国家に見つけられます。これがメイソン的寺院(ソロモンの寺院)を建て、そして彼が形成した3つのビークル(乗り物)によって殺されたヒラム・アビフの事です。これは同様に、世界の罪のために殺されたキリストの事です。

この脊椎的炎(オイル)が螺旋状の蛇的な力なので、蛇は世界中で世界の救世主を象徴させられています。(古代)エジプトの神官達によって彼等の額に被られたユラクスは、クンダリーニの象徴で、荒野で育てられ彼女を見た全ての者を救った神聖なコブラです(モーゼスの真鍮の蛇)。

脳が神聖な世界の中心なので、同様に腹腔が人間界の中心で、半意識を表していて、それは下の無意識と上の意識をリンクしています(殆どの人は半意識)。人は彼の脳で考えられるだけでなく、彼は腹腔の神経中枢を通して思考の特定の段階が出来ます。

この時点で媒体と千里眼の違いを描写するのは賢明でしょう。普通の人には違いはないのでしょうが、神秘主義者にとってこれらのスピリット的見解の2つの段階は、人間の進化の長さ全体程かけ離れています。

千里眼は脊髄的蛇(オイル)を脳に上げた者で、彼の成長によって第三の眼、または松果体の助けをもって目に見えない世界を知覚する権利を得た者です。この意識の器官は、何百万年も前は目に見えない世界に人を接続していたのですが、客観的な感覚(目)が発達したレムリア時代に閉じてしまいました。オカルト(秘儀)主義者は、しかしながら、以前にヒントされた発達の行程(オイルを脳に上げる事)によってこの目を再び開き、それを持って目に見えない世界を探究します。千里眼は生まれるのではなく、造られるのです。媒体は造られるのではなく、生まれるのです。千里眼は何年にも及ぶ自己訓練、時には幾つもの人生に及ぶ自己訓練でその様になりますが、対照的に媒体は暗くされた部屋で座ったり、その他の類似した事をするだけで、2,3日の内に結果を出します。

媒体は腹腔を鏡として使い、そしてその敏感な神経の上に反映されるのは目に見えないエーテルに記録された絵(写真)です。(エーテル体へのゲートである)脾臓を通して媒体は、彼のスピリット的構成にdecarnate(?)な知性が入る事を許し、その結果、声と他の魂が現れます。自働筆記は、外的知性のエーテル的腕に、一時的に媒体の物理的腕を操作される事を許す事によって書かれます。2つのものが一つの場所にある事は出来ないので、これが可能になるのは、媒体が彼自身のエーテル的腕をどけた時だけです。定期的に物理的腕からその生命力(エーテル)を分離させるのは非常に危険で、それはよく麻痺に結果します。媒体は人には不自然ですが、千里眼は自然の成長の結果で、スピリット的な本質の展開です。一人の千里眼に対して100人の媒体が存在するのは、千里眼がその様になれるのは、自己支配ととてつもない努力の力を通してで、より良い媒体になるのは病弱でより神経質な人です。千里眼は彼の頭脳を便利な知識で満たす事によって彼の頭脳を展開していますが、媒体に最初に与えられる指示は”貴方の頭脳を空っぽにする、”事です。

腹腔を通した媒体化が退化である理由は以下にまとめられます。動物王国の運命を操作するグループ・スピリットは、腹腔に対して投射された絵を通して支配し、それから変化させるのは、動物には自己意識的な頭脳がないからです。その結果として、自身の脳で考える変わりに、それは目に見えない磁気的コードによって繋げられたグループ・スピリットの脳で考えます。これらのコードはそれらの印象を伝え、そして交換神経系に絵を描きます。それ自身の意思を持たないので、その動物はこれらの欲求と戦う事が出来ず、成り行き的に疑う事なく従います。人が脳脊髄神経系を通して自身を支配するのは個性を発達させたからで、交換神経系がもう彼を支配しないからです。腹腔部分を通して彼自身を衝動に開く事で、媒体は、脳脊髄神経系が彼の運命を操作する事を妨げて彼自身の成長を摘み取っています。

脊髄/チャクラ
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人は常に外的なものに頼る事を好みます。彼は個々の問題に向き合う事を嫌い、神が彼に与えた脳で解決する事を嫌います。成り行き的に彼は、目に見えない世界に頼り、彼自身の努力によって達成しなければならない事を手助けして欲しいと願います。何千もの人々が媒体のカルマ(因果)的な責任を取らなければならないのは、何百もの人々が死んだ親戚と語りたかったり、または株式市場のインサイド情報を欲しいからです。彼等のパトロネージ(資金援助)によって彼等自身が理解しないものを応援する事には、彼等の利己主義によって他者を傷つけた責任があります。

媒体と千里眼の間の違いは、故に、脊椎の長さの半分においてです。それは陰と陽(電磁のプラスとマイナス)の間の違いの事で、真夜中のシーアンス(超自然現象の確認)の部屋と真昼の寺院の間の違いの事です。

人体の全ての器官には、宗教的な重要性があります。室がある心臓自体は、横隔膜の山の上に建つ寺院です。小さな傘の形をした脾臓は、太陽の光線を集め、エーテル体をチャージ(蓄積/蓄電)します。脾臓の中に巻き付いたエーテル体が、血液循環システムの中に白血球を注入するものです。

私達は人体が、殆どの機械的な考案のインスピレーションに成った事を知っています。ちょうつがいは人体からコピーされ、同様に、ボールと関節のソケットはコピーされました。最初の水道・下水システムは、血液循環システムのコピーだと私達は伝えられています。何百もの機械と道具は、私達(霊)の乗り物(人体)の緻密な機能によってインスパイアーされたのは、人体が頭脳によって研究する事の出来る、最も素晴らしく構成された機械だからです。

下(下腹部)の繁殖システムと上の脳(脳は陽的な繁殖システム)の間の緊密な関係は、勿論、それらを接続する脊椎の御蔭です。特定の時に、繁殖システムからは今、分離されている脳内の幾つもの小さい室のドアが開かれ、そしてスシュムナ(脊髄)は開かれたトンネルになり、全てのインパルス(衝動)は(背骨の)両方の端に瞬時に運ばれます。入門者が禁欲(独身)主義を誓うのはこれが理由で、脳と繁殖システムの間の、先進した教義には緊密な関係が存在し、完全なる生命力の保存を必要とするからです。のどちんこは繁殖システムに直接関わっていて、実際にそれらは脳の陽的極の一部です。健康な子供達にワクチンを打ったり、一般の原則に乗っ取って、異常の無いのどちんこを切り取る習慣は考え直されるべきです。殆どののどちんこが感染される理由は、子供が1年目に甘いおかしを食べ過ぎるからです。多くの親達に、彼等の子供の病気の責任があります。彼等の無知、または甘やかしを通して彼等は、まだ高度な乗り物によって操作されていない幼い意識に、人生が殆ど始まる前にそれ自体(意識)を破壊させる事を許します。子供が幼少期に病気がちな時、医者は良く病原の元は親にあると発見します。薬を飲まされなければならないのは、父親、または母親の方で - 子供ではないです。もし内臓が正しい状態に保たれているなら、のどちんこが問題になる事は殆どありません。全ての構造を造る際に、自然によって見せられた完全なる経済性(合理性)は、神がのどちんこや盲腸を造った時に、彼は時間の無駄遣いをしていたわけではない事の十分な証明であるべきでしょう。彼には明らかにそれらを造る理由があったはずですが、それらの罪のない器官は医療科学者にとっての金鉱と成ってしまい、彼等はたわいのない事で、それらを(お金のために)切り取ります。人体が取る直立の位置が、その器官の内臓的な中身が時間の一部で上向きに移動しなければいけないのが、盲腸のある理由だと伝えられ、地平線的に運び(背骨が地面と平行・四足)の生き物にはそれ(盲腸)がない理由とされます。全ての器官には目に見える目的があるだけでなく、目に見えないスピリット(霊)的目的もあり、そして出来るだけ多くの、元々の器官や手足を、人生を通して保つ事が出来た個人は尊敬されるべきです。

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科学は人体の御蔭だという題材に触れる間、私達は10進法は原始の人が指を使って数え、それ故に10が数える事の一単位になった事を加えておきましょう。太古のキュービットは肘と人差し指の先の間の距離、または約18インチでした。ですから、物事の研究を通して遡り、人が周りに置いた物(造り出した物)の殆ど全ては、神が彼(人)の魂を囲んだ人体から順応されたと私達は解ります。

人は徐々に彼の体の器官の操作を得ているだけでなく、それらの機能もまた操作を得ています。科学者は特定の器官は自動的に、または機械的に機能すると明言しますが、オカルト(秘儀)主義は人体の機能について、機械的な事は一切ないと気づきます。一人の労働者が鉄の欠片を、正常に機能している歯車とレバーに投げ入れた例を見てみましょう。其処には歯ぎしり的なクラッシュが起こり、その機械は止まってしまうでしょう。もし、対照的に、例えばですが、貴方が人体にモンキーレンチを投げ入れたとすると、それはすぐさまそれを貴方に投げ返す行程を始めます。それは外的要素を包み吸収しようとします。もしそれが不可能なら、それはそれをするための目的を任じられた何らかのチャンネルから異物を排出しようとします。もしこの方法が失敗すると、それは多くのケースで異物の存在に順応し、兎に角機能し続けます。これは間違いなく人の有機的な部分は知性の潜在的な形状を持っている事を見せていて、故にそれらは機械ではないのは、機械的な機器は知性を持つ事が出来ないからです。(人工頭脳は不可能?)

長年、東洋で過ごし、医療を教えるためにスイスに帰ってきたスイスの偉大な医師、パラセルサスは、ヨーロッパの世界に最初に自然スピリットの概念を与えました。彼が教えたのは、自然の機能は小さな生き物(微生物)の操作の下にあり、普通の感覚では目に見えないけれど、生命の王国で機能していて - 鉱物、植物、動物、そして人体の一部において - これら全てを知性的な方法で進化させているという事です。自然における全ての体形成の責任を担う、大いなる星座的さそり座のヒエラルキー(ピラミッド型組織)の操作(影響)の下で、これらの要素は、人体とその機能を司る目に見えない知性です。

人の進化し続ける意識の結果として、彼は彼の様々な器官の機能への、より多くの完全なる操作を得ています。筋肉には2種類あり - 非反射的と反射的で - その違いは、非反射的筋肉は個人の意識的頭脳で操作されていて、繊維が2方向に向いていてお互いに交差し合っていて、反射的な方は繊維が交差していません。心臓は反射的筋肉と以前は考えられていましたが、今は交差する繊維を見せているのが解っており、故に人が意識的、知性的に、彼自身の鼓動を操作する日を暗示しています。同じ事が、人の機能に定期的に起こる変化を生き残る、全ての器官に言えます。東洋の神聖な人は彼の心臓が鼓動していなくても生きる事ができ、彼は意識的にそれを止めたり始めさせたり出来ます。舌を上げ肺への空気の通り道を閉ざす事によって、彼は何か月も動作を止める事が出来ます。多くの東洋のヒンドゥー教徒は、物理的な人体の外でのスピリット的入門の際、これを行います。これらの神聖な人々が地中に埋められたケースの記録があります。何週間も後に、その体が掘り出された時、それは革の様に干からびていました。水がそれに注がれ、一定の時間が経つと、何週間も息をしていなかったその人は、立ち上がり歩き去りました。これは頭脳が人体の機能に対して得る事の出来る普通以上の操作です。

オカルト(秘儀)主義は、人体の中(マイクロコズム)に一つの宇宙全体があると教えます。其処には一つの世界があり、平面があり、そしてその独自の神々と女神達があります。何百万もの極小の細胞がその住人です。これらの小さな生き物達は王国へと、国家へと、民族へと一緒にグループされ、そして沢山の部分で構成されたものとなります。この大いなる世界の究極の支配者で神である者は、”私はある”と言う人の中の意識です。この意識はそれ自身の宇宙を取り上げ、もう一つの町に移動します。それ(人)が道を行ったり来たりする時、何億もの太陽系(原子)を連れ歩きますが、それらは目に見えない程、小さいので、人はそれらが実際に宇宙であると認識出来ないのです。

それと同様に、私達は無限の創造の中の人体の個々の細胞で、それらは知られざる速度でそれら自身を無限を通して投げつけています。太陽、月、そして星々は、単なる宇宙の全てのもので構成された大いなる骸骨(骨格)でしかありません。私達自身の小さな命は、空間(宇宙)の血管や毛細血管を通って流れる無限の生命の鼓動の一部でしかありません。ですがこれの全ては大きすぎて、私達のこの小さな”私はある”の理解範囲の外です。故に私達は、その両方の究極(マクロコズム/マイクロコズム)が同等に理解不能と言えるかも知れません。私達は一方の究極において無限の偉大さ(広さ)と、もう一方で無限の小ささの間の中間世界に住んでいます。私達が成長する度に私達の世界もまた広がり、私達のこれら全ての不思議への相当する理解の広さを広げる結果になります。

チャクラ/カデュシウス/ヘルメスの杖
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地獄的世界

(注:英語のインファーノは灼熱の地獄を意味しますが、元々のイタリア語ではインヴァルノは冬を意味します。陰陽・夏冬の事です。)

背骨の根元に位置するのは形状の主の座で、一般的にはエホヴァシーヴァと呼ばれています。
!linga(?)が彼の象徴です。彼は地球そのものの雄牛(牡牛座)に乗ります。彼の娘は死と破壊ですが、彼は邪悪なものでは無く、彼は私達が下界で機能出来る力を与える体を創造します。彼は力(エーテルの形成的な力)に沿ってそれらをクリスタル化(結晶化)します。幾何学(立体性)は骸骨(骨格)で、彼が創造する全ての体は幾何学的な問題で、幾何学的な角度は岩と石の中へとクリスタル化されます。徐々に、体を世界へともたらすそのクリスタル化は、重すぎる(密集しすぎる)様にになり、そしてスピリット(霊)的な意識からの微妙な印象に反応出来なくなります。ゆっくりと、それらは石に帰り、そして死はその体をこの世界にもたらした起源と同じ過程の結果です。地球の初期の種族は生命の繁殖的な性質を崇拝しました。彼等は生命の最も高貴な表現は、この世界に新たな生命をもたらす事と感じました。故に生命を与える原則は全てのものに息吹を与える神に人格化され、または密集したものの乗り物無しでは物理的な世界で展開出来ない、もしくは成長出来ない潜在的な生命の現れをもたらしました。

オカルト(秘儀)主義者にとって、誕生は死で、そして死は覚醒です。太古の日々の神秘主義派は、物理的な世界に生まれる事は、墓に入る事で、地球上の世界程、限界的なものは無く、自然界においてこれ程、非反応的な平野(一面)は無いと教えました。時間と距離は魂を狭い環境に鎖付ける監獄の檻です。暑さと寒さは魂を苦しめ、歳は能力を奪い、そして人の人生は死への準備です。人生は死の影で生きられるので、彼等はそれが茶番で、空っぽなもので、注意不足な目の見せかけで、詳しく見れば、汚されてウジに食われていると教えました。物理的な体はレンガ造りの墓となり、彼等の墓となり、埋葬の場所で、その中で魂は、処女(乙女座)が輝く時、壊れた土器の骨壺からそれ(魂)が再び昇る日を待っています。故に世界の全ての宗教において私達は、下界を黒い穴として持ち、その中でヤーマが、黄泉の国の主が、呪われた魂を彼等自身が創造した地獄で苦しむ様に投げ入れますが、それぞれの民族が個々の本質からそれらを苦しめる悪魔を創造するのは事実です。此処において、(古代)エジプトのタイフォン、破壊の神は、豚の体とクロコダイルの頭を持ち、あくびをする顎を持って、人生の好機をものにする事が出来なかった魂を喰いあさるために待っています。殆どの人々の中で、悪魔は半獣半人と象徴されます。彼は人間の動物的本質の中に巣くい、彼等の好み、彼等の憎しみと恐れといった、彼等の欲望によって操作され、更なる呪は不必要です。彼等は彼等自身の地獄を創造し、そしてその苦しみを味わっています。

繁殖システムは徐々に脳内へと吸収されて行き、そして次の大いなる世界の期間の人は、その子孫を産む、または少なくとも彼等の(魂の)乗り物として、語られた言葉の器官である喉頭を通して産むでしょう。私達は後に陽的な繁殖器官となる小さなエーテル体が喉頭の付近で徐々に造られていると伝えられます。究極的には、人間はスシュムナ(背骨)の運河を通して脊髄の炎(脳内分泌のオイル)を上昇させる事が出来るようになるでしょう。これは進化的過程ですが、しかしながら、長い時間を要します。

ホルスの眼と松果体
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物理的(物質的)な人体は(70%水分)は月の操作の下のあるとされ、それは地上の液体を支配しています。月は地球的な魂の最後の生まれ変わりで、そして人間の民族は月の主のエーテル体の中で、その動物的意識の状態を通りました。月的な魂は“ご先祖様”と呼ばれ、キリスト教徒には天使として知られています。これらの存在は、動物と人間の繁殖的な力を操作しています。再誕へ来る生命は良く、その未来の乗り物(肉体)を、それが世界に現れる何年も以前に選びます。そのエーテル的な細菌は、その子供が生まれる20年以上前に、その親の体に仕込まれると言われます。これはその魂的、物質的に特に良い環境への探索の結果です。

特定のオカルト(秘儀)学派は、人の魂的な意識は人体の特定部分に固定されるのではなく、人の思考があるどんな部分にもあると教えます。私達は人が住むであろう3つの世界を知っています。その最初は思考的な世界で、彼は彼の思考、夢、そして希望に囲まれて生きるでしょう。第二の世界は彼の人的な世界で、其処で彼は大いなる中産階級で、少し考え、少し食べ、少し眠り、そして止めどなく心配し続けるでしょう。第三の世界は彼の動物的な世界で、彼は彼の魂を焼き彼の身体を消費する情熱、欲望、そして憎しみの中に住むでしょう。原始的な民族の歴史は、これら全ての段階を彼等は昇ってきて、少なくともそれらの幾つかが真の考える生き物になった事を見せています。

それぞれの人の血は個人的なものです。クリスタル化された時、それは幾何学的なパターンを形成し、その形は個人個人それぞれなので、血液分析の方法によって、バーティロン、または指紋システムより、より確かな犯罪探知のシステムに成れるでしょう。人の魂の話は、その人の血の中に書かれています。進化過程の中の彼の位置、彼の希望と恐れは、彼の血液の流れを通して全てエーテル的な形状にプリントされています。赤い血が体の中に来るまで、人の魂は入れませんでしたが、エーテル的な糸に繋がれ体の上を漂っていました。コウロギ、バッタ、そしてその他の似たような生物を千里眼的に研究する事によって、原始的な動きやそれらが表す感覚に結果する、それらの体の上に浮遊する小さな球体からのインパルス(衝動)を観察する事が出来ます。故に植物と動物の間の実際の線は、赤い血の現れによって引かれると言われます。成り行き的に、特定の小さな魚や軟体動物などは、正確には植物なのですが、科学によってではそう認識されていません。肝臓は赤い血への鍵です。ルシファーの赤い布は血の色から来ていて、ルシファーと言う言葉は”光(または熱)を運ぶ者”と言う意味で、それは血の別名です。この理由のために、彼は誘惑の魂なのです。キリスト教の謎において、センチュリオン(護衛)の槍でキリストの肝臓が貫かれるのは特に神秘的ですが、人の友人であるプロメテウス(火をもたらした神)は、コーカサス山の頂上に吊るされ、ハゲワシが彼の肝臓をつついているのは、古代ギリシャの神話の中に描かれた同じ神話の表現です。

記述するに値する、更に興味深い事は、theとliverと言う言葉の間の関係で(やや意味不明)、肝臓を持つ事は生きる(live)事だからです。同じ様な線に沿って私達は生きる(live)を逆から書くと邪悪(evil)で、生きた(lived)は逆に悪魔(devil)になる事を記しましょう。(注:live、lived、good(god)陽、夏:evil、devil陰、冬)この奇妙な関係は英語の中だけに見られるのでは無く、少々気付き難い度合でですが、その他の言語にも見受けられます。私達がこれを取り上げると、しかしながら、私達は言葉のシンボル的な分析であるカバリズム(カバラ)の研究をしている事になります。

赤は血の色で、肝臓の鍵で、そしてそれの動物への影響はとても気付き易いです。それはイライラさせ、興奮させ、時には実際に動物が発狂する原因になります。故にそれは良く闘牛の間に使われるケープになります。それらは闘牛士が雄牛の顔の前に垂らし、そして通常、トラブルがそれに続きます。赤い光を使う事は黒魔術において稀ではありません。邪悪なマジシャンはそれらを亡霊を発生させるために使い、医療科学においては既に、赤い光が人体に当てられた時に、強い刺激性がある事は知られています。

怒りと憎しみの間、人のアストラル・オーラは、稲妻に酷似した赤い色に覆われます。とても頻繁に、脊椎の付け根(一番下部のチャクラ)は濁った赤色になり、それは憎しみ、情熱、もしくは怒りを象徴するものです。この赤い光は、脊椎の付け根で常に燃えており、地獄の炎と天罰の話を産み出しましたが、(組織的宗教の)祭司は信者達に、彼等が何処に行こうとも、彼等自身の地獄を、常に持ち歩いている事を伝えるのに失敗しています(意図的に伝えていない、または祭司自身もそれを知らない)。

赤い力は、火星の魂、サミュエルの体を通して太陽の白い光から壊されると言われます。これは天空が赤く染まる理由です。火星は戦争、いがみ合い、憎しみ、そして衝突の神です。彼はローマ帝国のパトロン的な神で、その制服を着た兵士達は彼の影響の象徴として赤を身につけました。このパトロン聖者の指導に続き、彼等は世界を征服し、彼等がその他の者達を殺害した剣によって倒れました。

赤が人体の色である間、黄色は魂の色とされます。この理由のために、ブッダ達や救世主達は通常ゴールドのニンブス、またはヘイロー(後光・天使の輪)で象徴されます。この光は黄色のローブで、聖者ジョンがそれについて書いた暗闇に光を指す目撃者の事です。この光は、第三脳室を通って照らし、神と人との間の契約としての慈悲の座の上に浮かぶ、ユダヤ教のシェキナーを表しています。黄色は活発化させるもので、命を与えるものです。故に金色の髪の太陽とその人物化である - キリストは - 共に命を与える者です。元気のない者は、その脾臓を太陽にさらす事によって元気にさせる事が出来るでしょう。

第三/第四脳室
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青は3つのプライマリー(主要)カラーの中で最も高度なもので、父(神)に与えられた色です。それはリラックス的で、気が休む色で、特に狂気や(取りつかれた)執念への対処法としてとても効果的です。黒魔術師にとって青い光の中で成功的に機能する事はとても困難です。それと頭脳との親密な関係は明らかで、人の本質のスピリット/霊的な質の全てから引き出されたものとして松果体の中で電気的海として集まります。全ての炎への青い心(心臓)は輝く太陽の裏にいる父を象徴すると言われます。キリストの言葉で言うと、”私を見た人は、その父を見た。私がその父で、そして私の中の父である、”です。

シンボリズムの中の色の使用はとても興味深いです。神話の中で英雄達が大抵、倒す緑の龍は、地球を表しています。白い鎧は清められた人体です。黒魔術師は暗闇と不確かさです。全ての色にはシンボル的な価値があり、これらの価値のオカルティズム(秘儀主義)での応用の研究からは、大いなる教えを学ぶ事が出来るでしょう。

オカルト的な解剖学と生理学の題目を論議する間、私達は一瞬立ち止まって、中世の時代に人体器官を錬金術的な器に言い換えることによって、オカルト的な解剖学の研究を隠した、錬金術者とローズクロスの者達を讃えなければなりません。彼等の代表者の内の一人は実質的にこう言いました、”私達の化学は貴方が知る化学物質ではなく、特定の秘密の器(内臓)で、そして普通の人には見えない魂的な化学です。私達は化学物質を拷問する事を信じておらず(それらが気体になって交わる事)、それは化学物質は人々と同様に、お互いに不親切な関係にもたらされると苦しむからです。”

錬金術的なかまどは人体の事です。その中で燃える炎は脊椎の根元にあります(第7チャクラ)。煙突は脊髄で、気体はそれを通って通されて、再び集められ脳内で蒸留されます。これは実に、何世紀も以前からそれが最も高度な宗教と考えられていた極東(インド)からヨーロッパにもたらされた秘密のシステムです。私達はこれらのオカルト的な真実を、推測的な論説で全体的に造られた近代宗教との、対照的な違いのスピリチュアル性の機能する原則と呼べるかも知れません。人々は宗教が人体学的だとは夢にも思わないし、彼らへの救いは彼等自身の体の中の生命的要素と力を科学的に使用する事によるとは信じませんでしょうが、それと対照的に言われる事の全てにも拘わらず、それは事実なのです。これから続く数年の間に、人に彼自身の体とその部分部分の秘密を悟らせるために多くが行われるでしょう。

記述するにとても興味深いのは、輪廻転生、または世界における大いなるアヴァター、ヴィシュヌの現れと、誕生以前に人の胎芽に起こる変化との間の類似性です。これは私達を次の題材であるオカルト胎生学へともたらします。

オカルト(秘儀)的な胎生学

(インダス文明・ヒンドゥーの)大いなる主、(魚)は、彼の人々を救うために、既に9度、この世界に現れました。彼の10度目の誕生は、まだ起こっていません。彼の9度の現れは、人間の胎芽が産まれる前に発達する9の主要な変格に親密に類似しています。ヴィシュヌーは最初に魚の口から生まれました。彼はそれから亀の体から成長しました。更に後に、彼は猪として現れ、続いてライオンと成り、その後に猿となりました。そして幾つもの更なる変格の後、彼はやっと人間として現れました。私は幾分以前に、科学者が胎児期の人間の脳と幾つもの動物の脳の間の関係を表にしたものに気づきました。彼は実に正確にヴィシュヌーの生まれ変わりに続いていましたが、彼が東洋のオカルト(秘儀)と西洋の胎生学をリンクしている事に全く気付いていませんでした。

殆どの国の宇宙創造神話は胎生学に基づいています。宇宙の形成は人の形成と同様とされ、違いはその規模においてのみです。例えばヴィシュヌー・プラナスですが、私達はその創造はメムの子宮の中で起こったと伝えられています。その空間は、大いなる山々と崖(チョリオン)に囲まれていたとされます。この宇宙は水から創造され、大いなる海(羊水)に浮いたとされます。梯子(へその緒)を下って神々が登場します。4つの川が新たな土地に流れ込んだ、と創世記では伝えられます。これらはへその緒の血管の事です。そう話は進み、そしてその素晴らしい相互関係は存在します。いつの日か、類推の法則に新たな科学は基づけられるかも知れません。これは全ての時代を通した化学的な憶測よりも遥かに優れた科学的データの貢献となる事が証明されるでしょう。

胎生学の中に、私達はまた、自然界の様々な種を通して、人類の通り道のとても興味深い要点の繰り返しを持っています。此処で私達は、ハイパーボーリアンの特定の期間を見出します。もう一つの時では、私達は原始的なレムリアの人を見て、その後にアトランティス人を見て、そして最終的にアーリア人を見ます。私達は最も確かに、全てのオカルト(秘儀)の生徒が、この題材のとても慎重な研究をする事をお勧めします。科学は、この惑星の全ての生命が水から出てきた事を知っています。人間の胎芽は、その成長の全ての初期段階を水に包まれて成長します。そしてその中に、私達は全てのものの進化の話を見出しまう。性別は第三の種族がこの惑星に現れるまでありませんでした。胎芽にも、性別は三か月目まで現れません。

自然の下部の王国を通った人間の胎芽の発生反復(再現)は、人が元々大人としての状態で造り出されないとい事において、進化の最も強い証明の一つです。成り行きとして、人は宇宙的な胎生学を通り(経験し)、事実、彼は未だに胎芽で、彼が完全な人間と成るまで、人類へと産まれませんが、それは何千年もかからないでしょう。彼は、丁度、人に成ってきている状態にあります。

産まれる前の9か月は、(長年)時代を通して象徴的に利用されてきました。数字の9は人の番号と言われますが、それは人体が産まれるまで9ヶ月間、準備の段階にあるからです。完璧な数字は12(ゾディアック)と言われますから、ですから現在、人は彼が完成される3か月前に産まれている事になります。徐々の人類の展開は、妊娠中により多くの事が達成され(成長し)、究極的に生まれるまでに、全ての経験と成長が、胎芽的な状態で起こるでしょう。

人は一度に全て産まれるものではありません。私達は彼が段階的に生まれたと言えるかも知れません。意識は体の外で働き、それ(意識・自我・魂)がその乗り物(人体)を内側から取り、それを囲むものからある特定の個性を形づくる覚醒の時まで、プラスティック的(薄っぺらい・まやかし)なものに働きます。誕生の時には、物理的な人体は生まれ、死の瞬間まで止めどなく続くクリスタル化の行程が始まります。人は生まれた瞬間に死に始め、自命の長さとは、これ(死)に必要な長さです。7年目に、人体の重要な部分が行動を始め成長の最も重要な期間(第二次成長期)が始まります。それは着物を入れ替える時期です。両親が難しさ(反抗期)を感じるのはそれからです。子供達の身長が雑草の様に伸び出すのは、彼等が文字通り、植物的な存在を体現しているからで、それ以前は彼等のmi octal(?)な状態を再現しています。7歳くらいになると、子供はその体内で、重要な本質を生産し始めます。それ以前は、生まれる前に喉の導管のない腺によって分泌された生命力で彼は生きます。言い換えると、彼は彼の親から蓄えられた生命で命を保ちます。7歳くらいになると、彼は彼自身のために働き始めます。彼は常に行く状態(落ち着きがない)で、そしてもし若者がその活力を晩年のためにボトルに貯め保存出来たら、何という素晴らしい世界に私達は生きる事になるのでしょう。

12歳と14歳の間の中間のゾーンで、肝臓が機能し始め、感情的な人体が生まれます。若者が最も問題に面するのはその青年期です。不安定な感情が大暴れします。その意識は動物的な存在を再現します。それは正に子犬愛の日々と言えるかも知れません。これらは良く最大の間違いに満たされる日々です。14歳から21歳までの期間程、命を失いやすい時はありません。強度に感情的な民族の子供達が、青年期までクラスでより優れているのは観測されています。しかしながら、14歳くらいで感情的な本質が活発になると、これらの子供達は頻繁に興味を失い、通常の教育への(対応)能力を失います。外国人の子供達を教えた事のあるどんな教師も、特定の国籍の子供達のこの状態を証言するでしょう。馬鹿はそのアストラル体の誕生と共に頭脳的な機能を失った例で、その様な例は多々あります。これらの感情的大暴れの年々の間、両親は確かさと親切をもって彼等の子供達をルールしなければなりませんが、そうしないと、同じ子供がいつの日か彼等の両親を、台無しにされた人生のための理由にするかも知れません。

18歳から21歳の間、気候的な状況によって、頭脳的な人体が操作を取り、私達はその個人が大多数の歳に届いた(成人した)と言います。すると彼は投票する事が許され、彼の父は金色の時計をプレゼントし、成功を探すために彼を世界へと送り出します。何百万の内一人も、何故、21歳が大多数/成人の歳に定められているかに気づきません。ですが全てのオカルト(秘儀)主義者はその理由を知っています。スピリット的な意識は、真の”私はある”は、21年目まで、新しい人体の操作を取りません。その時までそれは完全に低い感覚の中心(低い、動物的チャクラ)に完全に支配されています。生命は故に、7年のサイクルによって進歩します。

この例の一つとして私達が知っているのは、28年目が第二の肉体的な誕生で、35年目が第二の重要な誕生、または第二の成長と呼ばれていて、42年目が第二の感情的な誕生だという事です。これらの歳の間、それ以外では完璧に普通の人が、とても良くセンチメンタルに成ります。49年目は新たな頭脳的な活動の夜明けを印し、そしてそれに続く7年間は思考の黄金期です。それらは哲学的な理由の期間で、人生の花形になる期間です。そしてそう続き、サイクルからサイクルへと繰り返されます。もしその個人が十分に長く待てば(生きれば)彼は第三、第四の幼少期を経験するでしょう。

殆どの人が気づかないのは、彼等が鉱物的、植物的、そして動物的要素で構成されている事です。骨は文字通り、鉱物で、髪は肌を通して注がれる重要なエーテルの波に育まれた植物で、全ての各個人の中には何千もの微生物があり、私達自身が動物園です。太古の北欧人はこれに気づき、人の中に生きる微生物についての多くの神話を残しました。聖父ナイルの有名な像は、人の特徴と機能を表している数多くの人型に覆われています。人は偉大な研究(材料)ですが、私達はあまりこの教科書を生かしていません。全ての国々の聖書(経典)は、人自身の外側には存在しない街々への解剖学的な言及で満ちています。神聖な街の12の門は人体の中の12の窓(部分)です。英知の12の主人や哲学の大いなる12の学派の様に、これらの窓は7と5の2つの分別に分離されます。人体には、目に見える7つの穴と、隠された5つの穴があるのです。

(古代)ギリシャの哲学者の一人は、彼の弟子達に、人間の脳に繋がる穴は6つあるが、人間の頭から外に繋がる穴は一つしかなく、お腹から繋がるのは一つしかない事を確かに覚えよと言いました。故に彼等は二度聞き(両方の耳で一度)2度見て(両方の眼で一度)、2度香り(両方の鼻の穴で一度)ますが、一度しか語りません。そして彼等が語った事は、お腹と脳から来ています。その助言は今でも有効です。

ヘブライ人達は人の頭を、神々しい特徴を表現する、お得意のシンボルとして使い、大いなる顔と呼びました。その2つの眼は、それらが意識の器官なので、聖父に関連されました。2つの鼻の穴は、それらが嗅覚の器官で、またプラーナの乗り物で、エーテルの生命力でもあるので、聖子に関連されました。口は、語られた言葉を前に送ったもので、世界を形成したものなので、聖なる魂を象徴するのに使われました。口が生み出した7つの母音は王座の前の7つの魂で、啓示の瓶とトランペットでもあります。彼等は7つの世界を創造するために、彼等の声の軍隊として出で、そして彼等の創造力から全ての自然が結果しました。人間の頭の中に隠された素晴らしいシンボリズムと、それらがどう聖書で使われているのかに気づく人は殆どいません。

この記事に補足されているのは、数年前に別々に出版された論文ですが、多少の間、絶版になっていました。その論文には解剖学的なシンボリズムの題材に直接関わりがあり、今日のそれぞれの世界的問題に応用された時に、上述されて表現された原則がどう機能するのかを見せています。

オカルト(秘儀)的なメイソンリー

神秘的なメイソンリーの生徒にとって、一つの問題が永続的にそれ自体を現わします。彼はそれを数多くの名の下で知っています。それは彼に多くのシンボル(象徴)を持って伝えられますが、単的にそれは魂と体(人体等々)の、クリスタル化と物質性からの純粋化(清め)と解放と定義されるかも知れません。言い換えると、彼は崩れた寺院の瓦礫から生命を救い、彼の魂のアーチ(ゾディアック、牡羊座=大脳、魚座=つま先)の鍵の印としてその正しい場所に再建したいと模索しています。

ゾディアックと人体
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太古のメイソンリーを学んでいる時、私達は英知の教えとして私達が知っている最初の啓示の一つを扱っています。その他の大いなる神秘の様に、それは日々の存在的な問題についての解決法として構成されています。これらの太古の抽象的なシンボルを研究する事は、余り意味がないと思われるかも知れませんが、時が来れば全ての生徒は、彼が今、利用価値がないと横にのけるものは、いつの日か彼が必要とする価値の付けられない宝石であると気づくでしょう。ゾディアックの中のセンタウロス(半獣半人/射手座)の様に、人は永続的に動物の体から人間の意識を向上させようとしていて、そしてメイソンリーの3つの輪状の梯子の中に、私達はこの解放に必要不可欠な3つの大いなる階段を見出します。これらの3つの階段は人間の意識の3つの大いなる分離です。私達はそれらを単的に、物質性、知性性、そして魂性と定義する事が出来ます。それらはまた、最下層の輪も体現していて、その中心には感情があり、それぞれの魂の上の頭脳性は、人生を通して旅をして、その環境と人生の経験から英知の花粉を集める蜜蜂です。蜜蜂が花の心臓(中心)から蜂蜜を集めるように、私達のそれぞれが、出来事の一つ一つ、それぞれの喜びと悲しみといった魂的な蜜を集めるべきで - 人の魂・人体と言える大いなる蜂の巣に経験を蓄積するべきです。同じ様に言われるのは、人の中の魂的なエネルギーは、彼が変格している生命力(血液の中の酸素=オゾン)を永続的に取り脳内の蜂の巣に運び、その蜂蜜、または生命を保つために必要なオイル(分泌液)を保つという事です。

太古の神々(天体)は、蜜で生きたとされ、一般の人々の様に飲み食いはしなかったと言われます。日常の人生で起こる問題に対処する事から得る、または絞り出す蜂蜜は、より高等な人の食べ物であるというのはとても本当です。私達が良く積まれた(蓄積された)板の上で食べる間、魂的な人が、私達が私達自身の人生で変格した事毎によって栄養をつけられ、そして発達させられたかを考えるのは良い事でしょう。

太古の哲学者は前に、蜜蜂は花の花粉から蜂蜜をあつめるけれど、蜘蛛は同じ源泉から毒を取り出すと言いました。私達が立ち向かう問題は、ですから、私達は蜜蜂なのか蜘蛛なのか、と言う事です。私達は人生の経験を蜂蜜に変えるのか、それともそれを毒に変えるのでしょうか?それらは私達を向上させるのか、または私達は永続的に苦しみに対して抗うのでしょうか?多くの人々は経験によって不快にさせられますが、賢明な者はその蜂蜜を取り、彼自身の魂的な本質という蜂の巣にそれを蓄積します。

「ライオンの前足の掌握」(2012年12月21日の冬至以降、私達が突入した”水瓶座時代”)を私達が考えるのは良い事で、世界の最も古い入門の象徴は、太古の時に(古代)エジプトの寺院の謎を通って新入門者は、死者のための大いなる石の棺に(儀式的に)埋められ、後々、青と金のローブをまとった先輩入門者によって生命へと再び再生させられました。入門者がその様に再生させらると、グランド・マスターが彼の腕と手にライオンの前足をグローブとして着せ、そして新たに再生させられた入門者は”ライオンの前足の掌握”によって生き帰えさせられたと言われました。ヘブライのアルファベットjodは、(三角形の中心に書かれるとそれが炎の様に見えるので、魂の象徴として、時々もちいられますが)それが意味するのは、カバラ主義者によると、前に伸ばされた手です。私達はこれが象徴するのはジュダのライオンである獅子座に座ると言われる人の魂の太陽(心臓の事)だと理解します。そして畑の果実と植物が太陽光線によって育ち発達するので、だから人のクリスタル化は壊され、そして魂的な太陽(心臓)の光(血液)によって追い散らされ、それは死者を生き返らせ、その力で生命の潜在性を解放すると言われます。人の中の魂は、暗闇の中で見える目を持ち、彼自身の本質の低い側(低いチャクラ)をそれ自体(脳・松果体)と融合するために(オイルを)上げようと常に努力します。低次元の人がそうやって、彼自身の中から展開する、高次元の思想によって、物質性から向上させられた時、光の魂と真実は、”ライオンの前足の掌握”によって新たな入門者を向上させたと言われます。

私達がメイソンの儀式から見つける2人のジョンのシンボリズムを考えてみてください。ジョンは”ラム(牡羊座=大脳)”を意味し、そしてラムは動物的な情熱と、人の性質の象徴です。動物の革を着た、洗礼者ジョン(ヨハネ)の中で、これらの情熱は束縛されていませんが、福音伝道者ジョンの中で、それらを象徴する乗り物と力が、人の中のキリスト的な人生の愛されし弟子達になるまで変格されています。

私達は良く「ヤギに乗る」(太陽が牡羊座に乗る;冬から春になるという意味。)または「オイルの塗られたポールを昇る」(オイルが脊髄を昇るの意味。)と言った表現を聞きます。これが見る目を持つ者にとって、象徴的に重要なのは、人が彼自身の低次元の動物的な本質をマスターした時、彼は正直に「ヤギに乗る」と言う事ができ、そしてもし、彼がヤギに乗れないなら、彼は寺院の入門に入る事は出来ません。彼が昇らなければならない柱は間違いなく背骨を意味していて、そして人の意識(オイル)が脳へと、この柱を昇り上がった時にだけ、彼はフリーメイソンリーの階級を会得する事が出来ます。

失われた言葉(ゾディアック)の題材は、個人的な問題と考えられるべきです。人自身 - つまり、真実の原則は - 失われた言葉と呼ばれるかも知れませんが、それはクラフト(メイソンリー)の全ての会員によって認識されるパスワードを構成する、人から放射するある特定の何か(ロイアル・アーチ・ゾディアックの事)と言う方が良いかも知れません。人が、彼自身の寺院(体)の建築士として、彼自身の中の生命力を虐待し破壊する時、すると建築士は3つのより低い体(チャクラ)に殺害され、彼と共に墓へと運ばれ其処に言葉は寝かされ、それは彼の位置の証明となります。

頭脳的、肉体的、または魂的な力の虐待はエネルギーの殺害に結果し、そしてこのエネルギーが失われた時、人はそれと共に神聖な言葉を失います。私達の命は - 私達の思考、希望、そして行動は - マスター建築士が彼の親戚(メイソン)を知る、生きている三重のパスワードで、そして生徒が内室への入場を求める時、彼は寺院の門で、身体の清らかさと、バランスされた頭脳の証を見せなければなりません。この神聖な言葉をお金で買う事は出来ず、会得出来る階級はありません。ですが私達自身の中で死んだ建築士が生命へと再び蘇らせられる時、彼自身がその言葉を話し、そして彼自身の中に建てられた賢者の石には聖者の生きている名前が刻まれています。

この建築士(メイソン)が(儀式的に)復活させられた時にだけ、死のシンボルは不死へと変えられます(魂は不死であると理解する)。私達の体はヒラム(ソロモンの寺院の建築士)の灰を入れられた骨壺で、私達の人生は壊れた(2つの)柱で、棺桶のクリスタル化で、そして開かれた墓の崩壊です(肉体は魂の一次的な乗り物)。ですが全ての上にあるのは、蛇(背骨)の力を上昇させた者の約束された人生の常緑樹の小枝で、そして寺院の瓦礫の下に埋もれているのは、”再生”させられた時に、私達の物質的な本質の中にロックされた神聖な生命を解放するその建築士の体です。

忘れ去られた過去から私達に手渡されたこれらの素晴らしいシンボルは数多くあり、長くに渡り失われたそれらのシンボルの意味は物質主義のマントルの下に埋もれています。真のメイソンは - 光の子供(太陽信仰)は - 今でも解放のために叫び、そして空っぽのエジプトの王座は、殺された太陽の王(日が沈み、再び昇る事、または冬から夏になる事の象徴)が帰ってくる事を未だに待っています。世界の全ては美しいバルドル(北欧の知恵の神・太陽)が復活する事を待ち、十字架にかけられたキリスト(太陽)が墓石を転がしそしてその物質の墓から出て、彼自身の墓(人体)を彼と共にもたらす事を待っています。

人がこの素晴らしい問題を理解する事が出来る様にそう生きた時、大いなる眼、または意識の中心は、清められた体のガラスを通して見る事が出来ます。真のメイソンリーの謎は、神を冒涜する者からは長く隠されていますが、すると理解され、そして新たなマスター(入門者)は青と金のローブをまとい、7つの星に繋がる梯子を一歩、一歩昇っている不死の者(魂)の足跡を辿るのです。より遠くの上に、アーク(ゾディアックのアーチの事)は - 生命の源は - 忘却の高い水の上(天の川)に浮かび、そして牽引のケーブルを通ってより低い人にメッセージを送り下げています。この点が届かれた時、点が円に戻ったので”C”の中のドアは永遠に閉ざされ(CがOに成り)三重の魂と三重の体はソロモンの永遠の印の中で一所にリンクされます。すると建築士が拒否したコーナーストーン(ピラミッドの天辺の石)は再び角の先端になり、そして人は - 宇宙的な寺院からのlong in(?)のキャップストーンは - 再びその(正しい)場所にある事になります。

人生の日常の出来事は、私達の感覚を鋭くし、私達の能力を発達させます。これらはクラフト(技術)の道具で - マレット、のみ、そして物差しで - そしてこれらの自己発達した道具で私達は徐々にゴツゴツした切り石、またはキューブを、宇宙的な寺院のための加工されたブロックにしています。私達が炎の入門者に成れるのはそれからだけで、光が暗闇の場所を取るのはそれからだけです。私達が私達自身の存在の閉ざされた室をさ迷う間に、私達は寺院の閉ざされた室の意味を学び、そして私達の目の前で入門の儀式が展開する時、その中に私達自身の存在が再現され、私達自身の意識が展開し、そして私達自身の生命の話が展開されている事を認識するべきです。この思考を頭脳に入れ、私達は太古のアトランティス人が何故、昇る太陽を信仰したのかを理解出来るだけでなく、また現在のメイソンが、この太陽が寺院の天辺に登る時、その上に黄金の石を置き、人の中の全てのものを生き返らせる、高貴な生まれのヒラムをどう象徴するのかも理解出来ます。

<完>

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